

実際に触れることで、日田下駄の魅力に気付く
まず、御社について教えてください。
弊社は日田下駄を製造・販売している工房で、1948年に創業しました。今は2代目の父と母、3代目の私と妻の4人で経営を行っています。
もともと、両親は自分たちの代でこの工房をたたむつもりで、私も継ぐ予定はありませんでした。しかし、私が一般企業に勤めていたときに工房を手伝う機会があり、そのときに日田下駄の魅力を知って。もの作りをする面白さを感じたので、継ぐことにしました。
どのような魅力を感じたのでしょうか?
職人たちの思いやこだわりが詰まっているところです。私は、小さい頃から下駄が身近にあったので、細かな工程まであまり意識したことがありませんでした。下駄は材料を磨いて、塗って、鼻緒を付けたら完成だと思っていたのですが、そんなに簡単なものではなくて。
職人さんたちの作業風景をちゃんと見るようになってから、完成するまでにいろいろな背景があることに気付いたんです。下駄の奥深さを知って、改めて魅力を感じるようになりました。
また、カジュアルなスタイルにも合わせられることに気付きました。現代ではスニーカーが一般的になっていて、下駄はどんどん履く機会がなくなってきていますよね。“どうすれば履いてもらえるのか”を考えるようになってから、より一層もの作りを楽しめるようになりました。
御社が作っている下駄の特徴を教えてください。
弊社の下駄の特徴は、地元で採れた杉を使っていることです。オリジナルのデザインで作っている下駄も多く、商品数が豊富だと思います。
目指しているのは、ライフスタイルに溶け込める下駄です。特別な履き物ではなく、カジュアルに普段履きとして取り入れてほしいと思っているので、新しい商品を作るときはそういった点を意識しています。
また、作るときには、どういう人がこの下駄を履くのかな、履きやすいと言ってもらえたらうれしいな、といったことを考えながら作業にあたっています。
面白いデザインの下駄が多いですよね。どういう発想から生まれたのでしょうか?
私の実家が下駄を作っていることを知っている友達が、「こういう下駄があったら面白いよね」「こういう下駄があったら履きたいよね」と、以前からいろいろな案を出してくれていました。
家業を継ぐまでは、それを形にする機会がなかなかなかったのですが、自分自身がもの作りに携わるようになってから、いろいろな職人さんとの出会いがきっかけで、そのアイディアを具現化することができるようになったんです。
また、さまざまな企業からお声がけいただき、映画の衣装として採用されたり、有名ブランドのオリジナル下駄を製作したりと、コラボレーションも実現しています。
コラボレーションをさせてもらうと、今まで下駄に関心がなかった方にも知ってもらう機会になるので、とてもありがたいですね。

異なる表情を持つ木地と向き合う面白さ
日田下駄の製造工程を教えてください。
弊社では、まず製材所から「下駄枕」という下駄の原型を仕入れます。その後、下駄の木地作りをして、磨き、加工、塗装を経て完成です。
弊社では3種類の鼻緒を使っていて、ひとつは鼻緒を専門に作られている奈良の職人さんが、残りの2種類は自社で作っています。
難しい工程はありますか?
どの工程も大切ですが、磨きは特に気を遣います。たとえば、同じ杉でも硬い木や柔らかい木があるので、木地を磨くときには機械への押し当て方や力具合を変える必要があります。父と私とでは、押し当て方がまったく異なりますね。
磨きの段階で“よくできた”と思っても、塗装したときに小さい傷が目立つこともあって。本当にきれいに仕上げられるようになるまでには、数年かかると思います。
また、下駄枕には個体差があります。硬さもそうですが、模様も全然違うので、一つずつ触りながらどういう風に磨きをかけるかを見極めなければなりません。それも難しいんです。
塗装の際には一つひとつハケで塗っているのですが、慎重に塗らないとムラができてしまいます。そうならないようにするのにも、やはり気を遣います。
ただ、塗装は私の好きな工程のひとつで。木地は一つひとつ表情が違い、真っ直ぐな木目もあれば、複雑な木目もあり、それを見るのが楽しいんです。
木地一つひとつに違った表情が見られるんですね。
重さや色も全然違うんですよ。杉の木は、幹の中心になるほど赤くなっているんです。塗装で同じ色をのせても、赤っぽい木地だと色の出方が変わってくるので、そういった点は面白いなと感じています。
僕たちは幹を切った状態しか見られないのですが、なかには樹齢100年のものも混ざっているかもしれません。
日田下駄が発展した背景には、土地柄も関係しているんです。日田は林業の町で、昔から木は建築材として使われてきたのですが、「根曲がり」と呼ばれている曲がっている木の根っこの部分は、建築材には使えません。
昔は建築材として使えない部分は山にそのまま残していたんですが、そういった木材をうまく活用できたから、下駄作りが盛んになったようですね。
ご家族で事業を行われていますが、役割分担はされているのでしょうか?
私は、主に広報を担当しています。父は機械に強いので機械を扱うような作業を、母は細かい作業が得意なので鼻緒などの細かい作業を、妻はパソコンが得意なのでプログラミングやネット関係の仕事をしています。
今は業務を分担して作業しているので、誰か一人でも欠けると作業に影響が出てしまうのが課題ですね。
両親からは、「私たちが引退した後は、あなたたち2人でできる規模の事業をやりなさい」と言われているんですが、弊社としては4人体制がベストな状態なので、今後のためにも若い職人さんを育てて、一緒に仕事ができたらいいなと思っています。
若い方が入ってくるために、どういうアプローチが必要だとお考えですか?
いきなり言葉で伝えていくのは難しいと思うので、まずは下駄の魅力を知ってもらいたいです。“興味を持ってもらうためにはどうしたらいいか”は、常々考えています。
給与との関係もあると思いますが、やはり“好きだからやりたい”という気持ちがある方と一緒に仕事ができるとうれしいですね。

失敗を恐れず、チャンスを掴み続けたい
産地全体で日田下駄の作り手が少なくなっていると聞きました。現状を教えてください。
全盛期は戦後で、昭和20年代です。当時は下駄に関わる会社が200社ほどあったようですが、それをピークに減ってきていて、今は弊社を入れて7社ほどになりました。
もともと下駄作りは分業で成り立っていて、丸太を製造する会社、下駄枕を作る職人さん、角材だけを作る職人さん、角材から下駄の木地までを作る職人さん、木地から加工して販売をする会社がありました。
しかし、現状では下駄枕の職人さんと木地を作る職人さんがいる会社は、もう1社ずつしか残っていません。どちらかが引退されてしまうと分業が成り立ちませんし、材料の供給が止まってしまいます。
そのため、弊社はいろいろな人の知恵を借りながら工房に機械を導入しています。まだまだ課題はありますが、自社で一貫して製造できる体制を少しずつ整えているところです。
職人不足をカバーするために、新しい作り方にチャレンジされているんですね。
そうですね。ただ、新しい作り方を取り入れていくのも大切ですが、やはり職人さんを増やすことも必要ですね。やはり作り手がいないとものは作れませんから、どちらも同時に取り組んでいかなければならないと思います。
新しいデザインの下駄は、今後も作られるのでしょうか?
はい。職人さんとの出会いがきっかけで新しいアイディアが生まれることもあるので、インスピレーションが湧いたときにアイディアを形にしているんです。“失敗したら、そのときにまた考えよう”という気持ちで、チャレンジを続けています。
職人さんや売り手さんなど、いろいろな人との出会いが現状を変えるきっかけになるので、ご縁は大切にしています。
チャレンジする一方で、昔から変わらず大切にしているものはありますか?
日田下駄を知ってもらうツールとして新商品は作っていますが、もの作りに対する姿勢は昔から変わっていません。伝統を壊したいわけではないので、基本的な部分は変えることなく大切にしています。
長い歴史があり、今でも日田下駄が残っているのはとてもすごいことだと思うんです。ただ、それを次の100年につなげるためにどうするかは考える必要があります。
身に着けるものが着物から洋服に変わったり、道路が砂利道から舗装道路になったりと変化していくなかで、昔の下駄のままだと歩きづらくなってしまうので、下駄の裏にゴムを貼るなど、下駄も技術的な進化はしています。
弊社が製造したヒール下駄も、洋服に合わせたときにスタイリッシュに見えるようにと考えて作ったものです。基本は大切にしつつ、現代に合うものを作っていかないと、つくづく思いますね。
これからも、出会いを大切にしながら、日田下駄の歴史をつないでいきたいです。

Text by 奥山 りか






