



明治創業、奥順が守り続ける結城紬の魂
奥順の歴史は、明治40年に奥澤さんの曾祖父が創業したことに始まる。もともとは教育者の家系だったが、商売への情熱から親戚の呉服問屋で修業を積み、のれん分けの形で独立したという。
「本当に商売が好きだった人みたいで。体が不自由になってもできるだけ店の前に立ち、生産者である機屋さん(はたやさん)と話すのが好きだったと聞いています。元気になったら何がしたいかと聞かれたときも、やっぱり商売がしたいと答えたそうです」
創業者の商売への情熱は、生産者との対話を重んじる姿勢に表れている。この精神は、生産工程が細かく分業化され、多くの職人との連携が欠かせない結城紬の産地問屋としての礎を築いた。デザインの考案から職人への発注、そして完成品の販売までを一手に担う奥順の役割は、単なる商取引にとどまらず、産地の生産活動そのものを支える重要な機能を持っている。
時代の荒波を越えた、歴史的な2つの転換点
120年を超える歴史の中で、会社と産地は幾度となく大きな転機に直面してきた。その一つが第2次大戦期に国の政策により贅沢品の生産が禁止され、結城紬の生産自体がほとんどストップした。しかし、数軒の機屋さんが技術保存のため、生産の継続を願い入れ、作り続けることができたという。
もう一つの大きな転換点は、近代化に伴う男性の着物離れだった。
「明治維新後、西洋化が進むなかで、男性が次々と着物を脱いでしまいました。当時は兜町の証券取引所には、和服では入れなかったという時代でした。結城紬はもともと無地や縞、格子といった男物をメインで作っていたので、その時に女性ものへと大きく舵を切った歴史があります」
時代の変化に対応し、産地は危機を乗り越えた。この柔軟な判断は、伝統を守りながらも変化を恐れない奥順の姿勢を代弁している。

「タイパ・コスパ」の対極にあるものづくりの精神
結城紬の最大の特徴は、その非効率ともいえる製法にある。奥澤さんは、現代の主流である「タイムパフォーマンス」や「コストパフォーマンス」とは対極にある価値観こそが、結城紬の面白さだと語る。
「タイパ・コスパではなく、自分たちが信じる“良いもの”を突き詰める。そういうものづくりの姿勢がまずあって、タイパ・コスパは後から考えればいいという精神性の中で作られているのが、すごく面白いなと思うんです。何に価値を置くかは人それぞれいろいろあると思いますが、僕は時間以上に貴重なものはないと思っています。タイパという考え方も当然そこから生まれる一方で、その貴重な時間をこれだけものづくりにかけることができる職人さんの精神性は、やはりすごいなと思うんです」
この哲学は、蚕の繭を煮て広げた「真綿(まわた)」から、撚(よ)りをかけずに手でつむぎ出す糸作りから始まる。設計された図案を基に、糸を染め分ける「絣(かすり)くくり」、そして古来の「地機(じばた)」で一段一段、手で柄を合わせながら織り上げる工程まで、すべてに膨大な時間が費やされる。その一つ一つの手仕事が、機械では決して再現できない、温かく柔らかな風合いを生み出す源泉となっている。
無撚糸の真綿がもたらす、唯一無二の風合い
結城紬の質感を決定づけるのが、撚りをかけない「無撚糸」である。一般的な絹織物に使われる生糸が、繭から引き出した細い繊維を撚り合わせて強度を出すのに対し、結城紬の糸は真綿から引き出した繊維をそのまま束ねた状態に近い。
「結城紬は3センチ織ったら、3センチ戻って柄を動かすことがまったくできないんです。けばが立っている糸同士が入っていくと、面ファスナーのようにくっついて動かなくなってしまう。だから、一回一回きちんと合わせていかないといけない」
この無撚糸の特性が、他の織物にはない独特の風合いを生む。空気を含んだ糸は軽く、驚くほど暖かく、そして使い込むほどにけばが落ち着き、滑らかさと光沢を増していく。この扱いづらい無撚糸を手で織り上げる技術こそが、結城紬の職人技の神髄といえる。
産地を守る、問屋が背負う静かな使命
産地製造問屋として、奥順は職人の生活を守るという重い責任を担う。職人の技術レベルに応じて仕事を配分し、手が空く時間を作らないよう発注を管理することは、産地の生産基盤を維持するために不可欠な役割だ。しかし奥澤さんは、その現状に複雑な思いを抱えている。
「どれだけ腕のある人でも、それだけでは生計を立てられないという現実に、常々申し訳なさを感じています。仮にうちが黒字になっても、誰かの犠牲の上に成り立っているような気がしてしまうのがすごく悲しい。そこをどうにかしたいというのは常に考えています」
技術を持つ職人が、その仕事だけで十分に生活できる環境を整えること。それが実現して初めて、産地に希望が見え、働く人々の見る景色も変わり、ひいては結城紬の見え方も変わるはずだと奥澤さんは考えている。
後継者問題という、産地最大の課題への挑戦
多くの伝統工芸産地と同様に、結城紬も後継者不足という深刻な課題に直面している。特に危機的なのが、結城紬の命ともいえる「糸」の作り手が減少していることだ。
「本当に、糸をつむぐ人がいないんです。僕が入社したときは年間1,800反ほど作れていたのが、今は390反ほど。昔は農家の副業でしたが、それに見合った賃金が得られないなどを理由に、どんどんフェードアウトしてしまった」
この課題に対し、奥順では講習会を開いて新たな担い手を育成する取り組みを進めている。また、賃金体系の見直しも不可欠だと考えている。「今の糸代から、仮にもっと価格が上がればやる人はいるか」という問いに、職人から「もっと価格が上がればいると思う」という答えが返ってきたとき、奥澤さんはそこに可能性を見出したという。糸作りの価値を正しく評価し、対価に反映させることが、産地の未来を繋ぐ鍵となる。

伝統の未来を拓く、海外と異分野への展望
呉服市場が縮小するなか、奥順は結城紬の新たな可能性を模索している。その一つが、海外市場と着物以外の製品への展開だ。
「この価値観の面白さは、海外の人にも分かる可能性はあるし、より新鮮に思う部分もあるかもしれない。何かしら形を変えるなり、着物以外の展開をしていきたいなとずっと思っています」
過去には、ジャケット生地として海外ブランドに提案したり、インテリア用テキスタイルとして展開したりするなど、挑戦を重ねてきた。すぐに収益に結びつかなかったものもあるが、奥澤さんは「挑戦者であり続けなければいけない」と語る。産地のトップシェアという立場にあぐらをかくことなく、失敗を恐れずに新たな挑戦を続けることが、未来を拓くと信じている。






