


七宝焼業界の変化と新しい方向性
1964年の東京オリンピックでは七宝焼で五輪のマークが制作されましたが、近年では樹脂での着色や海外生産に置き換えられています。日本国内での需要は減少し、かつて40軒以上あった組合員は、今では5軒ほどにまで減りました。
「昔は色を入れるといえば七宝焼でした。でも今は樹脂が主流です。中国で安く作って日本で販売する流れが一般的になってしまいました」
畠山さんは、そうした現実を冷静に受け止めつつも、ただ衰退を見守ることはしませんでした。外部からの依頼に応えるだけでなく、自ら型を作り、製品として発信するスタイルへと変化させてきたのです。
失敗からの学び
長い職人人生の中では、忘れられない失敗もありました。祭りで使用する太鼓のデザインを手掛けた際、色を間違えて1,000個以上作り直したこと。プリカジュールの大作で1ヶ所だけ仕上げられず、悔しい思いをしたことも。
「失敗は辛いですが、それ以上に次への工夫や気づきを与えてくれる。挑戦し続ける限り、必ず次につながります」
その言葉には、積み重ねてきた経験と職人としての覚悟がにじみ出ています。

娘への継承
父娘は工房で肩を並べ、釉薬の調合や焼成を試みます。娘さんはもともと図書館関係の仕事を志していましたが、「やってみたい」という思いから七宝焼の道へと進みました。
「継いでくれるのは本当にうれしいですね」
畠山さんはそう微笑みます。かつての職人の世界では「見て覚えろ」が主流でしたが、今は映像や資料を活用できる時代です。畠山さんも「次世代にとって大きな助けになる」と語り、ひとつひとつの工程を丁寧に伝えています。娘さんが新しい視点を加えることで、七宝焼はより多彩に展開していく可能性を持つのです。
若者へのメッセージ
これから職人を目指す人たちに求められるのは、チャレンジ精神と粘り強さだと畠山さんは語ります。
「失敗してもいい。失敗してもまた作ればいい。そうやって挑戦していくことが大事です」
伝統を守るだけでなく、新しい発想や現代的な要素を取り入れることも必要です。AIやデジタル技術が発展する時代だからこそ、職人の手で生み出すものの価値がより際立つと考えています。

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未来への挑戦
七宝焼は紀元前から続く長い歴史を持ち、多くの技法がすでに確立されています。そのなかで新しい表現を生み出すのは容易ではありません。
それでも畠山さんは、「自分が楽しんで作り、それを手にした人も楽しんでくれるような作品を作りたい」と語ります。
「次は、見た瞬間に楽しいと思える作品に挑戦したい」
その言葉には、現代の名工としての誇りと、今もなお衰えない探求心が込められています。
伝統を守りながらも新しい挑戦を続け、次の世代へ技術を受け渡していく畠山さん。東京七宝の未来は、その静かで力強い歩みによって支えられている。語られた畠山さんの物語が、伝統工芸に挑戦したいと願う若い世代にとって、勇気と希望を抱くきっかけとなることを願いたい。










