



「ただ、よいものを作り続けるだけです」と。
米の極みを引き出す、江戸櫃を受け継ぐ結桶職人
川又さんの工房は、ものづくりが残る江東区の下町深川にある。創業は1887年。初代川又新右衛門は明治維新を経て、材木町として名高い木場が近く、良質な木材の調達がしやすいこの地で結桶師をはじめた。
風呂桶、寿司桶、飯櫃など、当時はあらゆるものに木桶が使われていた。桶栄が得意としてきたのは、飯櫃の上に一回り大きな丸い蓋を持つ江戸櫃。数ある木桶のなかで、もっとも技術を必要とされる。
「桶は、外側板の溝に丸い底板をはめ込み、箍(たが)で力をかけ固定するので多少形がゆがんでいても水が漏れません。しかし江戸櫃は蓋をかぶせる構造のため、ゆがみがあると蓋がはまらないので、蓋と本体が隙間なく合わさるよう真円に作る技術が求められます」
桶栄の江戸櫃は、料亭から家庭まで広く愛されてきた。ヒノキ科のサワラを原料とする江戸櫃は、入れておくことでご飯が美味しくなるという。
「炊き立てのご飯を江戸櫃に移すと、水分が調製され、温度も落ちつき、美味しく仕上がる上に、時間が経っても美味しい。抗菌や防カビなど、鮮度を保つ自然の力もあるんです」
かつては通貨の代わりに流通するなど、日本人にとってお米は欠かせないもの。そのお米の旨味を引き出す江戸櫃の誉れ高き職人として、技術を受け継ぎ続けてきた。
「江戸時代から変わらぬ素材と技法を続けているので、今では古語となった江戸結桶と呼んでいます。さらに結という漢字には、古事記にも書かれている“ものを生み出し造り成すという産霊(ムスヒ)”という意味もある。結桶師としての誇りが込められています」

ファッションブランドを経て、職人へ。根本にあるものづくりへの想い
木桶の端材で遊ぶなど、幼い頃から祖父や父親が工房で結桶師として働く姿を間近に見ながら、川又さんは成長していった。
「当時は父と職人さんが2、3人いて、江戸櫃を作っていました。道具は刃物が多く、桶づくりは原木から木を切り出すので、積み上げた丸太もある。危ないと祖父に注意されたものです」
しかし、プラスチック製品などの普及により、結桶は斜陽の一途を辿っていく。職人の道を歩むとは思っていなかった川又さんは、大学で経営学などを学び、ファッションブランドの営業職に就いた。
「当時は既製服は工場生産でしたが、オートクチュールなどはお針子さんの刺繍や、デザイナーの描いた絵からテキスタイルを起こすなど、手仕事に触れる機会が残っていました。2年ほど働き、洋服の仕事を続けるなら、自身が作らないと本質にふれられないのではと思いはじめたんです」
付き合いのあったデザイナーに誘われて、服飾デザイナーを志す道も選択肢にあった。悩んだ末、川又さんは家業がものづくりの仕事であることに思い至る。
「洋服も面白かったのですが、春夏、秋冬のコレクションなど季節のサイクルに追われる難しさもあると感じていたんです。時代の流れのなかで、変わらないものを真摯に作り続けていく。そんな部分に惹かれて、26歳で家業を継ぐことにしました」


受け継いだ技を、現代に合わせて更新していく
江戸櫃には、実に80もの工程がある。修業に入った川又さんは、先代と共に仕事をしながら、徐々にできる作業を増やしていった。
「伝統技法の桶づくりはすべてが人力なんですよ。力任せの作業では一日働き続けられない。最初の頃は呼吸やリズムに合わせた効率的な身体の使い方がわからなくて身体がきつかったです」
丸太を切る、鉋をかけるなど、何十回も何百回も繰り返すリズムが身体になじむまで、7、8年はかかった。さらに先代から教わったことを自分なりに身に着けることも必要だったという。
「『鉋の刃は、このくらい出すと仕上げの削りができる』と父である師匠に教わった通り作業をしても、うまくいかない。あるとき、筋肉、手指の長さ、身長、腰の曲げ方など、そもそも師匠とは身体のつくりが違うことに気づいたんです。道具の使い方を自分の身体に合わせて調整することで、理想の仕上がりに近づきました」
受け継いだものを変化させるのは、道具の使い方だけではない。箍の素材を伝統的な銅から洋白銀に変えるなど、現代に合わせたアレンジを加えたのだ。
「銅は緑色の錆が出ることもあるのでクレンザーの手入れが必要です。現代のニーズに合わせた金属として、カトラリーや管楽器に用いられる洋白銀に出会いました。純銀に近い光沢と錆びにくい実用性を兼ね備えた洋白銀の箍にすることで、よりよい木桶に近づいていったのです」

よいものを後世に残していく。最後の職人の覚悟
桶栄の結桶の美しさは、世界中の人々を魅了してきた。金沢21世紀美術館、21_21 DESIGN SIGHT、東京ミッドタウン・デザインハブなど日本のみならず、ニューヨーク、パリ、ミラノ、コペンハーゲンなどの展示に招待されたのだ。
「ヨーロッパに行ったときに印象的だったのが、作家として作っているのか、仕事として作っているのかと尋ねられたことです。『職人として生活しています』と答えると驚かれる。日本だけでなく、世界全体で手仕事が消えつつあると改めて感じました」
多くの結桶職人が商いを畳み、組合もなくなってしまった。東京最後の結桶職人として、次世代に受け継いでいくためにどのようなことを考えているのかと問うてみる。
「個人でどうにかすることは難しく、守ることまでは正直考えられていません。とにかくよいものを作れるだけ作り、形に残そうと思っています。
もし途絶えてしまったとしても、後世の誰かが見て『こんなにすごいものを作っていたのか』と思ってもらえれば、『よいものを作ろう』という気になってくれるかもしれない。中途半端なものしか残っていなければ、『この程度だったんだ』という認識で終わってしまいますから」
過去には弟子入り希望者もいたが、業界や経済的なことを丁寧に説いて、実現には至らなかった。効率やコストパフォーマンスが求められる時代で、魂を込めたものづくりを続けていくことの難しさがある。
「美術家の作品制作は、渾身の1点を100%に仕上げるでしょう。職人・木工家の仕事は、そこまでは追い込まないけれど、高い完成度の物を100個200個、10年20年作り続ける。でも『手作りだから一個一個個性がある』というものでもない。そういった厳しさはあるのかもしれません」
そうして作られた江戸櫃やオリジナルデザインの器も、手に取るとその美しさにため息が出てしまう。温かい木の手触り、暮らしになじむ実用性、余計なものがそぎ落とされたシンプルでモダンなデザインは、人々の食卓に喜びを与え続けてきた。
「最近の日本の生活は、“美味しいものを味わう”、“着るだけで気分が上がる服を身につける”などの、自分自身の気持ちや感性に向き合うことがおろそかになっているような気がします。形の良い器を身近においてもらうことで、生活を楽しむ気持ちや心豊かになる時間を感じていただければと思っています」
4月には、東京・新宿で展示も開催される。江戸の粋をつなぐ東京最後の結桶師は、今日も静かに木と向き合い続けている。


Text by 荒田詩乃
桶栄・川又栄風展 2026年4月8日(水)~14日(火)
伊勢丹新宿店 5階 和食器アーティストピース











