



佐賀県有田町で420年の歴史を刻む「深海商店」。有田焼の根幹である青い絵の具である呉須と釉薬を作り続け、その数は呉須だけで300種、釉薬は4,500種を超える。2026年3月には他社の事業を承継し、肥前窯業圏で“唯一”の呉須メーカーとして産地の未来を背負う存在となった。
家業を「『作りたい』に応える人」と再定義し、伝統的な製法を守りながらも、アパレルなど異分野への展開や、地球資源を生かした「ナラティブなものづくり」へと、挑戦の場を広げる13代目の深海宗佑氏にお話を伺った。

「作りたい」に応える。産地の枠を越えたミッションの再定義
有田焼の一大産地で、420年にわたり焼き物に携わってきた深海家。始祖の一人とされる百婆仙を祖先に持ち、代々焼き物を手がけてきた。祖父・深海辰治氏の代からは呉須・釉薬の製造へと軸足を移し、現在の深海商店へと続いている。窯元たちに呉須や釉薬を供給し、ものづくりの根幹を支えてきたその家業は今、大きな変革の時を迎えている。仕掛け人は、13代目の深海宗佑氏。彼は大手経営コンサルティングファームで6年以上のキャリアを積んだ後、家業に戻った異色の経歴の持ち主だ。
中小企業の経営支援で培ったノウハウを、いつか家業で生かす。その想いは、有田焼の売り上げがピーク時から88%も減少した産地の厳しい現実を前に、より切実なものとなっていった。危機感を覚えた深海氏は、まず自社の在り方を見つめ直すことから始めた。
彼が取り組んだのは、徹底した「外向き」への方針転換だった。これまで産地内に閉じていた事業を、より広く開かれたものへと変える。その根底には、自社の本質的な価値を再定義したことにある。
「自社の本質を見つめ直した際、私たちはものづくりに携わる人の『作りたい』という想いに寄り添う存在なのだと気づきました。窯元さんから『このような作品に挑戦したい』『こういう色彩や表現を形にしたい』というご相談をいただくたび、その熱意にどこまでも応え続けてきたからです。そう捉えると、私たちが支えるべきお客様は有田の地に限られません。全国、さらには世界中の作り手の方々へ、この価値を届けていけるはずだと確信しました」
このミッションに基づき、彼は多言語対応のパンフレットやオンラインストアを整備。これまで暗黙知の世界であった呉須や釉薬の情報を整理し、国内外の「作りたい人」に届ける仕組みを構築した。それは、420年の歴史を持つ老舗が、自らの存在意義を問い直し、未来に向けて新たな一歩を踏み出した瞬間だった。

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効率化よりひと筆の滑らかさ。有田の手描きを守る石臼摺り
深海商店のアイデンティティをもっとも象徴するのが、江戸時代から続く「石臼摺り」という呉須の製造方法だ。呉須を製造する会社は日本に10社ほど存在するが、そのほとんどは岐阜の多治見や愛知の瀬戸に集中している。それらの産地では、呉須は主にスタンプのように器に絵柄を転写する用途で使われるため、製造工程は約1週間で完了する。粒子がある程度大きくても問題ないからだ。
しかし、手描きの染付文化が根付く有田では、事情が異なる。深海商店の呉須は、職人が筆で繊細な線を描くことを前提としている。粒子が粗ければ筆が引っかかり、滑らかな描画が難しくなる。また、「ダミ」と呼ばれる広い面積を均一に塗りつぶす技法では、ムラの原因にもなる。粉砕工程ではミルも使用するが、鉄分の混入を避けるため、金属製の外装の内側には石を張り、粉砕用のボールにも石を用いている。さらに粒子を細かく均一に整えるため、江戸期から受け継がれてきた石臼摺りを行っている。
「当社の呉須は手描きでの使用を想定しているため、粒子の粗さが残ると筆運びの邪魔になり、ザラつきが生じて描き心地を損ねてしまいます。そのため、粒子を細細まで均一に粉砕する目的で石臼を用いています。試行錯誤を重ねた結果、江戸期より継承されてきた石臼こそが、極上の滑らかさを実現する最良の道具だと行き着いたのです」
この石臼摺りの工程だけで、実に2週間。時間をかけて石臼で摺り続け、粒子を細かく均一に整えていく。その後も複数の工程を経て、一つの呉須が完成するまでには1ヶ月以上の時間がかかる。効率化や機械化の波に抗うかのように、あえて時間と手間をかける。それは、有田が育んできた手描きの文化を守り、職人たちの「描きたい」という想いに最高の品質で応えるための、譲れないこだわりなのだ。

焼き上がるまで正解がわからない魔法の絵の具
工房に並ぶ呉須の桶。焼き上がりの澄んだ青色を想像して蓋を開けると、その中身はチョコレートのような、赤みがかった茶色の液体だ。これが、呉須を扱う仕事のもっとも不可思議で、もっとも難しい点である。職人たちは、焼き上がりの青を頭の中で想像しながら、それとはまったく違う色の液体で絵付けをしなければならない。
「焼成前と完成後で色彩が大きく変化する呉須は、描き手が仕上がりの発色を頭の中で思い描きながら筆を走らせなければなりません。茶色から鮮やかな紺色へと色相そのものが変化するこのような性質は、数多ある工芸の材料の中でも呉須ならではの大きな特徴と言えます」
この複雑さに加え、色の再現性を巡る終わりなき探求が続く。呉須の原料の一部に用いられるコバルトなどは天然鉱物由来であるため、ロットによって成分にばらつきが生じる。さらに、窯元の焼成条件、生地の土の成分、呉須を溶く水の濃度、そして職人の筆の運び方まで、さまざまな変数が最終的な色合いを左右する。
そのため、窯元から「いつもと色が違う」「内側まで色が染みてしまった」といった相談が寄せられれば、原因を分析し、配合を微調整する「トラブルシューティング」が日常的に行われる。300種の呉須と4,500種を超える釉薬は、こうした窯元との二人三脚の中で、オーダーメイドに応え続けた結果ここまで増えてきたものなのだ。それは、単なる色のカタログではなく、作り手たちの「作りたい」という願いの集積でもある。

肥前窯業圏、最後の1社としての覚悟
深海商店の歴史において、近年、大きな転機が訪れた。有田・波佐見を含む肥前窯業圏で、同じく呉須を製造していたもう1社、岸川絵具店の事業を承継することが決まったのだ。後継者不在に悩む岸川絵具店の社長から、数年前に事業譲渡の打診があったという。
これにより、2026年3月をもって、深海商店はこの地で唯一の呉須・釉薬メーカーとなった。しかしこれは、単なる市場の独占を意味するものではない。むしろ、産地の「色」の多様性を一身に背負うという、重い責任を伴う決断だった。
「他社の色を引き継ぐ」とは、単に商品ラインナップを増やすことではない。深海商店は、岸川絵具店の工場、配合レシピ、そして長年働いてきた社員まで、すべてを丸ごと引き継いだ。これにより、岸川絵具店の色を愛用してきた窯元たちが、これまで通りものづくりを続けられる環境を守ったのだ。
唯一の存在になったことで、経営的なプレッシャーは増したと深海氏は言う。
「肥前窯業圏において呉須屋が自社のみとなった現状から、以前にも増して重圧を感じています。単に自社の存続にとどまらず、地域や産業全体の未来を見据え、『会社を倒産させるわけにはいかない』という危機感と使命感が一層強くなりました」
その言葉からは、420年の伝統と、産地の未来を繋ぐ覚悟が滲み出ていた。窯業圏の色彩を未来へ繋ぐ。その重責が、深海商店をさらなる革新へと突き動かしていく。

有田の青を拡張する異端の挑戦
産地の外へという想いは、やがて焼き物そのものの枠を越える挑戦へとつながっていった。深海氏がタッグを組んだのは、デザイナーのIWAO GENKI氏。奇しくも、中高の同級生だった。
「実は学生時代は非常に折り合いが悪かったのですが、有田を盛り上げたいという強い想いは共通していました。そのため、過去の葛藤を乗り越えて力を合わせることにしたのです」
IWAO氏は文具メーカーや広告代理店でデザイナーとして八年ほどのキャリアを積み、2022年春、窯業を学ぶために故郷の有田へ帰郷した。外から戻った目に映った産地の光景を、IWAO氏は自身のブログにこう記している。「有田に帰ってきてまず感じたこと。それは "有田には焼物がある" でなく "有田には焼物しかない" と多くの人が思っていること」。そして自らに問いを立てる。「私たちは "焼物" を売ろうとしすぎているではないか?」。
その問いの先で最初に目をつけたのが、呉須だった。陶磁器の装飾においてもっとも歴史が長く、もっともポピュラーな顔料。産地に生まれ育った者にとっては、物心つく前から身の回りにあった素材である。だが、その当たり前をあらためて見つめ直したとき、氏はある事実に気づく。四百年にわたり人々を魅了してきたこの青が、陶磁器への加飾以外には使われてこなかったということだ。
用途が完全に確立しているということは、裏を返せば、用途が問われることがないということでもある。転写やスプレーガンによる吹き付けなど、筆以外の加飾手法はすでにあった。ならば、と氏は考える。「すごく単純に、これって生地とかにプリントできないの? 藍染にみたいに生地染めれないの?」
同級生の深海氏に連絡を取ると、返ってきたのは素材の側からの同じ問題意識だった。ここ三十年の窯業界全体の下火化と原料コストの高騰を、呉須屋はダイレクトに受けている。だからこそ、呉須や釉薬もこれまでの用途に固執せず、新しい切り口を見つけていかなければならない——。デザイナーの「焼物しかない」という危機感と、原料屋の「用途に固執できない」という危機感が、ここで噛み合った。
伝統を守るという意識の前に、まず一つの素材として捉え直し、面白がること。深海氏が異分野との協働にもっとも醍醐味を感じるのは、この一点だという。異なる背景や技術を持つ人が関わることで、見慣れた素材の輪郭が立ち上がり、産地の内側では見えなくなっていた魅力が浮かび上がってくる。
もう一つの視点は、技能と関心の向かう先を、自分たちで設計し直すことだった。有田には、ろくろ、型、絵付け、窯焚き、原料と、高度に分化した職能が層をなしている。だがその出口は、長いあいだ食器と美術鑑賞品という二つに収束してきた。産地が縮小する局面において、出口が限られていることは、技能の行き場が限られていることと同義である。
「器として完成させることだけが、この素材の使い道ではありません。関わる人の技能も興味も本来は多様で、そのぶん表現の出口も多様であっていい。枠の外に出た先で、自分の手で形にして、表現として成立させる。そこまでやりきって初めて、素材の可能性を広げたと言えるのだと思います」
その視点から生まれたのが、呉須を生地にプリントしたアパレル Sarayama Blue だった。やがて掛け合わせは木材や磁器にも広がっていく。もっとも、道のりは平坦ではない。
「特殊な素材ゆえに町内の印刷所からは難色を示され、断られる日々が続きました。佐賀県内で受託可能な工場をどうにか開拓できたものの、その工場も近年事業を撤退してしまい、現在は新たな委託先を模索しています」
前例のない挑戦には、困難がつきまとう。それでも歩みを止めないのは、「作りたい」に応えるというミッションが、もはや焼き物の世界だけを見据えていないからだ。木材や布地との出会いは、呉須という伝統的な素材を捉え直し、これまでになかった表現の可能性を引き出していく。


物語を纏う「ナラティブなものづくり」へ
深海商店の挑戦は、異分野への展開だけではない。自社の核である釉薬についても、その性能や表現の可能性を広げる探求を続けている。
工房の片隅に並ぶ見本皿の一つが、非常にマットな釉薬と光沢のある釉薬を異なる比率で混ぜ合わせ、ツヤ感のグラデーションを検証したものだ。単に質感のバリエーションを増やすだけでなく、「この比率なら、ナイフやフォークの跡がつきにくいマット釉薬が作れる」といった、実用面での知見にもつながっている。
こうした既存の釉薬づくりを深める一方で、深海氏はその先に、新たなものづくりのあり方を見据えている。それが、素材の背景や土地とのつながりまでを価値として捉える「ナラティブなものづくり」だ。
これまで深海商店では、安定した品質を供給するため、精製された約50種類の原料を中心に釉薬を作ってきた。しかし深海氏は、その枠組みにとらわれず、これまで材料として活用されてこなかった地域の天然鉱物や資源にも目を向けようとしている。
「人類が数千年もの試行錯誤を経て辿り着いたのが、現在定着している約50種類の安定した原料です。しかし、この土地には元来、さらに多様な素材が存在しています。地元の天然鉱物なども取り入れながら、その背景やストーリーを宿した『ナラティブなものづくり』を実現していきたいと考えています」
たとえば、富山で過剰繁殖し、海藻を食べ尽くす「磯焼け」の原因となっているウニ。その駆除された殻を釉薬の原料として活用するプロジェクトに、深海氏は大きな可能性を感じている。それは単なるリサイクルではない。地域の課題や物語を釉薬に込め、新たな価値を生み出す試みだ。それは、地球資源を使い、意味のあるものを作りたいという彼の哲学とも深く共鳴している。
AIが瞬時に最適解を出す現代だからこそ、あえて思い通りにいかない色と格闘し、未知の素材に挑む人間の「衝動」が価値を生む。肥前窯業圏“唯一”の呉須屋という重責を背負いながらも、深海氏の視線は常に未来の「面白さ」に向けられている。
作り手たちの「作りたい」という欲求に伴走し続ける深海商店。その尽きることのない探求心は、有田の青をさらに豊かな物語へと導いていくはずだ。









