

水害との闘いから始まった「かなものの町」燕三条
最初に「かなものの町」と呼ばれる燕三条について、その理由を教えてください。
昔、この辺りは水害がとても多い地域でした。水害が起こると農家はダメになってしまいます。この事態に対応するため農家の人々は、農業以外の仕事として釘をつくったんです。そこから鍛冶屋さんが始まっていったといわれています。
ここまでなら大阪での包丁や高知の鉈など他の産地と同じですが、燕三条には問屋さんが多かったのです。そのため東京や大阪で何が売れているかの情報が入ってきやすく、問屋さんからの要望に応えていくうちにいろいろなものをつくる鍛冶屋さんが増えていきました。
ここ当社も、林業関係の刃物、包丁とさまざまなものをつくっています。
工房の数は現在どのくらいあるのでしょう?
このエリアだと30いかないくらいでしょうか。昔はもっと多くの職人が活動していて、包丁屋さんだけでも薄いものだったり厚いものだったりと、それぞれ専門にしていた工房があったんです。
今は後継者不足で工房は減ってきていますね。
昔と違って、社会的に労働環境が変わってきていますし、汚れが多い業種でもあるので、新しい人が入ってこなくなったのが現状です。
鎌から鉈、そして包丁へ 日野浦刃物工房110年の歴史
そうしたなかで御社にはどのような歴史があるのでしょうか?
創業は1908年ごろで、歴史としては110年ほどとなっています。
創業時は草刈り用の鎌の製造が多く、2代目からは鉈をたくさんつくるようになりました。3代目は量を作るだけではこの先は残っていけないと思い、冶金学を勉強し品質の向上を高めました。その後4代目の私の代から包丁が多くなり、現在は7割が包丁で3割は鉈という状況になっています。
当工房としての特徴は鍛造をして成形していることです。鍛造をすると、金属を構成する粒が細かくなり、密度が高くなることで硬い鋼でも研ぎやすく、欠けにくく、長切れする刃物になります。
近年、日本の刃物はとても人気で海外の方にも求められるようになってきました。そういった状況を受けて刃物づくりは業界として大きく変化していったのです。具体的には大手会社では鉄板をレーザーで形を抜く、熱処理という外注が主流となりました。
そうした背景から、日野浦刃物工房では完成まで一貫した鍛造を経た刃物づくりを大切にしています。
ブランドとしては「越後鍛冶味方屋」と「越後鍛冶司作」の2つのブランドがあります。2つのブランドはより多くの信頼を得るための製品づくりをする事と、「越後鍛冶司」については製造工程にもこだわる事によってより多くのファンを得ています。

刃物とは切っても切れない関係
包丁をつくる上で、日野浦さんはどのような想いを大切にしているのでしょう?
包丁を飾ったときによく見えて欲しくなるようなものづくりを心がけています。
包丁は使っていただいて始めて価値が発揮されるものです。だからこそ、使う人が使いたくなるような、自分の包丁がかっこよく見えるような、そんな包丁づくりを心がけているんです。
よく見えるということを説明するのは難しいのですが、仕上げにも形にも厚みにも気を遣っていて、たとえば「右と左の包丁どっちが良いですか?」といわれた際に選びたくなるというようなイメージです。
こうした包丁をつくる技術を習得してもらうために、職人全員に全ての工程をできるようになってもらいたいと考えています。たとえば自分が鍛造した鋼を別のスタッフが削る、そしてその削ったものをまた別の職人が加工する。
そんなふうにして、次の工程の際にどんな仕上がりだったらいいか、逆にどんな仕上がりだったら困るのかを想像して作業してもらっています。
日野浦さんにとって、刃物とはどういう存在なのでしょう?
切っても切れない関係ですね、刃物だけに(笑)
私は今が一番楽しいんです。私はまさか包丁をつくるなんて思ってもいませんでした。当社ではずっと鉈を作っていて、私はその製造をしていたのです。
しかし20年ぐらい前でしょうか。ドイツの展示会に出展をする機会があり包丁をつくりました。それからというもの「包丁をつくってほしい」と要望をいただくようになり、今のように包丁づくりをするようになったのです。
想像していなかったといえば、職人たちもそうで、まさか3人もの職人を抱え一緒に仕事をするなんて思ってもみませんでした。私は長男なので後を継ぎましたが、うちの職人たちはおのおの理由があって、SNSやWebページの人材募集のお知らせを見て、うちに来てくれています。
今年は彼らとオランダ、台湾、ニューヨークを一緒に回り、来年もすでに2か国、海外に行くことになっていて、本当に恵まれていると思っています。
包丁は今世界的に人気で、大量的に作られた包丁ですら日本製とうたえば4〜5万円で売れてしまう。
そんな状況だからこそ私としては、この先もし売れなくなったときのために備えておきたい。そういった状況で残るのは、ここまで自分が磨いてきたものづくりの心だと思っています。しっかり鍛造して刃物づくりすることこそが、私にとって一番大切なんです。

閉鎖的な業界だからこそ、業界のことを伝えていきたい
最後に今後について教えてください。
夢はいっぱいありますが、まずやりたいのは問屋の機能を持つことですね。
今は販売に関してまず問屋さんに品物をお納めし、問屋さんから小売店さんへ卸していただいているという構図で事業を行っています。しかし今の世界的な人気を鑑みると、自社で問屋業の機能を持った方がいいと考えています。
今ですら工房に包丁を買いに来る方がいらっしゃるくらいなので、当社で問屋やショップをできれば、お客様にとってもわかりやすくなると思うんです。
この業界は閉鎖的で、たとえばSNSをやっている方なんかはほとんどいらっしゃいません。そのため一般の方からすると、どんなものをつくっていて、どんな工程があって、どんな楽しさがあるかが想像できないんじゃないかと感じています。
しかし、実際仕事をやってみるととても楽しいですし、海外に行くことだってできます。オランダではお子さんが私に会うために自分で作った包丁を持ってきてくれたこともありました。
そういった経験は日本ではなかなかできません。世界を巡ることは、私にとって思考の幅が広がる経験でしたし、うれしい出会いがあった場でもありました。
この業界は、業界として技術を学ぶ仕組みがないという点を変わっていかなければいけないと思うこともありますが、貴重な経験もできる業界なんです。なので、ぜひたくさんの方に、鍛冶屋さんという業界について知ってもらえればと思っています。
Text by タカハシ コウキ






