



映画から始まった盆栽との出会い
私が盆栽という芸術への旅を始めたのは13歳のとき、両親から誕生日プレゼントとして初めての樹をもらったのがきっかけでした。12歳のときに観た映画『ベスト・キッド』の劇中に登場していた盆栽の虜となり、両親にねだり、プレゼントしてもらいました。残念ながら、その樹はベッド脇のナイトスタンドに置いていたためか、すぐに枯れてしまいました。しかし、その後の高校時代を経てもなお、私にとって忘れられない存在となっていました。
数年後、16歳のときに2週間の文化交流プログラムに選ばれて日本へ行くことになり、その滞在中にホストファミリーが大阪にある地元の盆栽園にいくつか連れていってくれました。そのうちの一つが「藤川幸華園」でした。
当時の藤川さんは、米国から来たにもかかわらず、これほどまでに盆栽に興味を持っている私に関心を持ってくれ、訪問の終わり際、「将来、もし日本に戻ってきて弟子になりたいと思ったら、受け入れてもいいよ」と冗談を言いました。もちろん、当時はそれが冗談だと分かっていましたが、私はその言葉を胸に刻み、その後何年も彼の名刺を財布に入れて持ち歩き続けました。大学最終年、私は藤川さんに手紙を書き、7、8年前のあの申し出を受けたい意向を伝えました。何度かやり取りをした後、彼は「分かった、3ヶ月間の試用期間として来なさい」と言ってくれました。

修業の日々と大きな失敗
こうして2008年5月から、大阪で3ヶ月の試用期間が開始しました。その3ヶ月は、結果的に5年間のフル修業へと進み、最終的には見習いとして約6年間滞在し、その後さらに3年間、同じ藤川幸華園で働くこととなりました。
修業時代に学んだもっとも重要なことの一つは、盆栽の作り方や構築の仕方そのものよりも、むしろ人生で成功するために必要な「人間力」でした。
試用期間中、私はいくつかの失敗を経験しました。樹に対して何をすべきかという点について、誤解があったのです。これは言葉の壁も一因でした。当時は日本語があまり上手く話せず、それが芳しくない結果を招いてしまいました。
思い出される出来事の一つに、真柏のエピソードがあります。それは山から採取された未整姿の素材で、樹齢はおよそ150年から200年ほどだったと思われます。藤川さんは、この盆栽を作り上げ、最終的に日本の全国盆栽展である「国風展」に出展しようとしていました。彼は樹を凝縮させたいと考え、樹を締め込むための針金を引く間、私に植物の中に手を入れ、構造を押し合わせるように指示しました。
しかし不幸なことに、私が樹の中に手を伸ばして幹の2つを掴んで押し合わせた際、一方の箇所が完全に折れてしまいました。折れたのは、その樹のデザインの鍵となるジン(死んでいる枝)の部分でした。その樹のもっとも重要な特徴だったのですが、私はそれを根元からへし折ってしまったのです。
私は藤川さんの方を振り向きましたが、彼はゆっくりと私の方を向き、何も言いませんでした。彼は数回深呼吸をした後、非常に冷静に、今日はもう家に帰りなさいと言いました。
翌日園に行くと、彼は何事もなかったかのように振る舞っていましたが、前日に私が傷つけた樹は、園内でもっとも目立つ、人目に付く場所に置かれていました。そして、それはその後1年間、その場所に置かれ続けたのです。それは、常に周囲に気を配り、常に真剣勝負で、注意を払うことを私に思い出させるためのものでした。そしてこれは、私が盆栽の仕事を通じてずっと胸に刻み続けてきたことです。
日本の盆栽界における弟子には、師匠がしていることを観察し、それを繰り返し、模倣することが求められます。師匠の技は、非常に様式化され、洗練されており、樹作りの基本である針金かけにおいても極めて綿密なものでした。


米国での盆栽への挑戦
日本での時間を終えて米国に戻り、2017年にナッシュビルで自身の園「永青園(Eisei-en)」を始めると、日本で学んだデザインの概念やプロセスから少しずつ変化し始めました。素材として使用した米国の山から採取された樹々は、日本の樹々とは葉の特徴が異なるため、詳細な針金かけの必要性も異なり、最終的に見せる姿もわずかに変わってきます。
また、日本にいた頃と少し違うデザインになったのは、米国の素材による影響だけでなく、一人のアーティストとして、盆栽の専門家として独立し、自分自身のスタイルやアイディアを樹に注ぎ込めるように成長したからだと感じています。盆栽園を設立することで、未整姿の素材から盆栽を作り上げることができるということを、自分自身、そして盆栽コミュニティに証明したいと思っていました。
日本で学んだスキルは、山から採ってきたままの素材を盆栽へと創り上げる工程において非常に役立ちました。私は何十本もの最高品質の山採り盆栽を完成させ、ニューヨーク州ロチェスターで開催される「全米盆栽展」で受賞するに至りました。
その後、日本に戻るきっかけとなったのは、2021年に娘が生まれた際、彼女の将来について考え始めたからです。どこで育てたいのか、どのような文化背景で成長してほしいかを考え、日本に戻ることを決意しました。2024年に米国の園を閉鎖し、京都への移住を決め、「Eisei-en Kyoto(永青園 京都)盆栽園」を設立しました。

盆栽の科学と芸術
私にとって盆栽の魅力は、2つの側面があります。始めた当初は、植物を使い、自分の頭の中にあるイメージ通りに形作るデザインのプロセスがもっとも魅力的でした。しかし盆栽を深めていくうちに、その芸術的・美的側面に加え、「科学」としての側面に、より強い魅力を感じるようになったのです。
私は、盆栽は約70から80%が科学であり、約20から30%が芸術であると考えています。盆栽において何が美であるかを特定できれば、それは同時に必要とされる園芸技術を科学的に特定できるということです。
たとえば、日本語で「カエデ」と呼ばれるトウカエデを扱っているとします。この樹種における美的目標の一つは、細かな枝分かれ(芽数)を増やすことです。そしてそれを実現する方法は、「部分的な外縁葉刈り」として知られる技術で、特定の時期(日本では通常5月)に、樹の外側の葉の約80~90%を取り除きます。これにより、一回の成長期で枝の数を2倍に増やすことができます。これを毎年繰り返していけば、最終的には多くの枝を持つ、よく作り込まれた樹になります。
これらの基本的な園芸技術を適用するだけで、美的目標の80%までは到達できるのです。残りの20%から30%の芸術的・美的側面は、冬の間にどのように剪定するか、あるいは交差している枝や不要な枝をどう取り除くかを理解することから生まれます。私にとって、これら科学と芸術の組み合わせこそが、盆栽を世界でもっとも魅力的なアートの一つにしているのです。


世界に広げたい日本の工芸「盆栽」
今後の目標の一つに、東京で開催される「作風展(Creator's Exhibition)」に出展することがあります。これは私にとって、高いレベルの品質を求められる場です。一歩上のステージであり、非常に名誉ある展覧会です。
もう一つは、オンラインプラットフォーム「Bonsai-U」や外国人留学生を通じて、国際的に盆栽を広め続けていきたいと考えています。「Bonsai-U」では毎週動画を投稿し、世界中の生徒たちとライブQ&Aを行っているほか、留学生を対象に対面形式のクラスを開催しています。
日本に来て盆栽を学ぶ利点の一つは、もっとも有名で作り込まれた樹々を実際に生で見ることができ、質の高い盆栽を作るとはどういうことかという視点を学べることだと感じています。国風展、作風展、大品盆栽展(大観展)に出展されたことのある樹々をここに揃え、生徒たちがそれらに実際に触れ、その樹の歴史や物語に新たな一ページを刻む経験を提供したいのです。
生徒たちが実際に関わり、樹の物語を継承していくことは、本当に有益な経験になると信じており、私自身もそれを将来にわたって続けていくことを非常に楽しみにしています。






