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「無言の対話」で切り拓く、伝統と現代をつなぐ鎌倉彫の新たな境地
2026.01.26
「無言の対話」で切り拓く、伝統と現代をつなぐ鎌倉彫の新たな境地

神奈川県鎌倉市

鎌倉彫後藤久慶ギャラリー
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後藤 久慶

鎌倉彫後藤久慶ギャラリーの当主であり、美術家としても活動する鎌倉彫の作家。漆芸や彫刻を軸に作品制作を行い、展覧会の開催や寺院での仏具制作・修復、学校でのワークショップを通じて鎌倉彫の普及に取り組む。

鎌倉彫

木地に彫刻刀で文様や立体的な造形を施し、その上から漆を何度も塗り重ねて仕上げる工芸品である。素材には主にカツラ材やシナノキなどの木材と漆が用いられる。器や硯箱、皿など日常使いの道具として用いられ、装飾性と耐久性を兼ね備える。

鎌倉彫後藤久慶ギャラリーの当主であり、仏師・運慶の29世孫にあたる後藤久慶さん。20歳という若さで先代である父を亡くし、師を失った後藤さんが、いかにして独自の境地を切り拓き、現代の暮らしに調和する作品を生み出すに至ったのか。そこには、先代、先々代が遺した作品との無言の対話があった。
「無言の対話」で切り拓く、伝統と現代をつなぐ鎌倉彫の新たな境地
鎌倉彫後藤久慶ギャラリーの当主であり、仏師・運慶の29世孫にあたる後藤久慶さん。20歳という若さで先代である父を亡くし、師を失った後藤さんが、いかにして独自の境地を切り拓き、現代の暮らしに調和する作品を生み出すに至ったのか。そこには、先代、先々代が遺した作品との無言の対話があった。伝統の継承者としての責任を胸に、次の世代を見据えて歩み続ける職人の軌跡を追う。

宿命との対峙、あるいは冒険の始まり

鎌倉・鶴岡八幡宮のほど近く、静謐な空気が流れる場所に後藤久慶さんの工房はある。明治期に曾祖父がこの地を求めて以来、代々鎌倉彫の歴史を刻んできた場所だ。後藤さんは幼い頃から周囲に「跡取り」と呼ばれ、漠然とその宿命を感じながら育ったという。

中学卒業を控えた春、先代である父に呼び出された後藤さんは、進路について問いかけられる。「鎌倉彫をやるんだったら、もういくらなんでも始めないと遅い」。先代はわずか4歳で父(後藤さんの祖父)を亡くし、6歳から修業を始めている。

幼くして多くの職人を抱える家の長となるべく、「早く一人前になれ」という重圧の中で育った先代は、息子には同じ苦しみを味わわせたくないと思いながらも、伝統を絶やすわけにはいかないという葛藤の中にいたのだろう。沈黙を破るように発せられた父の言葉に、後藤さんは「よろしくお願いします」と答え、職人への道を歩み始めた。

ギャラリー内には後藤さんの作品のほか、歴代の作品が展示されている
ギャラリー内には後藤さんの作品のほか、歴代の作品が展示されている

修業の初手は、彫刻刀を握ることではなかった。先代が課したのは、徹底した基礎の習得である。「デッサンを10年、その間に粘土を使って立体を把握できるようにしなさい」。来る日も来る日もデッサンと塑像制作に明け暮れる日々。

美術予備校に通い、家では父に指導を仰ぐ。未知の世界への好奇心と、跡取りとしての責任感が交錯するなかで、後藤さんは鎌倉彫の土台となる造形力を養っていったと語る。

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突然の別れ

修業を始めて5年目、後藤さんが20歳を迎えたとき、師であり父である先代が病により急逝した。

まだ基礎を固める段階であり、鎌倉彫の核心的な技術や精神を十分に教わる前の別れだった。先代が亡くなった後、後藤さんは彫刻科のある学校へ進んだが、そこで学んだのは一般的な彫刻であり、鎌倉彫特有の技法ではなかった。卒業して工房に戻ったとき、彼を待っていたのは主を失った作業場であり、未熟な自分自身だけがそこにいた。

「何もできなかったんで、どうしようってただただ不安でした」。教えてくれる人はもういない。逃げ出したくなるような不安と孤独。「もうやめてしまおうか」。そんな弱音が頭をよぎることも一度や二度ではなかったという。

暗闇の中で彼を支えたのは、先代を知る職人たちの存在と、父が遺した作品そのものだった。後藤さんは父の作品を見よう見まねで模刻し、それを塗りの職人のもとへ持ち込んだ。職人は多くを語らず、ただ黙って作品を手に取り、撫で回す。「お父さんの方が彫りは柔らかいね」。その一言が、後藤さんにとっての道しるべとなった。

柔らかいとはどういうことか。後藤さんは父の作品と自分の作品を交互に触り、指先の感覚でその違いを探り続けた。言葉で教わることのできない領域を、父の遺作との対話を通じて、感覚として身体に刻み込んでいく。それは、終わりの見えない、手探りの旅路だった。

左から当代作、二代作、初代作
左から当代作、二代作、初代作

無言の師「達磨(だるま)」との対話

技術的な模索が続くなか、いつも答えをくれるのは硯箱に彫られた達磨だったと語る。

この達磨には、後藤家の歴史そのものが刻まれている。最初に達磨を彫ったのは、幼くして亡くした祖父(初代)への想いを込め、香合に親子の達磨を彫った。その後、先代は病弱だったこともあり、家庭を持たず仕事に身をささげる覚悟を込めて1人の達磨を彫った。

しかし厄年を過ぎ、「ここまで無事に生きられたのだから」というある和尚さんの勧めもあり、縁があり結婚し、後藤さんが生まれたとき、改めて大きな達磨を二代自身に、小さな達磨を後藤さんになぞらえて、硯箱に親子の達磨を彫ったという。

一見するとおおらかな造形に見える達磨だが、実際に彫ってみると、わずか数ミリの厚みの中に豊かな立体感と表情が凝縮されていることに気づく。コロンとした体の量感、顔の表情、余白の取り方。そこには鎌倉彫に必要とされる要素のすべてが詰め込まれていた。

親と子、師匠と弟子の姿になぞられた「達磨」
親と子、師匠と弟子の姿になぞられた「達磨」

現代への挑戦と次代へのバトン

鎌倉彫を取り巻く環境は厳しさを増している。文化財修復への優先供給により国産漆が入手困難となり、材料となるカツラの木も枯渇しつつある。後藤さんは北海道産のシナノキを試すなど、新たな素材への転換を模索しているが、100年後の耐久性については未知数な部分もあり、葛藤は尽きない。また、木地を作る職人の高齢化と後継者不足も深刻な課題だ。

それでも後藤さんは、未来を見据えて動き続けている。地元の小中学校で鎌倉彫の授業を行い、子どもたちに「じぶんの宝物」をモチーフにした作品づくりを教えている。子どもたちの発想は自由だ。通学路で見かけるドジョウの家族や、野球ボールなど、大人の常識を超えた図案が次々と生まれる。長く使える鎌倉彫を通して、自分にとって大切なものを形にする体験こそが、伝統工芸の価値を次世代へ伝える「種まき」になると信じている。

月の満ち欠けを表現した鎌倉彫の銘々皿
月の満ち欠けを表現した鎌倉彫の銘々皿

また、後藤さんの家庭でも新たな継承の物語が始まろうとしている。息子さんが鎌倉彫の道を志す意思を示しているのだ。「いい形でバトンを渡せるようにしなきゃな」。そう語る後藤さんの表情は、かつて不安に押しつぶされそうだった若き日のそれではなく、伝統を背負い、未来へとつなぐ当主としての覚悟に満ちていた。

最後に後藤さんにとって鎌倉彫とは何かと尋ねると、「道しるべ」だと答えた。彫刻を仕事とする家に生まれ、逃げずに懸命に取り組むなかで見えてくる指針。

歴代の作品が後藤さんを導いたように、これからも鎌倉彫は使い手の暮らしに寄り添い、100年の時を超えて誰かの生きる指針となっていくのだろう。伝統とは、時代を超えて人の想いをリレーしていく営みそのものなのだと教えてくれた。

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