for fontplus
Illust 3
Illust 1
静けさの中の感覚──日本の美に触れて(トゥリース・デ・ミッツ)
2025.12.25
静けさの中の感覚──日本の美に触れて(トゥリース・デ・ミッツ)

トゥリース・デ・ミッツ

ベルギー在住の国際的に活動するアーティスト。ガラス・陶芸・テキスタイルを含むミクストメディア作品を制作し、教育・研究にも従事している。

ベルギー出身のアーティスト、トゥリース・デ・ミッツが日本での滞在経験を通して得た素材観や美意識について語る。信楽での制作や日本文学の影響をもとに、「身体」や「感覚」をテーマとした作品の背景を紹介する。日本文化との出会いが作品制作に与えた変化を説明している。
静けさの中の感覚──日本の美に触れて(トゥリース・デ・ミッツ)

日本・信楽陶芸の森でのアーティスト・イン・レジデンス

アーティストとして、私は「親密さ」と「感覚的なもの」を自らの制作の中心に置くことに魅力を感じています。現代アートが主にコンセプチュアル(概念的)な方向に進むこの時代において、あえてそのような感覚的な領域に立ち返ることは、私にとって挑戦でもあります。

滋賀県・信楽陶芸の森で3ヶ月間、アーティスト・イン・レジデンスとして滞在したとき、私はすぐに、素材へのアプローチの違い──東洋と西洋の間にある大きな隔たり──を肌で感じました。

私の周囲には主に日本人のアーティストたちがいて、彼らは粘土という素材を、自らの思考に形を与えるためのものとして扱っていました。彼らがどのような作品をつくるのかを見ることも興味深かったのですが、私にとってより重要で、より心を動かされたのは、「どうやって」つくるのか、というその過程でした。

滞在初日、私は日本のアーティストたちが粘土をこねる様子を見て、その熟練した職人のような手つきに感嘆しました。彼らは「菊練り(きくねり)」と呼ばれる独特の練り方をしていたのです。この方法は、新しい作品づくりを始める前に、粘土の中の空気を完全に追い出すためのものでした。

ヨーロッパでは「ox-head technique(牛頭練り)」という、パン生地をこねるような方法で空気を抜きます。一方、菊練りでは粘土を中心に巻き込みながら、手の動きによって円を描くように折り目の模様をつくっていきます。その結果できる形は、まるで「へそ」を思わせるものでした。

この日本の練り方によって生まれる「しわのある形」は、私の記憶に深く残りました。

そして数年後、その印象は「NAVEL(へそ)」「BODY(身体)」「SKIN(皮膚)」という独自プロジェクトを、同じ滋賀の地で始めるきっかけとなったのです。

菊練りによる折り重なる粘土の回転運動──本来は新しい陶芸作品の始まりであるその動き――を、私はあえて「静止」させました。こうして生まれた無定形のオブジェを、私は「NAVEL-KNOT(へその結び目)」と名づけました。

乾燥の過程で、この“へその結び目”はほどけ始め、形に大きな緊張がかかって亀裂が入りました。そこで石山哲也さんから「金継ぎ(きんつぎ)」の手法を学び、ひび割れを金で修復しました。その金の線は、傷跡を輝かせ、私にとって初めて「傷や誤りの痕跡を受け入れる」ことを学ぶ経験でもありました。

菊練り(小島 修さん)
菊練り(小島 修さん)

赤 ― RED

私が最初に日本を訪れたのは2004年のことです。訪日の準備として観光ガイドブックを読む代わりに、日本の小説を読むことにしました。

最初に手に取ったのは、川端康成の『眠れる美女』『千羽鶴』『美しさと哀しみと』『雪国』『みずうみ』。その後、谷崎潤一郎、大江健三郎、三島由紀夫へと読み進めていきました。

これらの日本文学は、西洋文学とはまったく異なる感触を持っていると感じました。日本の小説は、たとえそれが過去の時代を描いたものであっても、登場人物の感情や愛の表現においては身体の感覚が繊細に生き生きと描かれており、まるで肌でその世界を感じ取るかのようでした。

たとえば川端の『千羽鶴』を読んでいると、まるで遠く離れた自宅のソファに座りながらも、茶室の中で茶の湯の作法を体験しているような気分になるのです。

また、印象的だったのは、物語の中で繰り返し使われる「色」、特に「赤」という色でした。さまざまな場面で“赤”が登場し、その濃淡も多様です。
おそらく40回以上、もしくはそれ以上、“RED”という単語を見つけたと思います。

それだけでなく、赤を直接示さない表現も数え切れないほどありました。
たとえば──頬を染める、血、唇、興奮の色、恥じらい、光、炎、情熱、筋肉……。また、赤の種類も実に多彩です。桃色、夕紅、淡紅、柔らかな紅、血のような赤、深紅……。

数ヶ月後、私はアイスランドで参加したアーティスト・イン・レジデンスの滞在中、赤く輝く溶岩の風景を見つめながら、川端の小説に登場した“赤”のイメージを重ね合わせていました。そして、日本からアイスランドへと“赤”を運び、写真作品のシリーズとして形にしたのです。

Illust 2
作品名:Body as Landscape - Landscape as Body.<br>(身体としての風景 - 風景としての身体)
作品名:Body as Landscape - Landscape as Body.
(身体としての風景 - 風景としての身体)

再び日本へ

私は四季ごとに日本を何度も訪れました。最初は、蝉の鳴き声と夏祭りに包まれた、蒸し暑い夏の時期でした。そして、夏から秋へと移り変わり、冬の雪に覆われた白い景色は、私に夢のような静けさをもたらしました。

「雪」を意味する言葉は、私の国では「溶けかけの雪」も「積もる雪」もすべて“snow”というひとつの言葉でしか表現されません。それに比べて、日本語で雪を表現する言葉は数多くあり、その姿や表情を見つめる日本人の繊細なまなざしがあるのだと感じました。

また自然の変化を、季節ごとに祝う──このような「自然のリズムとともに生きる」文化は、西洋ではあまり見られません。多くの祭りや聖地が自然のそばにあり、桜や楓といった木々が精神的な意味を持って守られていることも、その証しのようでした。

私は、花の命の短さや四季に似た「儚さ」を「捉えたい」と思い、写真作品を制作しています。本来「儚さ」とは一時的なものであり、「捉える」とは何かを留めることであり、この相反する概念の表現を試みたいと思うのです。

作品名:Hakubai(白梅)
作品名:Hakubai(白梅)

私の作品について

私は「ミクストメディア・アーティスト」です。伝統的な手法とデジタル技術を組み合わせながら、視覚的な作品を生み出しています。私の制作は、空間的な要素とデジタルイメージを行き来する、絶えず拡張していく“実験室”のようなものです。

さまざまな素材を用いて、彫刻やインスタレーション、絵画、そして写真作品をつくります。それらは、虚構と現実、直感と理性が織り交ぜられた、詩的な網の目のようなものです。

作品名:Body without Anatomy(解剖学なき身体)
作品名:Body without Anatomy(解剖学なき身体)

感覚のシリーズ ― 立体陶芸作品

私の創作の中で、身体的な体験はとても重要です。叩く、引く、こねる、擦る──そうした行為を通して形が生まれるのは新しいことではなく、太古の時代──人類が初めて「痕跡」を残した頃──から続く営みです。これこそが、私の作品にとって本質的な要素なのです。

作品のテーマは「身体」です。想像上の身体、記憶としての身体、科学や医学の中で扱われる身体をテーマにしたシリーズ作品「SENSORY(感覚)」は、身体的な対峙と感覚的な要素の両方に深く関係しています。私はこのことを、観る人自身で感じてほしいと願っています。タイトルとは、観る人への小さなヒントであり、最終的には目の前の「作品」が語ってくれるものだと思っているのです。

そしてそれは、日本の「美」という概念にも通じています。言葉にせずとも、静かに、敏感に感じ取る──目に見えないものの存在。それが私の作品にも流れているように思います。

作品名:Sensory(感覚)
作品名:Sensory(感覚)

美 ― BEAUTY

日本において“美”とは、単なる見た目の問題ではなく、文化的で、肯定的な概念です。そして美はさまざまなところに存在しています。たとえば、時間の経過によって生まれる自然な風合い──“老いの美”や“パティナ(古色)”もそうです。

私の作品において、美は必ずしも「外見」や「視覚的な美しさ」と直接結びついているわけではありません。むしろそれは、「作品がどう“感じられるか”」という感覚的な次元に関わっています。美とはまた、芸術を超えた「調和」でもあります。異なる2つのもの、あるいは出来事が、争うことなく寄り添うとき──そこにも美は宿ります。

このように日本で出会った“あらゆる形の美”こそが、私の作品と、芸術への思考をもっとも深く変えてくれました。私の写真作品の中には、伝統と現代が融合する日本の多面的な“美”の概念が息づいています。それが私の心に痕跡を残し、そして、日本でのさまざまな滞在経験をまさに人生を変える出来事へと昇華させたのです。

Illust 4
作品名:NAVEL-KNOT(へその結び目)
作品名:NAVEL-KNOT(へその結び目)
#Artisan#日本文化#伝統工芸#技術#歴史#信楽#アーティストインレジデンス#日本の美#リレーコラム
よろしければ、記事の感想を教えてください
シェア
関連する記事
Crossing Perspectivesシリーズの記事