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表現者の手元には、自身の心と深く向き合い、共に歩み続ける「相棒」が存在する。
今回話を伺ったのは、伝統的な書の枠組みを超えて独自の精神性を表現し続ける書家・岡西佑奈だ。彼女が表現の拠り所として愛用してきたのは、人間国宝・9代岩野市兵衛が手がける「越前和紙」。それは単に文字をのせるための素材ではなく、自身の迷いや恐れ、その日の感情まで、すべてを暴き出してしまうものだという。
岡西にとって「自分自身を映し出す鏡」だというこの和紙との対話、そして書に向き合う原点について迫った。

6歳の静寂。周りの音が消え、自分らしくいられる時間
岡西が書道を始めたのは6歳の頃だった。「何かを表現したい」という意識はほとんどなかったという。ただ、筆を持って半紙に向かう時間だけは、不思議と周りの音が消え、自分だけの世界に入ることができた。言葉で気持ちを伝えることは得意ではなかったが、筆を持つと自然と心が落ち着いた。幼い彼女にとって、書とは「上手に書くこと」よりも、「自分らしくいられる時間を過ごすためのもの」であり、自分自身と静かに向き合える場所であった。
年齢を重ねてプロとなった今も、集中して一人の世界に入る感覚自体は変わらないと岡西は語る。しかし、幼少期と決定的に異なるのは「世界の先に誰かがいる」という感覚だ。
依頼を受け、誰かの想いや人生に寄り添う書を制作する機会が多く、その人々がこれから先、何十年とこの書と一緒に過ごすことを考えると、誰かがいるという感覚で筆を持つようになる。文字には、人の心を動かしたり、自分自身と向き合うきっかけをつくったりする力があると信じ、言葉の本質を深く見つめながら制作している。
それでも、表現者として経験を重ねるほど、岡西が「失いたくない」と強く願うものがある。それは、6歳の頃の無欲さや、無邪気にただ筆を走らせていたときの純粋な心だ。計算では生まれない線や理屈で説明できない感覚は、当時のまっすぐな心が教えてくれたものだからである。


筆を滑らせるのではない。和紙と呼吸を合わせる
そんな岡西が、自身の表現を支える「相棒」と出会ったのは、書ではなく「墨象画(ぼくしょうが)」を描いていたことがきっかけだった。墨で抽象的な世界を表現するなかで、もっと自分の表現を受け止めてくれる和紙はないだろうかとさまざまなものを試していたという。その中で出会ったのが、人間国宝・9代岩野市兵衛の越前和紙であった。
初めてこの和紙に筆をのせたときの驚きを、岡西は「筆が紙の上を滑るというより、和紙と対話しながら進んでいくような感覚だった」と振り返る。墨が一方的に染み込むのではなく、紙が呼吸をするように受け止め、線の一本一本に豊かな表情を与えてくれるのを感じたという。墨象画を追求するなかで出会った一枚だったが、今では文字を書く書においても大切な存在になっている。
この和紙は、筆圧や墨の含み方、筆を離す瞬間まで繊細に受け止めてくれる。そのため、無理に飾る必要がなく、自然体で筆を運んだときにその日らしい線が素直に表れるという。岡西にとってこの越前和紙は、「うまく書ける」というよりも、「正直に書ける」と感じられる特別な紙なのだ。

迷いも恐れもすべてを暴き出す、嘘がつけない「鏡」
しかし、すべてを繊細に受け止めてくれるがゆえに、この和紙は表現者にとって恐ろしいほどの緊張感をもたらすものでもある。
「この紙に向かうときは自分をごまかせないと感じています。技術だけではなく、その日の心の状態や呼吸までが、そのまま線に映し出されるんです」
少し焦っている日、心が整っていない日、逆に穏やかで静かな気持ちの日など、その違いがすべて線になって表れる。過去の作品を見返すと、その時の自分の心の状態まで思い出すことがあるほどだという。だからこそ岡西にとって、この和紙はただの作品を支える素材ではなく、自分自身を映し出す鏡のような存在だ。

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うれしい日も迷いのある日も、その時々の自分を正直に受け止め、線として返してくれる。この和紙に向かうたびに、作品と向き合うだけでなく、自分自身とも深く向き合っているのだと岡西は語る。筆を持つ前に自分自身を整えることの大切さを、この和紙から教えられたという。
—— 後編へ続く
次回は、和紙に託す職人への敬意から生まれたゼロウェイストの取り組み、そして作品の奥にある物語の楽しみ方に迫る。


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