



益子で130年以上続く伝統の窯元、えのきだ窯。夫婦で5代目を受け継ぐ、若葉さんと智さん。それぞれの個性が生かされた焼き物を、陶芸のまち益子で作り続けている。
取材に伺うと「まあまあ、どうぞ」と智さんがコーヒーを淹れてくれる。「若葉さんのお話を伺いたいです」と伝えると、「智君は表に出ることが好きな人ですが、私は苦手なんですよね」と若葉さん。
えのきだ窯に生まれた若葉さんが窯元を継ぐことを意識したのは、智さんとの結婚があったからこそだと語る。夫婦一体でチームとして窯元を受け継いできた、2人の軌跡を追う。

海外での暮らしを経て、家業の益子焼職人へ
えのきだ窯の4代目の娘として生まれ育った榎田若葉さん。幼いころから工房でよく職人さんに遊んでもらっていたという。
「粘土の味がわかる変わった子どもでしたね。外で遊んでいて、土のついた指を口に入れて『これ焼き物の粘土の味がする』と友達に言うと、よくわかんないと言われたりして」
幼いころの記憶として残るのは、民藝運動の牽引者の一人でもある濱田庄司の濱田窯で働いた3代目の祖父の姿。民藝の器を数多く作り、昔ながらの技法でろくろを回していた。
「お皿の形がそのまますっと上がって、パパパパッと焼き物がどんどん作られていく。『どうしてこうなるんだろう…不思議だなあ』と、ろくろの様子をよく見ていましたね」
あまりにも身近すぎて、当時は焼き物を仕事にすることは考えられなかった。海外で暮らすことに関心を持ち、高校卒業後はオーストラリアに語学留学へと羽ばたいた。
「すごく楽しくて、一度日本に帰ってお金を貯めて今度はイギリスに行って。でも半年ぐらいでお金がなくなって、その後イスラエルで農業ボランティアに半年ほど従事していました」
とにかく世界を回っていろいろな人と触れ合うのが楽しかった。ただそろそろ真剣に仕事について考えなければならない。そんなときに、家業の焼き物をやってみようと思い始めたのだという。
「図工が得意で、ものづくりが好きだったんです。家でならものづくりができるし、兄弟たちも継いでいなかった。焼き物をやってみようと、帰国して21歳で栃木県窯業指導所伝習科へ入所しました」
当時は1年の必修期間のなかでろくろなどの焼き物の基礎を学んだ。さらに専門技術を学びたいと、研究生として釉薬科に進み、そこから家業も少しずつ手伝うようになっていった。


沖縄のゲストハウスで、運命の出会い
夫になる智さんと運命的な出会いを果たしたのは28歳のこと。若葉さんが一人旅で沖縄を訪れたことが始まりなのだという。
「最初はバイクをフェリーに乗っけて、沖縄を旅して回っていたんです。そこで出会ったゲストハウスのおかみさんに気に入られ、『ゲストハウスを手伝って』と頼まれました。職人の仕事を調整して、1年後に短期の助っ人要員として沖縄に戻ってきました」
そのときに出会った最初のお客さんが智さんだった。バンドマンだった智さんは、ギターを片手に沖縄を巡っていた。「最初の印象を覚えていますか?」と聞くと「面白いお客さんたちが集まる宿だったので、特別な印象を抱くことはなかったですねえ」とあっけらかんと笑う若葉さん。
智さんは大阪。若葉さんは益子。ひょんな出会いを経て遠距離ながら絆が深まる。それまで音楽の世界で生きてきた智さんは、若葉さんと出会ったことで民藝に目覚めた。
「大阪から益子に遊びに来たときに、智君を濱田庄司記念益子参考館に連れていったんですよね。そこで『民藝は音楽に似ている!』と衝撃を受けたみたいで」
若葉さんの近くへ移住を決意した智さんは、益子の隣町で1年間働き、その後えのきだ窯に入った。2人は結婚して、智さんも共に焼き物職人の道を歩んでいくようになった。
「お婿さんだけど、智君は絶対に私よりも陶芸が好きな人。そういう意味で、私は引きが強かった、大当たりだなあと思っています。まったく違うことをしていた彼も焼き物を始めて、ファンの人がいっぱいいるって、本当にすごいことですよね」

出産1週間前に、益子陶器市に出店
その後2人の子どもに恵まれた若葉さんと智さん。「子育てで大変だったことはありますか?」と尋ねると、陶器市のことを話してくれた。
「いま考えると信じられないんですけど、長女の出産の1週間前に陶器市があったんです」
春と秋に益子で開催される陶器市は、近年では約30万人以上のお客さんが来場する大きなイベント。焼き物の業者の見本市も兼ねており、益子の窯元ではイベントに向けて入念な準備が進められる。一年で一番慌ただしい時期なのだ。
「春の益子陶器市は、ゴールデンウィークにかけて1週間行われます。その次の週が出産予定日だったんです。予定日からずれることもあるじゃないですか。でもなぜか予定日に産まれるというヘンな自信があって。大きなお腹で重いものを持って、お客さんが悲鳴を上げてましたね」
自信は現実となり、無事1週間後の予定日ぴったりに出産。5月に子どもが生まれて、7月にはもう個展を開催していたという若葉さん。忙しい日々を若葉さんはこう振り返る。
「難産じゃなかったし、長女は生まれてからも手のかからない子で助かったんですよね。工房に連れていって作業していても泣かないような子で。保育園も1歳で入ることができて本当に助かった。その保育園は、益子陶器市の期間中にお休みの日も預かってくれたんです」
幼かった子どもたちも、気づけばもう中高生。今年の春の益子陶器市は、長女が窯元の仕事を手伝ってくれるようになったという。


女性初の益子焼伝統工芸士を取得して
若葉さんを語るうえで欠かせないのが伝統工芸品としての益子焼。若葉さんは2022年、経済産業大臣指定・伝統的工芸益子焼焼成型部門の伝統工芸士に認定されている。
「私なりに益子焼に携わってきたので、地域に還元したい想いがありました。あと益子焼の伝統工芸士は女性初なんですよ。焼き物を作る女性はたくさんいるけれど、伝統工芸士の称号を得た方はいなかったんですね」
始まりはものづくりが好きという理由からだった。しかし伝統工芸士の資格を得て、むしろ伝統工芸品としての益子焼には、さまざまな課題があることを知ったのだという。
「伝統工芸品としての益子焼は、益子の土を6割以上使い、伝統の6釉と呼ばれる釉薬で、芳賀郡内で作られているものと定義されます。
陶器市の出店者が増えるなど焼き物への関心は高まっています。でも伝統工芸品の益子焼を作る人は減っている。伝統工芸士も高齢化で続けられない方も多い。原料である土の加工業者が事業をやめるなど課題もたくさんあるんです」
伝統を受け継ぎながら、暮らしのなかで愛される焼き物を作れないか。益子焼伝統の6釉を使い、身の回りにある野菜などのモチーフや世界中どこでも身近なモチーフである水玉をデザインした焼き物を作っている。
「益子焼という、土と釉薬にこだわったものを作り続けていきたい。伝統工芸士として、イベントや学校などで焼き物の魅力を伝える時間を通して、その想いは強くなっています」

結婚して、えのきだ窯を継ごうと思えた。お互い支え合えるパートナー
えのきだ窯は、智さんと若葉さんの2人で運営している。コロナ禍を機に、先代から事業承継をしたのだという。
「普段はおのおのの作品をそれぞれ作っています。窯元の運営も役割分担で行っています。私が経理で、智君が営業や接客を担当。それぞれ得意分野があるんです」
「2人で窯元を運営していてよかったと感じることはありますか?」と問うと、「自然にヘルプができることですかね」と若葉さん。
「相談し合えるし、仕事の流れもわかるから、どちらかが忙しいときは汲み取って『じゃあこれやっとくよ』と助け合える。もし智君がお勤めしていたら、忙しくてもわからないから、そういうさりげないヘルプはできないんじゃないかな」
仕事だけでなく、家事や子育ても助け合う。まるでチームのように、公私共にお互いに支え合い、仕事と家事を行っているという。
「焼き物を始めたときは窯元を継ぐことは正直そこまで考えていなかった。でももし私が一人だったら、5代目を継ぐことは難しかったかもしれない。智君と結婚するときに、窯元を受け継いでいくことを意識するようになったんです」
関西人の智さんのジョークに、若葉さんのツッコミが入り、笑いが絶えない。培ってきた2人の信頼のなかで、これからも支え合いながらえのきだ窯の焼き物は作られていく。そんな2人のたしかなチームワークを感じる時間だった。
Text by 荒田 詩乃






