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愛知県名古屋市に伝わる有松絞りは、400年以上の歴史を誇りながら、今なお進化を止めることのない工芸です。各地の工房を巡るなかでも、有松絞りの凹凸が持つ肌に触れる涼やかさと造形の深さには、特に強く惹かれるものがありました。
この工芸がなぜ現代の私たちの心を動かすのか、その理由を編集部の視点で探ります。

宿場町から生まれた、「歩く広告」としての工芸史
有松絞りの発祥は、江戸時代初期の1608年にまで遡ります。当時の尾張藩が、東海道の治安維持と街道整備のために、鳴海宿と池鯉鮒(ちりゅう)宿の間に「有松」という新たな町を開いたことが始まりでした。
この地域は丘陵地帯であり、稲作などの農業に適した平地が乏しかったという地理的な制約がありました。そのため住民は農業以外の生業を見つける必要に迫られ、九州の豊後(ぶんご)から伝わった絞り染めを、近隣で生産されていた三河木綿(みかわもめん)に応用したのが有松絞りの原点と言われています。
東海道という日本最大の物流拠点に面していた有松は、旅人の土産物として絞り製品を販売し、急速に発展しました。尾張藩による独占販売権の付与という保護政策もあり、有松絞りは一躍、全国的なブランドへと成長します。浮世絵や文学にもその姿や名前が登場し、それを身に纏って街道を行き交う人々が「歩く広告塔」となって、日本中にその名が知れ渡ったのです。

100種類の技法が織りなす、「布の彫刻」の仕組み
有松絞りが他の産地と一線を画す点は、その圧倒的な技法の数です。一つの型に縛られることなく、職人たちが400年の間に生み出し蓄積してきた技法は100種類を超えます。
絞り染めとは、布の一部を糸で括(くく)る、縫い締める、あるいは畳んで板で挟むといった物理的な処置を施し、染料が入り込まない部分を作る「防染(ぼうせん)」技術による染色法です。この工程を経て染め上げ、最後に糸を解くと、染まらなかった部分が模様となって現れます。
調べてみて特に興味深かったのは、この絞りは単なる模様付けの工程ではなく、布に立体的な「シボ(凹凸)」を定着させる作業であるという点です。代表的な技法をいくつか見ていきましょう。
・手蜘蛛(てぐも)絞り
「くの字鉤針(かぎばり)」という道具を使い、布を引っ掛けながら糸を巻き上げる技法です。仕上がりが蜘蛛の巣のように見えることからこの名が付きました。下絵を使わず、職人の指先の感覚だけで均等な模様を作り出す、非常に難易度の高い技術と言えるでしょう。
・嵐(あらし)絞り
約4メートルの丸太に布を巻き付け、糸で固定した後に布を端へ押し縮めて染める技法です。激しい雨風が吹き荒れる「嵐」のような筋目が現れるのが特徴で、大規模な装置が必要な、ダイナミックな表現方法と言えます。
・雪花(せっか)絞り
布を三角形などに折り畳み、その角を染料に浸すことで、万華鏡のような幾何学模様を作る「板締(いたじ)め絞り」の一種です。近年、そのモダンな意匠が若い世代からも高い支持を得ています。

機能性が生む「用の美」と、素材へのこだわり
有松絞りの魅力は、視覚的な美しさだけではありません。布に施されたシボが、実用面でも大きな価値を発揮します。絞りによって生まれた凹凸は、布が肌に直接触れる面積を減らします。これにより、日本の高温多湿な夏においても、汗によるベタつきを抑え、優れた通気性と涼感をもたらすのです。この機能的な必然性が、浴衣としての地位を不動のものにしました。
素材に関しても、歴史的な変遷があります。江戸時代には、丈夫な三河木綿や知多木綿(ちたもめん)が中心でした。これらは強い力で括る工程に耐えうる強度を持ち、藍との相性も非常に良かったためです。
現代では、木綿や絹といった天然繊維に加え、ポリエステルなどの化学繊維も広く活用されています。特にポリエステルを用いた製品では、熱によって形状を固定する「ヒートセット」技術と組み合わせることで、洗濯をしてもシボが消えないという新たな価値が生まれました。伝統的な技法が、現代のライフスタイルに即した形で受け継がれているのです。

伝統の継承と、現代ファッションへの昇華
有松絞りの制作工程は、現在も徹底した分業制によって支えられています。
・図案作成・型彫り:絞りの意匠を決定し、型紙を作成する。
・絵刷(えず)り:型紙を布の上に置き、「青花(あおばな)」という水で消える染料で下絵を写す。
・括り:職人が一つひとつ手作業で布を括る。この工程に数ヶ月を要することもある。
・染色:括り終えた布を染液に浸す。
・糸抜き:染まった布の糸を解き、模様を出す。
・仕上げ:蒸気を当てて幅を整える「湯のし」を行い完成。
ここでポイントとなるのが、職人の専業性です。通常、各職人は一つの絞り技法を専門としており、同じ職人が複数の技法をこなすことは稀になります。この専門性の集積が、100種類を超える多様な表現を可能にしています。
しかし現在では、職人の高齢化という課題に直面しています。伝統工芸士として認定されている職人は近年十数名程度にまで減少しており、技術の継承は極めて重要な局面を迎えているのです。
こうした中、伝統の枠を超えた新しい動きも活発です。1980年代のDCブランドブームの際には、世界的なファッションブランドが有松絞りの技術を洋服に採用し、大きな注目を集めました。現在では、牛革に絞りを施す試みや、建物のディスプレイに大型作品を導入するなど、モードやインテリアといった分野でもその価値が再定義されています。
400年前の「生きるための知恵」が、現代のクリエイティビティを動かす
有松絞りについて調べていくなかでもっとも心を動かされたのは、400年前の「生きるための知恵」が、現代のクリエイティビティの源泉となっている事実です。単に過去を保存するのではなく、新しい素材やデザインを取り入れながら形を変えていく姿こそが、工芸のあるべき姿ではないでしょうか。
職人が数万回も繰り返す「括り」の跡に触れるとき、そこには単なる模様以上の、人間の手仕事が持つ圧倒的な必然性が宿っていると感じます。この力強い凹凸が刻む歴史の中に、皆さんはどのような未来の姿を見出すでしょうか。
一枚の布が語る物語に、ぜひ耳を傾けてみてください。





