


出会いから始まった、思いがけない縁
京都で服飾の専門学校を卒業後、アパレル販売員として働いていたちあきさん。深夜まで続く販売の現場は体力勝負で、慌ただしい日々を送っていました。そんななか偶然出会ったのが、のちに夫となる紀州箪笥職人の東福太郎さんでした。
「最初はアプローチされていることにも気づかなくて(笑)。でも、自然とご縁が重なっていきました」
結婚を機に和歌山へ嫁ぎ、夫の実家が紀州箪笥の工房を営んでいることを知ります。滋賀出身のちあきさんにとって、桐箪笥は身近な存在ではなく、「母が1棹持っていた程度で、どこで作られているのかも知らなかった」と言います。
「まさか自分がその工房に入るなんて、想像もしていませんでした。嫁いでから“こんな有名な工房なんだ”と知って鳥肌が立ったんです」

嫁いでからの生活の変化
新しい土地での生活は、戸惑いと葛藤の連続でした。アパレル時代は売り上げノルマに追われ、休みの日までその数字が頭から離れなかった日々。「自分で商品を買って数字を作ることもあり、正直しんどかった」と振り返ります。
一方、和歌山での暮らしはまるで別世界。「お客様に喜ばれるものを作り続けなければならない」という責任は大きいけれど、数字だけに縛られない。ものづくりの本質に触れることは、むしろ自分を救ってくれました。
「販売のときは、達成感よりもプレッシャーの方が強かった。でも工房では、お客様が喜ぶ顔を想像しながら仕事ができる。それが自分には心地よかったんです」
ただ、育児と仕事の両立は簡単ではありませんでした。知らない土地で子どもと2人きりになる孤独感や、男性中心の工房に入る不安。
「本当はがっつり働きたい気持ちがあり、子どもが小さくて家にこもるのもつらかった。そんな時、義母が“見ていてあげるから工房においで”と言ってくれて。あの言葉がなかったら、私は職人としての道を歩めなかったと思います」

子育てと職人の道──女性初の伝統工芸士に
工房に入った当初はお茶出しや掃除といった雑務からのスタートでした。ですが、作業を手伝ううちに、自然と塗装や板張りなどの工程も任されるように。
「夕方に顔を出したら“これお願い”と仕事を頼まれるようになって、だんだんと任される作業が増えていきました。給料が出るとか出ないとかではなく、“気づいたら私も職人になっていた”という感じです」
やがて、全国で初めて「箪笥業界の女性伝統工芸士(塗装部門)」に認定されました。
「最初はそんなつもりはなかったんです。主人を支えられれば十分だと思っていました。でも、“女性でも取れるよ”と背中を押してもらって、自分でも挑戦できるんだと気づきました」
男性中心の業界で「女性初」という肩書きは大きな重みを伴いました。それでも、「工芸士という名があることで、自信を持って“職人です”と堂々と言えるようになった」とちあきさんは語ります。
桐に魅せられて
ちあきさんが桐に惹かれるようになったきっかけは、生活の中の小さな出来事でした。
「同じブランドの服を同じように洗濯していたのに、桐箪笥に入れていた主人の服は虫に食われず、私の服だけが食われたんです。“桐ってすごい!”と衝撃を受けました」
そこから桐への興味が深まっていきます。桐の花の香りを確かめるために山へ出かけ、紫の花を探して歩いたことも。「ヒノキや杉は想像できるけど、桐の香りを知っている人はほとんどいない。だからこそ、香りをお香にして届けたい」と新しい挑戦も始めています。
「木は生きている。扱うのが難しい生き物であるからこそ、木目を読み取り、削りながら向き合う。その難しさが面白いんです。桐と向き合う日々は、まるで子どもの成長を見守るような感覚です」
夫とは、工房でも家庭でも「阿吽の呼吸」で仕事を進める。
「1人ではできない作業が多いからこそ、自然にペアになって作業ができる。仕事の話ばかりで喧嘩することもあるけれど、それは夫婦ともに職人である証しなんだと思います」
伝統をつなぐ責任
今、ちあきさんが強く感じているのは「桐の可能性を広げ、次世代へつなげること」です。
「伝統工芸士は、ただ物を作るだけではなく、後継者を育てる責任もあると思います。桐をもっと身近に、雑貨や香りといった新しい形で伝えていきたい」
嫁ぎ、迷い、葛藤しながらも、自分らしい役割を見つけたちあきさん。
「将来はもっと楽しいよ、と昔の自分に伝えたい。嫁いだからこそ出会えた桐の世界。誇りを持って“職人です”と言える今があるのは、家族とこの仕事のおかげです」
桐とともに歩み、伝統に新しい風を吹き込むその挑戦は、紀州箪笥の未来をひらく確かな光になっている。





