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一人ではなく、みんなで継ぐ——江戸切子華硝・3代目熊倉千砂都の非血縁継承
2026.08.11
一人ではなく、みんなで継ぐ——江戸切子華硝・3代目熊倉千砂都の非血縁継承

東京都江東区

株式会社 江戸切子の店華硝
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熊倉 千砂都

江戸切子の店華硝3代目。日本史教員を経て、30歳で家業へ。現在は非血縁による継承の仕組みづくりに取り組む。東京科学大学博士課程で、文化人類学を通した継承研究も行っている。

江戸切子

江戸切子は、江戸時代後期から東京で生産されているカットガラスの工芸品です。魚子や麻の葉など、江戸の暮らしから生まれた約20種の伝統文様が、薄いガラスに鮮明に刻まれます。庶民の日用品として愛され続けてきた江戸切子は、「庶民が育てた文化」とも呼ばれています。

江戸切子の店華硝3代目・熊倉千砂都は、日本史教員を経て家業に入り、血縁に依存しない「チーム3代目」という継承の仕組みを築いてきた。伝統の本質を問い直しながら、職人一人ひとりが主体となる新たな事業承継の形に挑戦している。
一人ではなく、みんなで継ぐ——江戸切子華硝・3代目熊倉千砂都の非血縁継承

伝統工芸の世界では、その技術は「血縁による継承」が当たり前とされてきた。

しかし、江戸切子の店華硝3代目・熊倉千砂都はその常識に問いを投げかける。工房に関わる人たち全員で伝統を受け継ぐ、「チーム3代目」という新たな形を作りあげたのだ。

原点にあるのは、歴史好きだった少女時代から変わらない「一人ひとりの可能性を大切にしたい」という想い。国賓への贈呈品にも選ばれた江戸切子の工房で、非血縁継承に挑むその歩みをたどった。

色が被せられた江戸ガラスの表面に下描きしていく「割り出し」。表面が均等ではないため、綺麗に線を描くのには技術が必要。
色が被せられた江戸ガラスの表面に下描きしていく「割り出し」。表面が均等ではないため、綺麗に線を描くのには技術が必要。

技術で選ばれ続けてきた伝統の江戸切子職人

下町情緒あふれる東京都江東区亀戸。学問の神様として有名な亀戸天神社のそばに江戸切子の店華硝がある。

「江戸切子の発祥は江戸時代、現在の日本橋大伝馬町。ビードロ屋加賀屋久兵衛が、金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻したのが始まりです」

昔は機械がなく、職人がひとつひとつ石で削っていた。明治時代になり、官営品川硝子製造所が設立されると、モーターを使って削る現在の技法が確立された。

華硝の前身である熊倉硝子工業の創業は、1946年。江戸切子職人をしていた初代熊倉茂吉が腕を認められて独立した。当時はガラスメーカーの下請けとして製造を手がけていたという。

「デザインも素材も決まっており、加工する仕事だったんですね。自分のデザインを考えられないだけでなく、技術がよかろうと金額は変わらない。2代目である父隆一は、そのことに疑問を持ち続けていました」

そこで1990年代、2代目は直販の製品を販売する江戸切子の店華硝を設立。お米の粒に見立てたカットの米つなぎなど独自の文様を考案し、芸術性と独創性を兼ね備えた作品を発表していった。

「2008年、ルーブル美術館で開かれた日本フランス交流150周年記念の展示会で華硝の江戸切子が展示されました。さらに、G8洞爺湖サミットでは訪れた各国首脳への贈呈品として米つなぎのワイングラスが採用されたんです。その優れた技術が認められ、2代目は2024年旭日単光章を受章しました」

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歴史の教員を経て、江戸切子の家業へ

江戸切子職人の娘として育った熊倉さん。家業に携わることを考えたことはなかったという。

「子どもの頃は華硝もなかったし、職人も男性しかいない。手伝いをしたこともありませんでした。今でこそ職人はかっこいいと言われますが、サラリーマンのほうがステータスが上だと、バカにされたことさえあります」

子ども時代に夢中になったのは歴史。日本史の本や漫画などを愛読し、いつか歴史の教員になることを夢見ていたという。

「どうしてこの家は3代で終わってしまったのだろうとか、なぜ徳川家康はこんなシステムを作ったんだろうとか。人間に興味があったんです。学校の科目で一番人を扱うのは歴史じゃないかなって」

「お気に入りの歴史の逸話を教えてください」と問うと、江戸時代末期に黒船が来航したときのエピソードを教えてくれた。

「老中だった阿部正弘がはじめて合議制を取り入れたことで、勝海舟が登用されて無血開城につながっていく。みんなでどうするか考えることの大切さに触れ、可能性を与えてくれる人がいればいろんな人が活躍できることに感動しました」

当時は先生の採用枠が少なく、社会の免許を取得できる学科も多いため、正規採用は難しかった。臨時教師としていくつかの学校で教鞭をとったのち、30歳で家業に入ることになった。

「夢だった担任を持ったことで先生をやりきった想いもありました。ちょうど華硝で地域資源を活用したビジネスの補助金申請を手伝うことになって。やることのあまりの多さに、入社したのです」

新参者が変化し続けることで、伝統が作られてきた

しかし、華硝に入社したことでそれまで見えていなかったさまざまな課題が見えてきた。

「会話の少ない工房だと思ったんです。先代や母の影響が大きく、ほかの職人はなかなか意見が言いづらい文化があって」

その根本にあるのは、伝統を受け継ぐ後継者候補とそうではない職人の間の格差だったという。

「先代の技術は、血のつながった男子である弟が受け継ぎます。でもそのほかの職人さんは、父の言うことを聞いて作業にあたる形になっていたんです」

さらにものづくりをする職人とそれを売る営業との間にもパワーバランスがあり、職人が圧倒的に強かった。熊倉さん自身も、弟のサポート役として営業に従事していた。

「私は人間を尊重したい。みんな一生懸命生きているのだから、上とか下とか差をつける権利は誰にもないと思っていました。でも伝統を重んじる父と相容れなくて、苦しい時期でした」

2016年に江戸硝子の始まりの地である日本橋に出店することになり、日本橋の老舗の店舗との交流が、熊倉さんの背中を大きく押してくれた。

「何百年も続く老舗ばかりで、最初は『新参者が失礼をしたらどうしよう』と萎縮していました。でも、ある日老舗の方に言われたんです。江戸は新参者が集まり作った場所なのだから、新参者しかいないんだよ。何百年経っても変わらないんだよって」

時代の流れの中で、新参者たちが変化させながら作り続けてきたものが伝統なのかもしれない。そう思ったときに、目の前の風景が開けるような気持ちになったのだという。

技術は門外不出の工房も多いなか、お客様の声に応えて14年前よりスクール事業も展開している。現在生徒は100人ほど。スクール出身の職人も多く、若き職人志望者との出会いの場にもなっている。
技術は門外不出の工房も多いなか、お客様の声に応えて14年前よりスクール事業も展開している。現在生徒は100人ほど。スクール出身の職人も多く、若き職人志望者との出会いの場にもなっている。

みんなで決める、みんなで継ぐ「チーム3代目」

2024年、熊倉さんに思いもよらないチャンスがやってくる。弟さんが体調を崩し、後継者として白羽の矢が立ったのだ。

「正直複雑な気持ちではありましたね。私は後継者としての教育を受けてきていないし、営業だったので職人の技術も持っていない。これからどうしようと思ったんです」

一人でできないのであれば、みんなで助け合いながらやっていけばいい。

技術は、一番弟子であった職人2人で「華組」として先代の技術を受け継ぐ。そして営業も職人も含めた全員が、「チーム3代目」として華硝を受け継ぐことにした。

「みんなでものごとを決めます。打ち合わせの時間をとったり、何かを相談するときはLINEグループに投げたり。それぞれが意見を言って、みんなで決めていくことが大切です」

コミュニケーションが少なかったので、飲みに行くことから始めた。趣味などを知ることで、仕事でも気軽に意見が言い合えるようになった。さらに職人も広い世界に触れることが大切と、出版社でビジネス書を読む読書会などにも、華組の2人に参加してもらうようになった。

「読書会を経て、会社のために自分ごととして考えるようになってくれて、人はこんなにも成長するんだと感動したんです。役割が人を作るんですよね」

華組の小坂さんは、2代目の隣で作業をする。削るスピードや空気感など、言語化されない身体的な技術を受け取ることができるのだという。
華組の小坂さんは、2代目の隣で作業をする。削るスピードや空気感など、言語化されない身体的な技術を受け取ることができるのだという。

本質を問い、非血縁継承の可能性をひらく

家業を継ぐ女性経営者・後継者を表彰する「第1回あとむすアワード2026」のファミリービジネス部門入賞や、「WE CHANGE AWARDS 2026」個人部門大賞など、チーム3代目の取り組みは脚光を浴び始めている。

学術的な観点から思索を深めようと、忙しい合間を縫って、東京科学大学中島岳志研究室の博士課程で、文化人類学を通して継承の研究も行っている。

「もともとビジネススクールに通っていたのですが、違和感が拭えなくて。そんな時に中島先生の『思いがけず利他』という本に出会い感動したんです。感激のあまり『伝統を受け継ぐことも利他だと思います』とお手紙を書いたことがきっかけで、大学院に誘っていただいて」

大学院で文化人類学を学ぶことで得たのは、観察やフィールドワークを通して本質やその構造を問い直す視点だという。

「継承がうまくいかないとしたら、個人ではなく構造が問題なんです。そういう観点で考えると、仕事をやってみようと思ったことも、非血縁の継承を考える始まりだったと思いますね」

この問題に向き合うために、東京・神田で「継承デザイン研究所」を始める。本業の傍ら、事業承継や非血縁の継承を支援する場を作っていく。

「継承とは、感謝して受け取り、いただくもので、どういう形で次に渡すか考え続けることだと思います。私的ではなく公的なものだと思うのです。

だからつないでいくために、本質を問い続ける。血縁にこだわりすぎるより、覚悟のある職人の何人かで継ぐほうが、伝統を壊さないことになるとも思います」

「これまで後継者になれなかった職人さんも活躍できる場や仕組みをさらに広げていきたい」と熊倉さん。チーム3代目は、新たな伝統を作り続ける。いろいろな人の可能性をひらきながら。

Text by 荒田 詩乃

#職人#東京#江戸切子#ガラス工芸#技術#歴史#文化#伝統
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