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【第1回】遊びの延長から始まった東京七宝の道──現代の名工・畠山弘の原点
2026.02.02
【第1回】遊びの延長から始まった東京七宝の道──現代の名工・畠山弘の原点

東京都荒川区

畠山七宝製作所
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畠山 弘

現代の名工。東京七宝の技術を用いた作品制作に取り組み、受注生産に加えて自ら発信する作品づくりや次世代への技術継承を行っている。

東京七宝

金属の素地に釉薬を盛り、焼成を繰り返す工程で色彩を定着させる技法。素材には銅などの金属とガラス質の釉薬を用い、高温で焼くことで独特の光沢と発色を生む。装飾品や工芸品として用いられ、精緻な色表現が特徴。

幼い頃は家業の七宝焼工房に関心がなかった畠山弘が、手伝いをきっかけにその美しさに魅了されていく過程を描く。研磨や焼成によって生まれる色彩の変化に惹かれ、自然と七宝焼の世界に入っていった経緯が語られている。
【第1回】遊びの延長から始まった東京七宝の道──現代の名工・畠山弘の原点
小さな頃は毎日のように外で遊び、家業である七宝焼の工房にはあまり興味を示さなかった少年がいた。それが後に「現代の名工」として評価される畠山さんである。
「最初はただ手伝っていただけなんです。焼き上がった色がきれいだなと思ったのが、本格的に携わるきっかけでしたね」
遊びの延長のように始まった家業の手伝い。研磨や焼成の工程の美しさに魅了され、自然と七宝焼の世界に引き込まれていった。今回は、畠山さんの幼少期から家業を継ぐまでの道のりをたどる。

外で遊ぶのが大好きだった少年時代

畠山さんの子ども時代は、外遊びに明け暮れる毎日でした。学校から帰るとランドセルを放り出し、メンコやチェーリングといった遊びに夢中になります。汗まみれになりながら夕暮れまで遊び続ける日々。

「小学生の頃は外で遊ぶのが当たり前。家に帰っても、工房に足を踏み入れることはほとんどありませんでした」

無邪気に駆け回っていた少年にとって、家業である七宝焼はまだ遠い存在でした。

家業との最初の出会い ― 「色がきれいだな」と思った瞬間

転機は小学校3年生の頃。遊びや宿題の合間に工房を手伝うようになったことでした。

七宝焼は金属にガラス質の釉薬をのせ、800度前後で焼成します。研磨すると、ガラスのように透き通った色彩が現れます。

「網に並んだ作品を見て、赤や青、緑が光に透けて輝くのを見たとき、『あ、面白いな』と感じました」

最初はお手伝い感覚でしたが、焼成後に輝きを放つ作品を目にするたび、心は強く惹かれていきました。

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父からの学びと「向いている」という言葉

畠山さんの師は父でした。厳しく叩き込むのではなく、「好きにやりなさい」と自由に任せるスタイル。そのなかで自然と手が動き、技術が身についていきます。

「普通はすぐにはうまくいかないのに、私の場合はなぜか形になった。父に『向いているね』と言われたことが自信になりました」

立体的な作品の研磨をすぐにこなせたこともあり、父の言葉は職人としての芽生えを後押ししました。

進路選択と大学時代

中学生の頃には家業を継ぐ意識が芽生えましたが、すぐに工芸の道へは進みませんでした。高校は普通科、大学は商学部に進学します。

「七宝焼は中国の方が盛んでした。中国との取引に役立つと思って商学部を選んだんです」

大学卒業後は就職活動をせず、迷いなく工房へ。幼い日に「きれいだ」と感じた記憶が、自然と職人への道を選ばせたのです。

遊びから始まった職人の道

最初は遊びの合間のお手伝いにすぎなかった七宝焼づくり。けれども色彩の美しさに心を奪われ、父の「向いている」という言葉に背中を押され、やがて職人の道を歩む決意へとつながりました。

外で遊ぶのが大好きだった少年は、今や東京七宝を代表する「現代の名工」と呼ばれる存在にまで至っている。

学生時代の畠山さん
学生時代の畠山さん

(次回は、現代の名工として評価されるまでに培った「色と焼きの技術」、そして独自に編み出した挑戦の数々をお送りします。)

#Artisan#現代の名工#東京#伝統工芸#東京七宝#歴史#日本文化#技術
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