



前編では、尺八演奏家・藤原道山が、初めて音を出せなかった楽器と出会い、40年近く向き合い続けてきた理由を語ってもらった。
後編では、時間と修理、身体との関係から、藤原が尺八という相棒とどう向き合ってきたのかをたどる。
修理という行為が、音を変えてしまうとき
長く使い続けている道具ほど、「直す」という行為は簡単ではなくなる。藤原道山が相棒と呼ぶ尺八は、40年近く、彼の呼吸とともに音を重ねてきた。
経年による摩耗が生じ、内部の漆には目立たない変化がいくつも積み重なっている。それらは、劣化ではない。藤原にとってそれは、ともに過ごした時間が作ってきた音の一部だ。
尺八は、竹という自然素材でできている。湿度や温度の影響を受けやすく、漆が痩せたり、ひびが入ることもある。
「普段は、自分でできる範囲の補修はします。でも、漆を扱うような修理になると、それはもう職人さんにお願いするしかないですね」
修理に出すとき、藤原は必ず、同じ言葉を添える。
「なるべく、変えないでください」
新品のように整えてほしいわけではない。今の状態をできるだけ維持してほしいのだ。修理から戻ってきた尺八に息を入れた瞬間、わずかな違和感を覚えることがある。
「悪くなっているわけじゃないんです。でも、少し違うな、って」
音の立ち上がり。音の入り方。指に返ってくる、わずかな感触。その違いは、説明しがたい。だが、長く向き合ってきた身体はそれを確実に捉える。
藤原が求める修理とは、整えること。積み重ねてきた時間をどこまで残せるかという問題でもある。
「そのさじ加減が、難しいんです」

良いヘタリ感を残すという選択
長く使い続けることで、楽器の内部は少しずつ変わっていく。
「昔よりも、強く吹かなくても音が立ち上がるようになった気がします」
それは劣化ではなく、身体に馴染んだ変化だ。藤原は、“良いヘタリ感”という言葉を使う。新品の頃の鋭さとは違う。だが、今の自分の呼吸に合う。
だから最近は、むやみに修理に出さない。壊れないよう丁寧に使い、時間が刻んだ変化をそのまま引き受ける。
だが、あるときその時間が止まった。コロナ禍で演奏機会が減り、しばらく吹かなかった一本が割れた。
「楽器より、自分にショックでした」
吹き続けること。息を通し続けること。それ自体が、相棒との関係を保つ行為だったのだと気づかされた。


一本一本、楽器の性格が違う
同じ形に見えても、尺八は一本一本がまったく違う。
「専門的に言えば、倍音の構成が違うんです」
同じ音程でも、どの成分が強く鳴るかによって音色は変わる。長さがわずかに違うだけでも、同じ音が別の表情を持つ。
「だから曲によって楽器を選びます」
コンサートでは、1曲の中で何本もの尺八を使い分けることもある。
「この曲のこのパートは、この楽器の音色が一番合う、という感覚があるんです」
楽器に合わせて吹き方を変えるのではない。最初から、その楽器が生きる位置に自分を置く。五線譜には音程は書かれているが、音色は書かれていない。どの楽器で、どんな響きを選ぶかは演奏者に委ねられている。
「今日はこの楽器だ、と決める瞬間があります」
その判断もまた、その日の呼吸と無関係ではない。

変わらない一本があるということ
年齢とともに、身体は確実に変わる。息の入り方も、回復の速さも、昔とは違う。
「音を無理に変えようとするより、まず自分の呼吸を整えることのほうが多いですね」
相棒を変えないという選択は、変化を拒むことではない。むしろ、変化を測るための基準を持ち続けることだ。
変わらない一本があるからこそ、その日の自分の違いが分かる。音は、その日の身体の結果として立ち上がる。
藤原にとって相棒とは、時間を引き受け続けるための基準なのだ。


取材当日、藤原さんは和装で現れ、雪駄まできちんと用意されていた。撮影の合間に見せる笑顔は柔らかく、コンサートで見た凛とした姿とは、また違う表情だったのが印象に残っている。
尺八や音楽の話になると、言葉を選びながら、少し少年のような目をして語ってくれた。舞台の上で圧倒的な存在感を放つ一方で、道具や音に対しては、驚くほど丁寧に、静かに向き合っている人だった。
「藤原道山尺八コンサート」が愛知(2026/6/26)、大阪(2026/7/4)、東京(2026/7/10)にて開催。尺八とピアノのデュオで、ジャンルを超えた名曲の数々にオリジナル楽曲を交えたプログラムをお届けします。
公演の詳細はこちら:https://dozan.jp/concert/
また、デビュー25周年記念アルバム「邂 Kai」が発売中。
詳細はこちら:https://do-market.stores.jp/items/67d306f799747d63a81406d0

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