



有松絞りの歴史は「生き残るための決断」の連続でした。背景にあった江戸時代の開拓精神から、現代の世界的ブランドとの共創まで、時代を動かした人々の足跡をたどります。
400年という長い時間の中で起きた「劇的な転換点」と、その歴史を動かした物語に焦点を当て、編集部の視点で紐解いていきましょう。

開拓:街道の安全が生んだ、「農業をしない」という逆転の発想
有松絞りの歴史は、1608年に江戸幕府の初代将軍・徳川家康の命によって始まりました。尾張藩は、東海道の鳴海宿と池鯉鮒(ちりゅう)宿の間にある寂れた地域に、治安維持を目的とした新しい町を建設するよう命じます。これが、現在の名古屋市緑区有松の誕生です。
しかし、開拓された土地は丘陵地で、稲作などの農業にはまったく適していませんでした。住民は農業で生計を立てることができず、生きていくために「街道を行き交う旅人を相手にした産業」を生み出す必要に迫られたのです。
調べてみて特に興味深かったのは、この「絶望的な地理条件」こそが、有松絞りという類稀な工芸を誕生させた最大の要因であったという事実です。有松の人々は農業を諦め、自分たちの技術を「東海道という最大の物流拠点」に最適化させる道を選びました。この決断がなければ、今日の有松絞りは存在しなかったと言っていいでしょう。


江戸初期:竹田庄九郎と、「九州の異文化」との邂逅
有松絞りの開祖として知られる竹田庄九郎は、もともと知多の出身でした。1610年頃、名古屋城の築城工事に動員されていた九州・豊後(ぶんご)の人々が、見慣れない「絞り染め」を身に纏っているのを庄九郎が目撃したと伝えられています。
庄九郎はその技術に強い可能性を感じ、三河(みかわ)産の木綿(もめん)に絞りを施して手ぬぐいや浴衣を作ることを考案しました。これが有松・鳴海絞りの起源とされています。庄九郎の功績は、単に技術を取り入れただけでなく、地元の素材と街道のニーズを結びつけ、土産物としての「商品力」を高めた点にあります。
その後、2代目庄九郎の時代には、従来の藍染めだけでなく、紅染めや紫染めといった高級な色彩表現も開発され、贈答品としての価値も高まっていきました。開拓者精神は、今も有松の町に受け継がれています。

江戸中後期:尾張藩の寵愛と、「江戸時代のブランド」の確立
1781年、有松絞りは歴史的な大きな後ろ盾を得ることになります。尾張藩が有松の絞り商に対して「絞り製品の独占販売権」を与えたのです。これにより他の地域での模倣が厳しく制限され、有松は東海道で唯一の絞り産地としての地位を不動のものにしました。
この独占体制のもと、有松絞りは江戸時代のセレブリティの間で爆発的な人気を博しました。十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』には、主人公の弥次郎兵衛が有松絞りの手ぬぐいを購入する場面が生き生きと描かれています。
また、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵にも、有松の美しい町並みと絞り店の様子が繰り返し描かれました。江戸時代の人々にとって、有松絞りの浴衣を着て東海道を歩くことは、現代で言うところの「憧れのブランドを身に纏って街を歩く」ことと同じ、一種のステータス・シンボルだったのです。
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明治〜戦後:嵐絞りの発明と、アフリカへ渡った「希望の布」
江戸時代の独占権が消失した明治時代、有松は自由競争という新たな壁に直面しました。そこで1879年、鈴木金蔵という職人が「嵐(あらし)絞り」という画期的な技法を発明します。これは丸太を使って一度に大量の布を染め上げる技術で、生産効率を劇的に向上させ、有松絞りの産業規模を維持する支えとなりました。
さらに驚くべき歴史の一節は、1948年頃、戦後の復興期にあります。国内需要が冷え込むなか、有松の人々は「アフリカ諸国への輸出」という大胆な活路を見出しました。現地の人々の好みに合わせた鮮やかで大柄な絞り製品は大きな需要を生み、町に再び活気を取り戻す「復興の第一歩」となったのです。この事実は編集部にとっても非常に新しい発見であり、有松の持つ驚異的な「適応力」を象徴する出来事だと感じました。

1980年代〜現代:「浴衣」から「モード」へ、静かなる革命
現代に繋がる最大の転換点は、1980年代のDCブランドブームでした。当時の産地の中核を担う世代は、それまでの「浴衣や着物」という伝統的な枠組みに危機感を抱いていました。日本の衣生活が洋装化するなかで、絞りの技術を「洋服」へとシフトさせる決断を下したのです。
この時期、有松の職人は国内外のトップデザイナーたちからの依頼を受けるようになります。それまで1反が約38cmという小幅な木綿だった素材を、洋服に合わせて120cmを超える広幅の生地や、シルク、さらには革にまで広げていきました。
取材中に産地の企画担当者から聞いた「有松絞りは新しいものを常に改造してきた歴史がある」という言葉は、まさにこの転換期を象徴しています。近年では、海外のラグジュアリーブランドからも「制作ストーリー」を重視した依頼が寄せられているのです。伝統を保存するのではなく、常に「今」を生きる衣服としてアップデートし続ける姿勢こそが、400年の歴史を繋いできた本質と言えるでしょう。

伝統とは、形を守ることではなく、「美学」を失わずに変容すること
有松絞りの歴史を振り返ると、そこには常に「変化を恐れない革新者」としての職人たちの姿がありました。尾張藩の命による開拓から、アフリカへの輸出、そして現代のハイブランドとの共創に至るまで、その時々の時代の要請に応え、自分たちの技術を「編み直してきた」軌跡です。
伝統とは、一つの形を頑なに守り抜くことではなく、核となる「美学」を守りつつ、時代という風を受けてその形を柔軟に変容させることなのです。東海道の土埃の中で生まれた手仕事が、今、世界のランウェイを彩っている。その事実に、私たちは大きな勇気をもらえる気がします。
冒頭で触れた「開拓」という言葉は、現代においては「新しい価値の創造」という意味に読み替えられているように感じます。一枚の絞り布を手に取るとき、その奥に流れる悠久の歴史と、変化を厭わない人々の情熱を、ぜひ感じ取ってみてください。


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