


外で遊ぶのが大好きだった少年時代
畠山さんの子ども時代は、外遊びに明け暮れる毎日でした。学校から帰るとランドセルを放り出し、メンコやチェーリングといった遊びに夢中になります。汗まみれになりながら夕暮れまで遊び続ける日々。
「小学生の頃は外で遊ぶのが当たり前。家に帰っても、工房に足を踏み入れることはほとんどありませんでした」
無邪気に駆け回っていた少年にとって、家業である七宝焼はまだ遠い存在でした。

家業との最初の出会い ― 「色がきれいだな」と思った瞬間
転機は小学校3年生の頃。遊びや宿題の合間に工房を手伝うようになったことでした。
七宝焼は金属にガラス質の釉薬をのせ、800度前後で焼成します。研磨すると、ガラスのように透き通った色彩が現れます。
「網に並んだ作品を見て、赤や青、緑が光に透けて輝くのを見たとき、『あ、面白いな』と感じました」
最初はお手伝い感覚でしたが、焼成後に輝きを放つ作品を目にするたび、心は強く惹かれていきました。


父からの学びと「向いている」という言葉
畠山さんの師は父でした。厳しく叩き込むのではなく、「好きにやりなさい」と自由に任せるスタイル。そのなかで自然と手が動き、技術が身についていきます。
「普通はすぐにはうまくいかないのに、私の場合はなぜか形になった。父に『向いているね』と言われたことが自信になりました」
立体的な作品の研磨をすぐにこなせたこともあり、父の言葉は職人としての芽生えを後押ししました。
進路選択と大学時代
中学生の頃には家業を継ぐ意識が芽生えましたが、すぐに工芸の道へは進みませんでした。高校は普通科、大学は商学部に進学します。
「七宝焼は中国の方が盛んでした。中国との取引に役立つと思って商学部を選んだんです」
大学卒業後は就職活動をせず、迷いなく工房へ。幼い日に「きれいだ」と感じた記憶が、自然と職人への道を選ばせたのです。
遊びから始まった職人の道
最初は遊びの合間のお手伝いにすぎなかった七宝焼づくり。けれども色彩の美しさに心を奪われ、父の「向いている」という言葉に背中を押され、やがて職人の道を歩む決意へとつながりました。
外で遊ぶのが大好きだった少年は、今や東京七宝を代表する「現代の名工」と呼ばれる存在にまで至っている。

(次回は、現代の名工として評価されるまでに培った「色と焼きの技術」、そして独自に編み出した挑戦の数々をお送りします。)










