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暮らしの知恵が育んだ津軽の「こぎん刺し」
2026.09.15
暮らしの知恵が育んだ津軽の「こぎん刺し」

青森県弘前市

有限会社 弘前こぎん研究所
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成田 貞治・千葉 弘美

成田貞治は1949年、青森県弘前市生まれ。東京で電気工事に携わった後、弘前こぎん研究所へ入社。1982年に3代目所長に就任した。娘である千葉弘美は、4代目として2023年に代表取締役に就任。製造・販売や商品開発を担い、伝統を守りながら新たなこぎん刺しの魅力を発信している。

こぎん刺し

青森県津軽地方で生まれた300年以上の歴史を持つ伝統的な刺し子。江戸時代、寒さをしのぐために麻布へ木綿糸を刺したことが始まりとされる。縦糸の目を奇数で数えながら、「モドコ」と呼ばれる菱形の基礎模様を組み合わせて幾何学模様を描く技法が特徴。暮らしの知恵と美意識が息づく手仕事として受け継がれている。

弘前こぎん研究所の3代目・成田貞治と4代目・千葉弘美は、約100人の刺し手とともに津軽のこぎん刺しを製造・販売している。伝統的な素材や技法、品質を守りながら、りんご柄など時代に合う商品も生み出し、刺し手一人ひとりのペースを尊重して技をつないでいる。
暮らしの知恵が育んだ津軽の「こぎん刺し」

青森県津軽地方で、厳しい寒さをしのぐための知恵として生まれた「こぎん刺し」。一針一針から生まれる美しい幾何学模様には、雪国に暮らす人々の知恵と美意識が息づいている。時代とともに暮らしが変わるなか、その技を守り、現代へとつないできたのが「弘前こぎん研究所」だ。3代目・成田貞治さんと4代目・千葉弘美さんを訪ね、こぎん刺しの歴史と、手仕事を未来へつなぐものづくりについて話を聞いた。

津軽の厳しい冬が育んだこぎん刺し

世界有数の豪雪地帯として知られる、青森県津軽地方。

厳しい寒さの中で生きる人々の知恵から生まれたのが、伝統的な刺し子「こぎん刺し」だ。

江戸時代、津軽地方は寒さが厳しく綿が育ちにくい土地だった。そのため木綿は貴重品であり、藩は倹約令によって農民が綿の着物を着ることを禁じた。許されたのは、自ら織った麻布の着物だけだった。

しかしよく知られるように、麻布は織り目が粗く、風を通しやすい素材だ。

雪国の寒さをしのぐにはあまりにも頼りなく、女性たちは少しでも暖かく丈夫な着物にしようと、一針一針刺し子を施した。

やがて、防寒のために始まった針仕事は、美しさも求められるようになり、特有の幾何学模様が編み出された。長い冬の間、より美しい模様を刺すことは、女性たちの楽しみであり、家族への愛情を形にする営みでもあったのかもしれない。

しかし、明治時代に入ってからの安価な織物の普及によって、こぎん刺しは少しずつその姿を消していく。一時は途絶えかけたものの、昭和初期、民藝運動を牽引した思想家・柳宗悦がその美しさを見いだしたことで、再び注目を集めるようになった。

そしてその技を今日までつないできたのが、「弘前こぎん研究所」である。

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伝統を残すためのものづくり

「商売として続けていかなければ、伝統は残りません」

そう話すのは、3代目の成田貞治さん。

1942年、「津軽こぎん刺し」の保存と普及を目的に設立された弘前こぎん研究所は、ホームスパンの工房として始まり、その後、こぎん刺しの製造・販売へと事業を転換した。現在は約100人の刺し手とともに、手仕事で商品をつくり続けている。

その思いを受け継ぐのが、4代目の千葉弘美さんだ。

18歳の頃にアルバイトとして研究所に入り、「気づけば20年以上も経ってしまいました」と笑う千葉さん。現在は代表取締役を務める傍ら、自らも伝統工芸士として針を持つ。

「こぎん刺しは、針と糸、生地があれば、どこでも刺すことができます。家事の合間や移動時間など、それぞれの暮らしに寄り添いながら続けられる手仕事なんです。刺し手の皆さんは本当に刺すことが好きで、私たちは冗談で『中毒者』って呼んでいるくらいなんですよ(笑)」

暮らしの中で磨かれた美意識

こぎん刺しの魅力は、その美しい幾何学模様にもある。

横糸に沿って布の縦糸を一目一目数えながら刺し進めるのが特徴だ。模様は「モドコ」と呼ばれる菱形の基礎模様を組み合わせて生まれる。代表的なモドコだけでも約30種類あり、その組み合わせは無限大。昔から伝わる模様をもとにしながら、今も新しい模様が生まれ続けている。

また、こぎん刺しの模様は地域によっても異なるそうだ。なかでも西津軽のこぎんは、細やかで美しい模様が多いことで知られ、昔は「嫁をもらうなら西から」と言われるほどだった。美しいこぎんを刺せる女性は、働き者で器用な女性の象徴でもあったという。

一目でも数え間違えれば、美しい幾何学模様は生まれない。だからこそ、こぎん刺しには高い技術と集中力が求められる。

「ただ寒さをしのぐだけなら、こんなに美しい模様にする必要はなかったと思うんです。でも女性たちは『もっときれいなものにしたい』という思いで、競うように模様を生み出していきました。今のような図案もない時代に、本当にすごいことだと思います」

暮らしのために生まれた手仕事は、いつしか津軽の人々の美意識によって磨かれ、世代を超えて受け継がれる伝統へと育っていった。

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人と人をつなぐこぎん刺しの魅力

商品づくりを支えているのは、約100人の刺し手たち。研究所から受け取った材料を自宅へ持ち帰り、それぞれが内職として、こぎん刺しを施している。

研究所では、生地を商品ごとの大きさに裁断し、糸や模様を指定した指令書とともに準備する。それらを受け取った刺し手が自宅で刺し進め、完成した作品は再び研究所へと戻る。仕上がりを確認し、必要に応じて手直しや検品、アイロンがけを経て、一つの商品として完成に至る。

では、実際に刺し手はその魅力をどう感じているのだろうか。研究所で働く方に、その魅力を聞いてみた。

「刺し進めるうちに少しずつ模様が現れてくるのが楽しくて、手元にないと不安になるくらいです。時間があれば、とにかく刺しています。子どもの迎えを待つ車の中でも刺しますし、旅行に行くときも飛行機に持ち込んで刺したことがありました(笑)」

コロナ禍で内職の仕事を減らさざるを得なかったときも、「少しでもいいから続けたい」と話す人がほとんどだったそうだ。

「もちろん仕事ではあるんですけど、それ以上に好きだから続けている方が多いんです。私たちは商品をつくることができるし、刺し手の皆さんは好きなことを続けられる。お互いにとって、いい関係を続けてこられました。

私は刺し手さんとやり取りをすることが多いのですが、こぎん刺しのことはもちろん、日々の何気ないことまで話すんです。それが楽しくて、仕事のやりがいにもつながっています」(千葉さん)

人を大切にするものづくりを

寒さをしのぐため、生活の知恵から生まれたこぎん刺しだが、現在ではバッグやポーチ、小物など、暮らしに寄り添うさまざまな商品へと姿を変えている。

なかでも人気を集めているのが、りんご柄のこぎん刺しだ。セレクトショップとのコラボレーションをきっかけに誕生した商品で、伝統的なこぎん模様を、青森を象徴するりんごに落とし込んだ。

発売当初は「本来のこぎん刺しではない」という声も少なくなかったという。しかし、青森土産として多くの人に親しまれ、今では生産が追いつかないほど人気商品へと成長した。

「昔ながらの柄や商品はもちろん大切にしています。その一方で、新しいデザインや商品も取り入れていかなければ、今のお客様に手に取っていただけなくなってしまいます。形を変えながら受け継いでいくことも、伝統を守るためには大切なことだと思っています」

最後にこれからの目標を尋ねると、千葉さんは「無理をしないこと」だと話してくれた。

「ありがたいことに、いろいろなところからご注文をいただいています。でも、全部を引き受ければ自分たちも苦しくなるし、刺し手さんたちの負担も増えてしまいます。品質をきちんと守りながら、一人ひとりのペースに合わせて、無理なく続けていくことを大切にしていきたいです」

時代に合わせて姿を変えながらも、人々の暮らしの中で育まれてきたこぎん刺し。その技と思いは、今日も人の手から人の手へと受け継がれている。

Text by 奥村サヤ

#職人#青森#こぎん刺し#刺し子#技術#歴史#文化#伝統
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