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海外デザイナーと職人が寝食を共にして作り上げる、佐賀発家具ブランド「ARIAKE」
2026.07.17
海外デザイナーと職人が寝食を共にして作り上げる、佐賀発家具ブランド「ARIAKE」

佐賀県佐賀市

レグナテック株式会社
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樺島 賢吾

レグナテック株式会社 代表取締役社長。1990年佐賀県生まれ。2013年に家業であるレグナテック株式会社に入社。国際ブランド「ARIAKE」の立ち上げを牽引。世界各国のデザイナーと協業し、欧米・アジアなどグローバル市場へ商圏を拡大する。 専務取締役を経て、2025年9月より現職。

諸富家具

佐賀県佐賀市諸富町を中心に発展した家具づくりで、筑後川流域の豊かな木工産業を背景に発展してきた。天然木を生かした加工や精巧な木工技術を特徴とし、手仕事と機械加工を組み合わせながら品質の高い家具を製作する。ダイニングチェアやテーブル、収納家具など、日常生活で使う木製家具を中心に幅広く生産されている。

レグナテック株式会社樺島賢吾が、海外デザイナーとの合宿型ワークショップから家具ブランド「ARIAKE」を立ち上げた経緯を語る。職人とデザイナーが共同で試作を重ねる独自の開発体制により、世界20カ国以上へ展開するブランドへと成長している。
海外デザイナーと職人が寝食を共にして作り上げる、佐賀発家具ブランド「ARIAKE」

佐賀県諸富の家具メーカー2社によって立ち上げられたブランド「ARIAKE」は、海外デザイナーとの合宿型のワークショップを通じて製品を開発し、現在では世界20ヶ国以上で展開している。

言語の壁や文化の違いが存在するなかで、なぜ地元の職人たちは海外のデザイナーを工場に迎え入れ、寝食を共にしながら製作にあたるという異例の開発プロセスに踏み切ったのか。

レグナテック株式会社代表取締役社長の樺島賢吾氏に、ARIAKE立ち上げの背景や、職人とデザイナーの間に生まれた化学反応の軌跡を伺った。

アジアの展示会での挫折と新たな出会い

樺島が家業であるレグナテックに入ったのは、創業50年という節目を目前に控えた13年前のことだった。大学時代までは野球一筋で、建築やインテリアのバックグラウンドを持っていなかった彼は、現場に入って家具づくりのイロハを貪欲に吸収していった。当時、日本全国に取引先が広がるなかで「会社の将来を考えたときにやっぱり世界で勝負しよう」と考えたことが、海外進出への第一歩となる。

まずはアジアでもっとも盛り上がっていたシンガポールでのインターナショナルファニチャーフェアへの出展を決めたものの、海外ビジネスの知見もブランディングの知識もない状態での挑戦は困難を極めた。現地のコーディネーターに頼る形で出展した1年目は、目ぼしい成果や手応えを得ることはできなかった。

「1年目は何のフィードバックも得られず、いい商談も1件もできずに帰ってきました。3年間は我慢して出展しようという話になり、2年目も出たものの、なかなかいい結果が出ませんでした」

変化のきっかけは、2年目の出展時に訪れる。展示会場で、後にARIAKEのクリエイティブディレクターとなるガブリエル・タンと出会ったのである。当時、自身のスタジオを立ち上げたばかりだった彼は佐賀の工場を訪れ、レグナテックと平田椅子製作所の設備や技術力を確認する。

そこで提案されたのが、数名の海外デザイナーを集めて佐賀で1週間の合宿を行い、スピード感を持ってトータルラインナップを揃えたブランドを立ち上げるという、まったく新しいアイディアだった。

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言葉と文化の壁を越えた佐賀での合宿

ガブリエル・タンの提案により、海外から気鋭のデザイナーたちを招き入れた合宿型のワークショップがスタートした。しかし、ブランディングや海外ビジネスの経験がない樺島たちにとって、それは手探りの連続であった。初期メンバーに日本人デザイナーを起用して通訳を頼むなどの工夫を凝らしたものの、海外メンバーの要求に対してどこまで応じてよいのか、価格設定をどうするべきかといった懸念が常に付き纏っていた。

「本当にこれでいいのかという不安はものすごくありました。彼らの要望を100パーセント信じて応えていいのか、プライシングはどうするべきかなど、大変なことばかりでした」

それでも、合宿を通じてデザイナーたちは佐賀の土地に深く入り込んでいった。フィールドワークとして有明海を訪れたり、地元の伝統的な祭りに参加したりすることで、佐賀の風景や文化を吸収していったのである。有明海の干潟の泥の色から着想を得た墨の仕上げや、朝焼けの空を思わせる藍染めなど、諸富という土地の記憶がデザインへと昇華されていく。

樺島自身もこの経験を機に自ら英語を身につける必要があると痛感し、フィリピンのセブ島への短期スパルタ留学を敢行した。帰国後は社内に海外事業部を新設し、自ら英語で直接デザイナーたちとコミュニケーションを取る環境を作り上げることで、世界との距離を一気に縮めていった。

職人の意識を変え、対立を共創へと導く

通常、家具製造の現場では、デザイナーから送られてきた図面をもとに工場の担当者が製造用の図面を引き、効率的に量産することが求められる。日常のルーティンを大事にする現場の職人にとって、面倒な仕様変更や新しい試みは避けたいのが本音である。

しかしARIAKEの合宿スタイルは、この図面越しの対立構造を根本から覆した。デザイナーが工場に入り込み、言葉が通じなくとも職人の隣でプロトタイプを一緒に作り上げることで、単なる原案制作者と作業者という関係性が、ものづくりのパートナーへと変化していったのである。

「工場にデザイナーが入って一緒に試作品を作ると、職人たちの中に『あいつのデザインだから実現させてあげたい』とか『あいつはこの仕上げが好きじゃないから、こうしてあげた方がいい』という感情が生まれるんです」

膝を突き合わせて対話を重ねるプロセスは、結果として、本来なら「この仕様に変えないと作れない」と突き返されるような難解なデザインを実現へと導いた。手作業と機械生産を均等に組み合わせた独自の家具群は、市場に新鮮な驚きを与えた。

「Ariake Bar Stool」や「Ariake Lounge Chair」のデザインには、古典的および現代的な接合部のディテールが組み合わされており、それも職人とデザイナーによる綿密な共創の成果と言える。また、複数のデザイナーが同じ空間で作業することで、「お互いが相手のデザインに対して、自分がデザインしているプロダクトのディテールを合わせ始める」といった自然発生的な調和も生まれ、異なるデザイナーの作品でありながら、同じ空間で見事にマッチするというARIAKE特有の世界観を形作っていった。

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空間体験として届けるブランドの世界観

立ち上げ当初は海外市場のみで展開する逆輸入ブランドとして活動していたARIAKEだが、現在では日本国内のコアなファンからも支持を集め、世界20ヶ国以上で展開されるまでになった。デンマークのコペンハーゲンで開催されるデザインの祭典「3daysofdesign」へも継続して出展し、独自の存在感を示し続けている。

多くの日本のブランドが和紙や畳といった「日本らしさ」を全面に押し出すなか、ARIAKEはあえて異なるアプローチを選択している。2026年6月に開催された同イベントでは、コペンハーゲンの古い港に位置する歴史的建造物であるAsia Houseを会場に、スペインやポルトガルなど各国のブランドとの共同展示「The House of Making」を企画。

「日本のブランドは日本らしさを全面に出していくことが多いですが、私たちはそれとはまた違った見せ方を意識しています。海外のブランドやクリエーターと協業することで、どう違いを作るか、いかに皆の心に残るかを考えて展示を組み立てています」

今回の展示では完成品だけでなく、スケッチやプロトタイプ、道具に至るまでの製作プロセスそのものを公開し、家具の背景にある物語を伝えることを意識した。さらにコラボレーションしたブランドの代表者が登壇するトークイベントを開催し、それぞれのブランドのストーリーやエピソードを共有した。

その中で、佐賀のお茶や酒を振る舞うなど、空間全体を通じた豊かな体験の提供へと繋がった。単に家具を主役として配置するのではなく、そこに集う人々が心地よく過ごせる空間の一部として捉える彼らの姿勢は、トレンドのカテゴリーに収まらないARIAKE独自の価値を確固たるものにしている。

来年10周年を迎えるARIAKEは、次の10年に向けた新たな構想を描いている。それは、世界的なインターナショナルブランドへと飛躍し、若手デザイナーの登竜門としての地位を確立することだ。

さらに、ものづくりにおいても、日本の工場だけで生産することにこだわるのではなく、イタリアやアメリカなど、それぞれの地域の材料と現地の職人の技術を活用した生産モデルの構築を目指している。「Made in Italy」や「Made in USA」のARIAKEを生み出すことで、産地の枠を超えたブランドの広がりを構想しているのだ。

佐賀の諸富という小さな家具産地から始まった彼らの挑戦は、世界中の作り手たちと繋がり合いながら、関わるすべての人をハッピーにする共創のプラットフォームへと、さらなる進化を遂げようとしている。

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