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1000年もつ紙と、100年で崩れる紙。その差は「和紙だから」ではなかった【前編】
2026.10.30
1000年もつ紙と、100年で崩れる紙。その差は「和紙だから」ではなかった【前編】

稲葉 政満(いなば まさみつ)

東京藝術大学 名誉教授/和紙文化研究会 会長

1000年前の紙が読める一方、100年前の本は崩れていく。東京藝術大学名誉教授の稲葉政満先生は、紙の劣化と保存を40年にわたり研究してきた。1807年に紙が酸性になった経緯、同じ酸性紙でもアメリカ9割・日本3割と劣化に差が出た理由、そして「韓紙8000年・和紙1750年」という数字の裏側。紙の寿命を決めるものを科学の目で読み解く。
1000年もつ紙と、100年で崩れる紙。その差は「和紙だから」ではなかった【前編】

1000年前に漉かれた紙の上の文字が、いまも読める。その一方で、100年前の本は、開いたとたんに縁が崩れていく。同じ「紙」でありながら、なぜこれほどの差が生まれるのか。「和紙は特別だから」と言ってしまえば簡単だが、それでは何も分かったことにならない。

東京藝術大学名誉教授の稲葉政満先生は、40年にわたって紙質文化財の劣化と保存を研究してきた。専門はもともと林産学。1984年、藝大の保存科学教室に助手として赴任したのは、平山郁夫教授の「紙の研究者がよい」という言葉が理由だったという。

「最初は教室の教授と面接をして、2度目は平山教授と一対一の面接をして採用という、いまでは考えられないような採用の仕方をされました」

赴任しても、何をすべきかは決まっていなかった。藝大にいるのだから、対象にするとなれば和紙だろう。そう考えて、徳島の手漉き和紙のワークショップに5日間通うところから始めた。今回は前後編にわたって、稲葉先生の研究から「紙の寿命」を読み解いていく。

酸性紙で劣化した洋書
酸性紙で劣化した洋書

1807年、紙は酸性になった

紙が短命になった年は、特定できる。もともとは、洋紙もリネンやコットンのぼろを原料とする良質な紙だった。にじみ止めは、膠にごく少量のミョウバンを加えた液に紙を浸し、もう一度乾かす。手間はかかるが、それで紙が強い酸性に傾くことはなかった。

その手間を省く方法が、1807年に生まれる。繊維の懸濁液にロジンとミョウバン(のちに硫酸アルミニウム)を混ぜ込み、漉く段階でにじみ止めまで済ませる「内添サイズ」だ。工業的には優れた方法だったが、漉き上がった紙は酸性を帯びていた。国立公文書館の調査では、pH3を示す紙まで見つかっている。

「pH3ですから、舐めたら酸っぱいような紙ができてしまい、つい最近までは、非常に酸性の紙が多かったということです」

紙の劣化状態を年代別に調べると、劣化のピークは1890年ごろに製造されたものに現れる。内添サイズが普及し、原料の質も落ちた時期と重なる。

「図書館の人は、本を大事に書庫にしまっておけば永久に本は残ると思っていたんですね。ところが酸性紙は、普通の環境でもかなり早くに傷んでしまう。特に環境が悪ければ、あっという間に劣化が進んでしまうということが分かり、焦ったわけです」

1980年代半ば、この事実は図書館と文書館を揺さぶった。書庫にしまっておけば本は残る、という前提が崩れたのだ。「酸性紙問題」である。

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繊維の劣化の模式図。結晶部と非晶部があり、劣化は非晶部で進む(画像提供:稲葉政満先生)
繊維の劣化の模式図。結晶部と非晶部があり、劣化は非晶部で進む(画像提供:稲葉政満先生)

同じ酸性紙が、アメリカでは9割、日本では3割

稲葉先生が長く気にかけてきたデータがある。1890年ごろの洋書の劣化を調べると、アメリカの図書館では9割近くが劣化していたのに対し、日本の国会図書館などでは3割近くにとどまっていた。同じような紙で、何が違ったのか。

「アメリカはお金持ちで、館内はかなり暖房を効かせていたと思うんですね。ただし加湿はしていないので、カラカラに乾く過乾燥による劣化が進んだのではないか、と想像しています」

紙の劣化には、酸によってセルロースの鎖が切られる「酸加水分解」、鉄タンニンインクなどが引き起こす「酸化劣化」、そして乾燥で進む「角質化」がある。セルロース繊維には、分子がきれいに並んだ結晶部と、配列の乱れた非晶部がある。紙のしなやかさを担うのは非晶部だが、隙間があるぶん水も酸も入り込む。乾燥すると隙間から水が抜けて縮み、隣の分子どうしが結びついてしまう。一度つながると、もう離れない。この現象は、繊維中のセルロース束どうしでも生じる。

「お肌の角質化と同じで、硬くなってくるんですね」

先生はこれを「手つなぎ鬼」にたとえる。

「大人で手つなぎ鬼をしている中に、子どもが一組だけいるとします。強く結びついた大人が頑張ってしまうと、結合力の弱い子どものところに負荷がかかってしまって、簡単に壊れてしまう。同じぐらいの力で手をつないでいるような子どもだけだったら、みんなが少しずつ我慢するので結構頑張れるんですけども」

角質化が進んだ紙も、ちょっとした力で一番弱いところから壊れていく。紙は酸だけで傷むのではなく、置かれた環境もまた同じ紙の運命を分けるのだ。

楮紙の表面の電子顕微鏡写真(SEM photo: M. Inaba)(画像提供:稲葉政満先生)
楮紙の表面の電子顕微鏡写真(SEM photo: M. Inaba)(画像提供:稲葉政満先生)

「韓紙8000年、和紙1750年」は、何を測っていたのか

2015年、韓国で「韓紙の耐久性は8000年、和紙は1750年」という数字が報じられた。稲葉先生は、元のデータを読み解けば両者に差はない、と指摘する。

「報道一般に言えることですけど、都合のいいところだけ取るということに尽きる事例です」

和紙は産地も製法も分からないまま「◯◯紙」の名で流通することが多く、厚みもばらばらだ。そこで、製法がはっきりして厚みも揃ったものに番号をつけて売り出したのが、K35、K43といった手漉き楮紙だ。海外の修復家に広く使われ、イタリアのカタログにも載るほど定着している。

ところが報道が比較に用いた「楮紙」は出所が分からず、pH6.0の酸性紙だった。まっとうな作り方をしていれば、ありえない数値だ。

良質な日・韓の楮紙どうしを比べれば、セルロースのつながりの長さ(重合度)に差はない。こういった数字は、何と何を比べたかで、いくらでも変わってしまうのだ。

楮紙と針葉樹化学パルプ紙(今の洋紙)の、引裂強さと引張強さの比較<br>楮紙は紙によって強さの幅が大きく、化学パルプの紙では届かない強さのものも多い(画像提供:稲葉政満先生)
楮紙と針葉樹化学パルプ紙(今の洋紙)の、引裂強さと引張強さの比較
楮紙は紙によって強さの幅が大きく、化学パルプの紙では届かない強さのものも多い(画像提供:稲葉政満先生)

重合度700という「境目」

では、紙の寿命はどう測るのか。指標は時代とともに変わってきた。何回折れば切れるかを見る耐折強さ、引裂強さ、そしてセルロースがどれだけ長くつながっているかを示す重合度である。

紙にガンマ線を当てて鎖を切っていくと、重合度はどんどん下がる。ところが耐折強さや引裂強さは、しばらく変わらない。重合度700前後を切ったところで、強度は急激に落ちる。

「高分子の先生にも聞いたところ、だいたい700になるところが高分子なのかそうでないのかの境目ということでした。逆に言うと、劣化してもこの700を切らないようなマージンがあればあるほど、寿命としては長くなる」

重合度2000の紙が半分に劣化しても、まだ1000ある。重合度1000の紙が半分になれば500まで落ち、強度は大きく低下する。同じだけ傷んでも、出発点の余裕が寿命を分ける。

では、その余裕はどこで生まれるのか。答えは原料の種類ではなく、繊維を煮る工程にある。後編では、職人が経験の中で選び取ってきた手順が、なぜ紙を1000年もたせたのかを追う。

トップ画像:顕微鏡で見る楮(こうぞ)の繊維(画像提供:稲葉政満先生)

#和紙#酸性紙#紙の寿命#保存科学#文化財保存#セルロース#楮
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