for fontplus
Illust 3
Illust 1
ルビニャックから東京へ(アンドシュ・プローデル)
2025.10.31
ルビニャックから東京へ(アンドシュ・プローデル)

アンドシュ・プローデル

画家として活動する傍ら陶芸に取り組み、日本とフランスで個展を開催しながら日本文化の精神性を探求している。

フランス出身のアンドシュ・プローデルは、谷田章三との出会いをきっかけに陶芸へと転向した。日本文化や文学への関心を背景に、楽焼の茶碗制作を通じて日本の美意識を探求している。
ルビニャックから東京へ(アンドシュ・プローデル)

メキシコで出会った師、谷田章三

1989年、メキシコのサン・ミゲル・デ・アジェンデで活動する日本の陶芸家、谷田章三さんの指導を受けたことがきっかけで、陶芸への情熱を見出しました。

彼は自身を芸術家とは呼ばず、とても謙虚な人でした。住まいは、川西インターチェンジの裏手にある小さな小屋。そんな素朴な暮らしぶりでしたが、私の内に秘めた大きな志をすぐに理解してくれました。ひとたびアイディアを思いつくと、どうすれば実現できるかを調べ、親身になって考え、実現へと導いてくれたのです。

彼が使うのは、決まって白い信楽土でした。あるとき私が赤土を穴窯で試すと、とても満足のいく仕上がりになりました。うれしくなって「先生もいかがですか?」と勧めると、彼はただ笑っていました。

谷田さんは学生たちと分け隔てなく、一緒にパーティをするような人で、楽しむことを大切にする人でした。戦時中に生まれ、大阪で空襲を経験していた彼は、これ以上苦しみに身をさらしたくはないとそう願っていたのかもしれません。

谷田さんに出会い、自分の作品を超えて広い世界を見ようと努める私を、彼は誇りに思ってくれたように感じます。彼が教えてくれたのは、粘土を中心とする世界です。ヨーロッパでは、粘土は常に隠されてきたように思えます(たとえばマヨリカ陶器の白い釉薬のように)。粘土とは大地であり、ありのままの自然です。描くべきものを模索し、満足のいく絵画が描けずにいた私にとって、それは新たな世界の発見でした。

谷田さんとアンドシュさん
谷田さんとアンドシュさん

パリから始まった日本文化への憧れ

私は1993年から1995年にかけて、日本に滞在しました。このとき鯉江良二さんと出会い、オブジェや茶碗の制作にも取り組みました。そのためか、私の作品は現在もなお、伝統的な日本の陶芸と比べられるのかもしれません ──たとえフランスという、気候、文化、言語がまったく異なる場所で制作していても。いずれにせよ、私はこの50年間、日本の「心」がどのような形であるのかを探し続けています。

日本への関心は、陶芸よりもずっと前に始まっていました。1970年にパリに着いた当時、哲学を学ぶ若者たちの間では、日本映画が大変な人気を博していました。私たちは溝口健二や黒澤明の作品を夢中で探し求めたものです。その後、小津安二郎の作品にも出会います。映画をきっかけに、日本文学にも強く興味を抱きました。川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎と読み進め、さらに紫式部と清少納言の文学にも触れました。中でも個人的に心惹かれたのは、太宰治でした。

Illust 2
ルビニャックで制作を行うアンドシュさん
ルビニャックで制作を行うアンドシュさん

楽焼の茶碗に導かれて

もともと私は画家になりたいと思っていました。幼い頃を過ごしたリムーザン地方の田舎は、私に大地の色と質感を教えてくれ、自宅の数キロ先にあったラスコーの洞窟は、私の想像力を刺激してくれました。

この頃の私の絵画には、まだ日本の影響は見られません。しかし1980年、ニューヨークのキャナル・ストリートで偶然「和紙」に出会ったとき、私は衝撃を受けました。それからというもの、2×3メートルの大きな和紙に水彩画を描き始めるようになり、私の作品はおのずと「書」に近づいていきました。

そして、谷田さんと陶芸に出会いに繋がり、彼が作った楽焼の茶碗に感動し、これこそが私の進むべき道だと確信しました。彼は「もっと知りたいなら、日本にある私の工房に来なさい」と熱心に勧めてくれました。これが、私にとっての好機だったのです。

「画家が一枚の絵を描くように、彫刻家が一つの彫刻を作るように、私は茶碗を一つひとつ作る。その過程で、おのずとシリーズ作品が生まれてくるんだ」という彼の言葉を聞いて、「これだ!」と思いました。その時の私にもう迷いはありませんでした。

こうして私は作陶に打ち込み始めました。初めて日本に滞在した年、陶芸を学びながら日本各地を旅して回りました。工房や美術館を訪ね歩き、日本の美学の深さに触れることこそが、何よりも大切だと考えたからです。

La Civilisation, 150×150cm, 1990
La Civilisation, 150×150cm, 1990

泥と見なされた粘土

東洋では歴史を通じて重要な役割を担ってきた陶芸が、古代ギリシャやメソポタミアの文化と違い、なぜ西洋ではこれほどまでに軽んじられてきたのでしょうか。この問いの核心には、西洋には「わびさび」の概念がなかった、ということがあるのかもしれないと考えます。粘土はすなわち泥であり、汚れを連想させます。それは、神聖な光のメタファーとはなり得ません。ガラスや油絵がその役割を担ったのとは対照的です。

しかしながら日本の文化は、自然との調和こそが不可欠なのだと教えてくれます。その思想に触れたとき、私は深く安堵したのを今でも覚えています。そして日本では、禅をはじめとする思想をもっとも深く映し出したのも、陶芸だったのではないでしょうか。時代を超えて日本が「陶芸家の聖地」であり続けるのは、常に深遠な思想があるからにほかならないと感じています。

La Grande voyageuse, (A great traveler), Loubignac 2020, (53 x 40 cm)
La Grande voyageuse, (A great traveler), Loubignac 2020, (53 x 40 cm)

アーティストであること

今でも時として、私はあまりに不器用で拙く、日本文化の深奥にまでは到底辿り着けないのではないかと感じることがあります。一方で、そんな私を助け、作品の独自性を認めてくださる方々には、心からの感謝しかありません。

樂さん(15代樂吉左衞門氏)がそうであるように、自分が陶芸家か、画家か、詩人か、などと、何者であるということはさほど重要ではないのです。アーティストであるというのは、特別な職業に就いていたり専門性を持っていることではなく、ただそうありたいと願う心に過ぎないのです。私はフランス人であり、日本が大好きです。そこに何の矛盾も感じません。

私が日本で出会った陶芸は、私たちを火や土とひとつにし、描かれる絵画は光の本質と水のしなやかさに気づかせてくれます。そして土に触れる度、それはいつも私たちを包む空気のように、これからもありのままの自然について教えてくれるでしょう。

1999年京都にて。左から15代樂吉左衞門さん、アンドシュさん、12代戸田博さん
1999年京都にて。左から15代樂吉左衞門さん、アンドシュさん、12代戸田博さん
#Artisan#日本文化#伝統工芸#技術#歴史#楽焼#日本の美#リレーコラム
よろしければ、記事の感想を教えてください
シェア
関連する記事
Crossing Perspectivesシリーズの記事