for fontplus
Illust 3
Illust 1
記憶を生かすということ──時代着物、その先にある時間へ(岡本レーナ)
2026.05.26
記憶を生かすということ──時代着物、その先にある時間へ(岡本レーナ)

岡本レーナ

テキスタイルアート「ikasu」を手がけるアーティスト。アンティークやヴィンテージの時代着物を生かし、伝統工芸と現代デザインを融合させた作品を制作している。

役目を終えた時代着物を再構築し、「時間を超えて存在し続けるアート」として生かすテキスタイルアート「ikasu」。着物に宿る記憶や技術、物語を現代の空間へ翻訳し、次世代へ受け継がれる作品制作を行っている。
記憶を生かすということ──時代着物、その先にある時間へ(岡本レーナ)

役目を終えた着物から、時間を受け継ぐ形へ

私たちより長く生きてきた着物というテキスタイル。そこには時代ごとの美意識、高度な染織技術、手仕事による愛情が凝縮されています。

それらは現代では「着られないもの」として、静かに消えていっています。
保管されることで守られているように見えて、実際には使われる機会を失い、多くの人の人生から切り離されていっています。

その状態は「保存」と呼ぶにはあまりにも静的で、不完全なものに感じられました。

なぜこれほどの美と技術が、「過去のもの」として終わらなければならないのか。
なぜ触れられず、見られず、語られなくなっていくのか。

私の活動は、この問いから始まっています。
着物という素材を再定義し、「時間を超えて存在し続けるアート」として再構築する試みです。

作品名:Cranes through Generations
作品名:Cranes through Generations

テキスタイルに宿る時間と向き合う

世界は、速く進み続けていると感じています。新しいものが価値とされ、古いものは静かに役目を終えていきます。けれど、テキスタイルは、誰かの手の温度や、暮らしの気配、言葉にならなかった記憶を、そのままそこに残しています。

私は、物が簡単には手に入らない環境で育ちました。食べ物も、服も、道具も、すり減るまで使いました。穴が開けば繕い、汚れが落ちなければ雑巾にし、朽ちたものさえ土に返し、次の命を育てました。

何も無駄にしませんでした。無駄にはできませんでした。

だから、アップサイクルは装飾的な言葉ではなく、「まだ終わっていない」と受け取るための態度を表す言葉だと思っています。多くを持つことや、速く進むことに重きをおくと、人は少しずつ余白を失っていくと思います。余白を失って辛さを感じるのは悲しいことです。

だからこそ、ときどき立ち止まり、「足る」を思い出すことが必要だと感じています。

作品は主張のためではなく、日常の中でふと目に入ったときに、呼吸を整えるための存在であってほしいと願っています。

Illust 2
石塚染工。染色技法の学び。
石塚染工。染色技法の学び。

着物との出会い、日本の美の力強さ

私は日本で生まれ育ったわけではありません。だからこそ、日本の文化に対して“当たり前”という感覚を持たずに向き合うことができたと思っています。

時代着物に初めて触れたのは、日本人の義理の母の家でした。桐たんすの中に、大切に保管された着物が何十着も収められていました。数十年も使われることなく眠っていたそれらを一着ずつ広げたとき、その美しさと、手描きや刺繍の圧倒的な技術に言葉を失いました。

最初に感じたのは、「美術館で展示されるべきものではないか」という驚きでした。

しかし義理の母は、それは特別なことでなく、日本中の多くの家庭で同じように保管されているものだと教えてくれました。私にとってその着物は、衣服というよりも「美の塊」に見えました。色、構図、モチーフ、余白、文様に込められている意味、そして使われてきたストーリー。

すべてに思想があり、時間が積層していました。

美もストーリーも技術も宿している時代着物。しかし、現代ではそれを“欲しいと思う形”に翻訳できていないと感じました。だから私は、「保存」ではなく「変換」を選び、テキスタイルアート「ikasu」を始めたのです。

作品に使われた日本刺繍の帯
作品に使われた日本刺繍の帯

ikasuという思想 ── 大切にしていること

ikasuという名前には「生かす」という意味が込められています。素材を再利用するだけではなく、過去の記憶を現在に接続し、未来へ再構築することです。

制作では、着物を一度ほどき、パーツごとに見直しながら再構成していきます。異なる時代、異なる持ち主のもとにあった生地が、一つの作品の中で出会います。

作品制作においては、その生地がどのような時間を過ごしてきたのかをできる限り想像し、それに向き合うことを大切にしています。もし持ち主の方のお話を伺える場合には、どんな場面で使われていたのか、どのような想いが込められていたのかを聞かせていただくこともあります。

また、織物工場や染色工場を訪ね、当時の技術や作り手の意図に触れることで、着物を単なる素材としてではなく、背景ごと理解することを意識しています。作品には、時代着物の生地に加え、桐たんすの古材を用いた額装、金箔、和紙、アクリルなどの素材を使用しています。特に桐たんすの古材は、着物を守ってきた存在でもあり、その時間ごと作品に落とし込むための重要な要素です。

異なる時代の素材を重ねることで、時間の層を可視化します。

桐たんすの古材で作られた額
桐たんすの古材で作られた額

さらに、柄に込められた意味や、作品を受け取る人の想いを重ねながら構成していくことで、一つひとつの作品が持つ物語の輪郭を丁寧に立ち上げていきます。

たとえば、松や鶴には長寿や繁栄、梅には困難を越えて咲く強さ、扇には未来への広がりといった意味が込められています。そうした象徴性を読み取りながら、作品を受け取る人の背景やこれからの時間に重なるイメージを積み上げていきます。

単に美しい柄を選ぶのではなく、そのモチーフがどのような時間を持ち、これからどのような意味を持ち得るのかを考えながら構成しています。

作品名:Pines Through Seasons
作品名:Pines Through Seasons

個人の記憶を、作品として受け継ぐ

既存の作品制作に加え、個人が所有する着物をもとに再構築する取り組みも行っています。家族の記憶や特別な時間が宿る着物を預かり、ほどき、再構築することは、新しいものを生むというよりも、記憶に別の形を与える行為です。

たとえば、結婚式で着た振袖を、作品として実家や子どもたちと共有する、亡き祖母の着物を作品にして孫たちで受け継ぐ、といった選択があります。

作品は過去を保存するものではなく、これからの時間とともに在り続ける存在です。記憶をひらき共有できる形へ昇華することで、家族のつながりの一部となり、受け継がれていくことを目指しています。

Illust 4
子どもたちで共有するオーダーのセット作品
子どもたちで共有するオーダーのセット作品

未来へ受け継がれるアートでありたい

ikasuの作品は、完成がゴールではなく、そこから新しい時間が始まるものだと考えています。誰かが大切にしてきた着物が形を変え、別の誰かのもとで新しい時間を生きていく。その循環を生み出したいです。

以前アメリカからの依頼で、日本旅行中に購入された振袖を作品にしました。

アメリカでも着る機会がなく長く眠っていたその着物は、日本に戻され、新たな形に再構築され、再びニューヨークへと送り返されました。

それは単なるリメイクではなく、時間と場所を超えて受け継がれるプロセスです。

作品は、多くの人を巡る必要はありません。ただ、本当に大切にしてくれる人のもとに届けば、その時間の中で生き続け、やがて次の世代へと渡っていきます。

ikasuの作品を手にする人が、その中に流れる時間を感じながら、自分の人生と重ねていけること。そして日々に寄り添い、やがて次の世代へと受け継がれていく。そんな体験となることを願っています。

World Art Dubaiの会場
World Art Dubaiの会場
#日本文化#伝統工芸#技術#歴史#時代着物#ikasu#日本の美#リレーコラム
よろしければ、記事の感想を教えてください
関連する記事
Crossing Perspectivesシリーズの記事