



東京都墨田区。職人も多く、下町情緒がまだ残るこの街に、歌舞伎役者など本物を知る人々に選ばれ続ける指物師がいる。指物益田の益田大祐さんだ。
釘などの金物を一切使わず、木を組み合わせて家具などを作る指物。家具デザイナーを目指し働いていた益田さんは、その技術の凄まじさにほれ込み、職人の道を歩み始めた。
目の前の人の問いに答え続ける。指物師として懸命に生きてきた道のりは、工芸全体の結節点を作る営みへと続いている。技術を未来へ繋ぐ、職人の現在地を聞く。

江戸の暮らしに根づいた、繊細で粋なデザイン
都営地下鉄新宿線の菊川駅から歩いて、徒歩数分ほど。指物益田の工房にたどり着くと、木材の何とも言えない良い香りが漂っている。
釘などを一切使わず、木の板を組み合わせて箪笥や机、小箱などを作り上げる指物。そのルーツは平安時代にまでさかのぼる。武家文化や茶の湯文化を支え、江戸時代に発展を遂げた。
「木材は生き物なので、湿度の変化により、伸縮を繰り返します。そうした木の呼吸を無視して釘で固定してしまうと、やがて木はひび割れ、釘もさび付いてしまう。四季の変化に富む日本の風土とともに、指物の技術が発展しました」
公家などに愛されて、漆塗り箔、蒔絵といった華美な装飾が施された京都の指物に対して、商人文化が華開いた江戸では、木目の美しさを生かした簡素で粋な指物が好まれた。
「江戸の指物は、繊細で堅牢と言われます。江戸は火事が多かったので、有事の際にはすぐに持ち出せるよう取っ手を付けてコンパクトにするなど、人々の日々の暮らしに寄り添うさまざまな家財道具が作られてきました」


効率と流行の外へ。プロダクトデザイナーから職人の道へ
幼い頃から絵を描くことやものを作ることが好きだったという益田さん。高等専門学校でプロダクトデザインを学び、卒業後は家具製造会社に就職。ヨーロッパの家具のデザインに惹かれていたことから、ものづくりに携わることになった。
「大好きな仕事でしたが、『本当に自分が作りたいものなのだろうか?』という問いが出てきました。仕方がないことですが、生産効率や市場の流行に合わせることが求められてしまう。出来上がったものに対して『これは自分がデザインしたものです』と胸をはって言えるのかと葛藤がありました」
そんな時、偶然訪れた展示会で指物と出会う。釘を使わず寸分の狂いもなく組み上げられた木工品。外からでは構造がわからない、その技術の凄まじさに衝撃を受けたという。
「これだ、と思い、職人さんに連絡を取って弟子入りを志願しました。『よく考えて出直してきな』と一度は止められたのですが、翌週には会社を辞めていました。指物にほれ込んでしまったんですね」
そこから、感覚を研ぎ澄ませる指物師の修業の日々が始まった。
「指物は薄くて堅牢です。板が薄すぎて使いにくくなってしまうといけないし、分厚すぎれば野暮ったくなる。ちょうどよい板の薄さなどの感覚を身につける必要があるんです。体で理解できるまで、10年もかかりました」
浅草の料亭の主人など、地域の顧客たちが若き職人であった益田さんを育ててくれた。さまざまな道具を作り、壊れたときは直しに出向き、『使い勝手が悪い』と言われれば改良する。
日々、使い手の声に耳を傾けながら道具を作り続け、2005年に独立を果たした。

木の呼吸に耳を澄ます。釘を使わない指物
指物は、ほぞと呼ばれる凹凸を作って木を組み合わせる。組み合わさったときに、きゅっと内側から締まるような繊細な具合は、何十種類もの鉋を使い分けながら、木と対話するように時間をかけて作り上げられていく。
「指物で作るような小さな家具では、機械で木材を加工すると繊維がつぶれて木材がスカスカになってしまう。求められる精度が、建築とは異なるんですね。手仕事でないと実現することができないんです」
さらに、金物を使わないため、全ての部品を取り外して分解して修理することができる。木の状態が良ければ、江戸時代など100年以上前のものも直して使い続けられる。益田さんの元にも、古い箪笥の修理依頼などが持ち込まれることも多いという。
「最近はサステナブルなものへの関心が高まっていますが、そもそも日本では、使い捨てではないものづくりが古くから続けられてきたんです。
また、木材も家具として作られてから10年ほど経ることで、やっと箱としての形が馴染んで安定してきます。現在流行りの組み立て式家具などは、10年ももたないものも多いかもしれません。でも昔ながらのものは、修理しながら何十年も使っていけるんです」
「その人にとっての120点」を作る。歌舞伎役者の鏡台づくり
益田さんの技術の真骨頂に、歌舞伎役者のための楽屋鏡台の製作がある。指物は、オーダーメイドが基本。用途や使い方などについて顧客から話を聞き、現場を訪れて、細かい部分まで確認しながら丁寧に作り上げていく。
「工業製品は、60点から80点の及第点を狙うものです。でも、指物師は『その人にとっての100点から120点』を目指します。他の人には合わないかもしれないけれど、その人にとっては、最高のものを目指します」
歌舞伎役者にとって鏡台は、日々の舞台に欠かせない重要な道具。だからこそ、その作りには徹底したこだわりが求められる。歌舞伎について学びながら、役者一人一人の癖やこだわりに合わせて、使いやすい鏡台を作っていく。
「体格や役柄、化粧の仕方に合わせて鏡台を設計します。たとえば、立役(たちやく)は鏡から少し離れた位置で使いますが、繊細な化粧を施す女形は鏡に顔を近づけるため、膝が当たらないよう台の下をえぐるなどの工夫を凝らします。
さらに、公演で持ち運びするので、いくつかのユニットに分けて専用のケースに収納できるように設計しているんです」
中村勘三郎さんとの付き合いから、歌舞伎界との縁が深まった。平成中村座の大看板を製作したこともある。鏡台を作ってほしいと、依頼が舞い込むことも少なくない。
本物を知る人たちに選ばれ続けてきたご縁から、映画『国宝』の劇中で使う鏡台の製作も手がけた。監督の「本物の鏡台を使いたい」という要望に応え、役柄に合わせて細部にこだわった見事な鏡台を作り上げた。

古典と未来をつなぐために、「問い」に応え続ける
益田さんは、伝統技術の新たな可能性を模索し続けている。その取り組みの一つが、スーツケース一つで持ち運べる組み立て式の茶室「ZEN-An 禅庵」プロジェクトだ。茶室建築家・茶道家・日本文化伝道師である椿邦司さんの「本格的な茶室文化を海外に広げたい」という想いから始まった。
「指物、畳、簾、和紙と、匠の技がスーツケースに込められています。2017年に完成し、アメリカ、中国、フランスなど、世界中で禅庵茶会が開催され、大きな反響をいただきました。
ニューヨーク国連本部の平和イベント「Peace is ・・・」では、女性殺陣師である香純恭さんが刀を置き、お茶をいただくパフォーマンスも行われ、観客を魅了したんです」
禅庵が世界中で愛されたのは、本物だったからだと益田さんは語る。
「茶の文化を知る人が設計に携わり、職人たちが手がけた茶室は大きな反響を得ました。海外の方でも、本物はわかるんですよね。積み重ねられてきた伝統の技術をきちんと学び、伝えていくことが大事なことだと思うんです」
その姿勢は、指物だけでなく、伝統文化全体へと益田さんの関心を広げている。能楽師や雅楽師からの依頼を受け、それに連なる道具や技術を学んだり、倉敷にある大原美術館との交流を深めたり、学びの場に身を置き続ける。
「さまざまな伝統文化が失われていて、『作る人がいなくなってしまった』とあらゆる依頼が舞い込むようになってきたんです。そのために新しい技術や知識を学び、いろいろなことができるようになりました。
指物師として生きることは、問いに応え続けることだと思います。目の前の人の求めることに応え続ける。どうやったらできるかなと毎回悩みながら、新たな問いに出会っていく。学ぶことは沢山ある。『これでもう充分だ』と、満足することはないですよね」
「問い」に応え続ける。それは、指物師である自らの技術を磨き上げることであり、文化の結節点としての職人の役割を切り開いていく。益田さんの眼差しは、ただ一点、日本の工芸の未来を見つめ続けている。
Text by 荒田 詩乃










