



美しいものを創ることは、楽しいことなのだろうか。
藤塚松星さんは、制作について「楽しいと思ったことはない」と語る。卓越した技術の先にあったのは、竹で何を表現するのかという終わりのない問いだった。独自の技法を切り拓いた作家の、苦しみの内側を見つめる。

師匠の教え「面白いか、面白くないか」
23歳で竹工芸の世界に飛び込み、中央の公募展に挑戦を始めてから約15年もの長きにわたる落選時代を経て、ついに伝統工芸展での初入選を果たした藤塚松星さん。それ以降、評価は着実に高まっていくが、彼が竹で生み出す作品は、いわゆる実用的な竹細工の枠を大きく逸脱していた。
一般の人々が展示会で藤塚さんの作品を見たとき、まず驚くのはその気の遠くなるような細かな編み目だった。
「わあ、すごいですね。何時間かかるんですか?」と、ため息交じりの感嘆の声が漏れる。
しかし藤塚さん本人は、その技術に対する純粋な称賛を「どうでもいいこと」と一刀両断する。
「作品を生み出すのは当たり前。自分が表現したいものが、しっかりとその作品に反映されているかが大事なんです」
作家であれば、卓越した技術を持つのは大前提だ。だが、藤塚さんが目指したのは単なる技巧の披露ではなく、美術工芸としての昇華だった。そこで常に羅針盤となったのが、師である馬場松堂からのある教えだった。
「『お前ね、面白いか面白くないかだよ』って言うわけですよ。パッと見て、『これ面白いね』って思われるかどうかだよって」
人がすでにやっていることを真似しても面白くない。だからこそ藤塚さんは、「誰もやっていないこと」に異常なまでの情熱を傾ける。
「作家というのは、やっぱり表現者ですよ。もの創りは、モノで表現しなきゃね」
竹を使って、自分は何を表現するのか。その根源的な問いと向き合うことが、藤塚さんの創作哲学の核となっている。

宇宙と自然を編み込む「彩変化」と、保守的な業界との戦い
「面白いこと」を追い求める表現者たる藤塚さんが確立したのが、見る角度によって色が変わる独自の技法「彩変化」だった。この魔法のような視覚効果は、狂気ともいえる緻密な手仕事によって支えられている。
まず、ある程度の幅に割った竹を黒く染める。次に、その厚みと両サイドを削ると1面だけが黒、残りの3面は白い四角いヒゴが出来る。それを黒い1面を残すように対角線に削って三角形にし、そのひごを紫や赤褐色、または緑色に染め、尖った頂点を正面に向けて組み上げるのだ。左右の面を異なる色に染め分けることで、視点を変えるたびに色が反転する効果が生まれる。
この革新的な技法を用いて、藤塚さんは「天の川」や「流れ星」、「海辺の波」、さらには葛飾北斎にインスピレーションを受けた「赤富士」など、まさに彼が愛する壮大な宇宙や自然の情景を竹で描き出していく。

しかし、新しい表現への挑戦は、保守的な業界内で強い風当たりを生んだ。1989年、藤塚さんが紫色を用いた作品を伝統工芸展に出品したところ、「竹で紫なんてあるか」といった理由で落選の憂き目に遭った。自然のままの竹の色か、せいぜい茶色や黒が常識とされていた当時、鮮やかな色は「安っぽい使い捨ての籠みたいだ」と見なされたのだ。
「緑色の作品を出したら、いまでも落ちると思います。若い人が出したらですけどね。業界のなかで既成の概念があって、眉をひそめられるんですよ」
それでも彼は、決して独自の表現を諦めなかった。バッシングに耐えながら挑戦を続け、20年後の2009年、ついに紫を用いた作品で賞を受賞する。
「20年やり続けて、やっとこの色を使った作品で賞をもらえてね。それだけの年数をかけないと、周りから認知されないんです」
古い型を守るだけではなく、その時代ごとの新しい表現を取り入れてこそ、100年先の伝統が創られる。
「いまの一番の革新が、何年後かに伝統になっていくんです」
藤塚さんはその信念を胸に、新しい色、新しいかたちへと挑み続けたのだ。

「楽しいと思ったことはない」──赤裸々な生みの苦しみ
独自の技法と斬新なモチーフで、竹工芸の頂点へと上り詰めた藤塚さん。さぞ、自らの手で美を生み出す喜びに満ち溢れているのだろうと思いきや、元サッカー日本代表の中田英寿氏との対談で「仕事をしていて楽しいですか?」と問われた際、彼はきっぱりとこう答えたという。
「仕事をしていて楽しいと思ったことはないんです。正直ね。創ってて楽しいってことはないわけですよ。むしろ、苦しい」
藤塚さんにとって、制作とは脳内にあるイメージをいかに現実のかたちにするかという、妥協なき格闘の連続だった。特に辛いのが、デザインを生み出す初期段階だという。
「デザインが決まるまでが一番苦しいんですよ。だから、そのときは機嫌がすごく悪い。イライラしてるわけね。だから女房は嫌がるんです」

彼の工房には、大層な分厚いスケッチブックなど存在しない。あるのは、不要になった裏紙やコピーの失敗用紙ばかりだ。
「こういうどうでもいい広告の裏とかのほうが、気が楽でね」
そこに色鉛筆でラフスケッチを描き殴り、部屋中に散在させる。無数のアイディアに囲まれながら、ああでもない、こうでもないと頭を抱え、夜も眠れなくなるほどの「生みの苦しみ」を味わうのだ。
人間国宝が語る、あまりに人間臭く、泥臭い制作の裏側。卓越した技術をきわめたからこそ直面する、「何を表現するか」という終わりなき問い。
苦しみのなかに身を置きながら表現を続けた藤塚さんは、2023年、ついに「重要無形文化財保持者(人間国宝)」に認定される。しかし、その最高の栄誉は、彼にまた別の次元の大きなジレンマをもたらすことになる。
(第4回「人間国宝という看板──評価の先にあるジレンマ」へ続く)

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