



竹は古くから日本人の暮らしに寄り添い、籠や道具、建築材など、さまざまなかたちで用いられてきた身近な素材である。一方で、美術工芸としての竹工芸は、緻密な手仕事と造形感覚によって成り立つ奥深い世界でもある。
今回話を伺ったのは、神奈川県で唯一の工芸分野における人間国宝、竹工芸家・藤塚松星さん。見る角度によって色が変わる独自の技法「彩変化」で知られる藤塚さんは、どのようにして竹工芸の道へ進み、その表現にたどり着いたのか。
第1回では、代表技法「彩変化」誕生の意外な原点と、星を愛した青年が竹と出会うまでの歩みを聞いた。

魔法のような「彩変化」の意外な原点
竹という自然素材が、見る角度によって鮮やかにその色を変える。右から見ると紫色に染まっていた作品が、視点を左に移していくと、いつの間にか漆黒へと反転している──。
これが、神奈川県で唯一の工芸分野における人間国宝(重要無形文化財保持者)、竹工芸家・藤塚松星さんの代表的な技法「彩変化(さいへんげ)」である。
伝統工芸の世界において、緑や紫といった鮮やかな色彩を用いることが異端とされた時代から、独自の表現を追求し続けてきた藤塚さん。彼の代名詞ともいえるこの魔法のような技法は、厳格な竹工芸の修業のなかで閃いたものではなかった。実は、彼がまだ竹の「た」の字も知らなかった青年時代、満員電車からの風景に端を発している。
「20歳ぐらいのときにある看板を見て、面白いなと思ったのが、頭のどっかにずっとあってね。それを30年ほど経ってから、ふっと思い出したんです」
藤塚さんは、何気ない表情を浮かべつつ振り返った。
1970年代初頭。東海道線で品川へと通勤していた若き日の藤塚さんは、線路沿いに立つ巨大な看板広告に目を奪われた。三角柱が横に並び、一定のタイミングでクルリと回転することで、別の絵柄へと変わる看板だ。
「え、一瞬で変わるの面白いな」
ただその純粋な驚きは、藤塚さんの心の奥底にしばらくの間眠ることになる。
それから約30年の歳月が流れ、竹工芸家として独立を果たしていた藤塚さんに、ふとそのときの記憶が思い起こされた。竹ひごといえば、平たいものか丸いものが常識だ。しかし、もし竹ひごを「三角形」に削り、その頂点を正面に向けて組み上げたらどうなるか。右側と左側の面を別々の色に染め分ければ、あのときの看板のように、見る角度で色が変わるのではないか。
ある程度の幅に割った竹を黒く染め、両側と裏を削って白竹を出す。それをさらに対角線上に削って三角形のひごを作り出し、頂点を正面に向けて組み上げる。誰もやったことのない、緻密な計算と手作業の末、2004年に初の「彩変化」作品が誕生した。伝統工芸の枠組みを拡張したこの革新的な技法は、ひとりの青年の通勤風景におけるささいな発見から生まれたものだった。
では、なぜ当時品川へと通っていた藤塚さんは、竹工芸の世界へと足を踏み入れたのか。そこには、美しい運命の導き……とは少し違う、きわめて現実的な「挫折と決断」があった。

星空に魅せられた青年と「道楽」からの脱却
北海道深川町(現・深川市)で生まれ、神奈川県大磯町で育った藤塚さんは、図画工作が一番苦手な子どもだった。絵を描くのが嫌いで、好きなのは音楽と体育。そして何よりも、「星空」を愛していた。
「天文学者になりたい、天文台に勤務できたらいいなと思ったけど、どうもあれは相当頭のいい人じゃないとなれない。いや、それはもう無理だろうっていうことでね」
高校卒業後、音楽好きが高じてレコード会社に就職。カラヤンの『運命』や沢田研二が所属していたザ・タイガースなどのレコードを一日中聴いては、傷がないかをチェックする日々を送るが、「これを一生の仕事にするのは違う」と感じ、退職を決意した。
そして、やはり星への思いを断ち切れず、天体望遠鏡などを扱う光学機器メーカーのサービスセンターに転職する。勤務地は池袋のパルコ。そこでは「天文指導員」として子どもたちに星の魅力を教えるなど、充実した日々を送っていた。
しかし、ある出来事が藤塚さんの運命を大きく変える。サービスセンターには、子ども連れの親が望遠鏡を買いにくる。藤塚さんは、高価な望遠鏡を小学生に買い与えても使いこなせず無駄になると考え、あえて安価で適当なものを薦めて売っていた。それを見た本社から視察に来た部長が、藤塚さんを呼び出してこう叱責したのだ。
「お前、道楽でやってるんじゃないぞ!」
その言葉が、藤塚さんの胸に深く突き刺さった。
「あぁ、俺、実際これは道楽でやってんだよなと思ったわけですよ。やっぱり好きなことはね、仕事にはするもんじゃない。道楽にはしていられないから」
音楽が好きだからレコード会社へ。星が好きだから望遠鏡メーカーへ。自身の「好き」をそのまま仕事にしてきた藤塚さんだったが、ここで大きな転機が訪れる。

夜に星を見るため。池袋パルコでの運命的な出会い
「夜星を見るために、まったく別の仕事をして収入を得たい。昼間は寝ていて、夜は星を見る。それならサラリーマンはできない、自営業しかないと思ったわけですよ」
自営業ならば、自分の裁量で時間が作れる。夜通し星を見ることができる。そのためには、何か手に職をつけなければならない。宮大工もいいかもしれない、などと模索していたある日の休憩時間。勤務していた池袋パルコの1階上にあった、竹工芸品を扱う店舗にふらりと立ち寄った。
そこで何気なく覗き込んだ、ひとつの丸い竹籠。
「これって、どこから編み始めてるんだ?」
図画工作がもっとも苦手だったはずの青年の心に、純粋な知的好奇心が芽生えた瞬間だった。
「これはもしかしたら、どっかのおじいさんに教わったらできるかもしれないって。家へ帰って昼間は籠を作って、夜は星を見てなんてことを考えたわけですよ」
のちに人間国宝にまで上り詰める藤塚さんの竹との出会いは、「星を見る時間の確保」というきわめて不埒な考えによるものだった。
竹のことなど何も知らない。工芸品に触れたこともない。ただ「夜に星を見たい」という情熱だけを胸に、23歳の藤塚さんは竹工芸の門を叩く決意をする。 しかし、ようやく探し当てた日展作家の師匠が、初対面の彼に放った第一声は、思いもよらないものだった。
(第2回「『やめておけ』と言った師匠──ある初対面の話」へ続く)







