



緑あふれる、風光明媚な栃木県益子町。
約250の窯元、約50の陶器店を持つ焼き物のまちである。
創業130年を超えるえのきだ窯の5代目を受け継ぐ、智さん・若葉さん。伝統を受け継ぎながら、それぞれの個性を生かし、BEAMS JAPANといったセレクトショップで扱われるなど、現代の暮らしになじむ器を作り続けている。
バンドマンであった智さんが焼き物を作り始めたのは、若葉さんとの出会いがきっかけ。それぞれの個性と伝統がおおらかに混じり合う、えのきだ窯の物語に耳を傾けたい。

昭和天皇から茶器セットで勲章を授与された、伝統ある窯元
「益子焼の歴史は170年ほどですね。江戸時代末期に笠間で修業した大塚啓三郎が益子に窯元を築いたことで始まりました。実は比較的新しい焼き物の産地でもあるんです」
自然豊かなこの地では、半農半陶の暮らしを営む窯元が多かった。水瓶、鉢、土瓶などの生活雑器と呼ばれる焼き物の産地として発展した益子に、民藝運動が花開く。
「柳宗悦 (やなぎ むねよし)と共に民藝運動を進めていた陶芸作家・濱田庄司(はまだしょうじ)が、益子焼の美しさを見いだしたんです。1924年に濱田さんが移住したことで、益子は器などの民藝品の一大産地へと発展していきました」
創業130年を超えるえのきだ窯を受け継ぐのは、5代目の榎田智さん・若葉さん夫婦。えのきだ窯が特に得意とするのは、急須の焼き物。若葉さんの祖父である3代目はかつて濱田窯で働き、昭和天皇への茶器セット献上によって『勲七等青色桐葉章』を授与された栄誉を持つ。
「数えきれないほどの急須を、先代は日々作っていました。湯飲みやお皿一つとっても、これぞ民藝という力を感じます。自然体で仕事に向き合う姿勢が、うちの窯元が受け継いできたことかもしれません」


きっかけは沖縄。バンドマンから焼き物職人の道へ
2人の出会いは、なんと沖縄。えのきだ窯に生まれ、益子焼職人をしていた若葉さんが沖縄のゲストハウスを期間限定で手伝うことになり、お客さんとしてやってきた智さんと偶然出会ったのだ。
「もともとはバンドマンをしていたんです。何かを見いだしたくて、ギターを抱えて沖縄を旅していた時に、彼女に出会ったんです」
智さんは大阪、若葉さんは益子に戻ってからも、連絡を取り合う日々は続いた。 あるとき夜行バスに乗って、若葉さんに会いに益子を訪ねたときに、濱田庄司の収集した民藝を集める濱田庄司記念益子参考館に連れていってもらった。
「参考館に展示されていた言葉に『民藝は音楽に近いかもしれない』と衝撃を受けました。でもその後参考館に行っても、どの言葉か見つけられない(笑)。ただ、当時たしかに雷に打たれたことは覚えています」
これからの生き方を考えるなかで、智さんは思い切って若葉さんの近くへと移住を決意する。一度隣町で働いたのち、智さんはえのきだ窯で働き始めることになる。そのきっかけは、「家においでよ」という先代の温かい言葉だった。

おおらかな生き方は、民藝の本質かもしれない
えのきだ窯で働き始めた智さん。とはいえ、最初から職人を目指していたわけではなかったという。
「最初は『菊もみ』と呼ばれる粘土をもむ作業をお手伝いしたんです。そしたら腱鞘炎になってしまって。そこから、えのきだ窯が営む蕎麦屋を手伝うことになりました」
現在は閉店しているが、えのきだ窯には窯元で焼いた器で、先代の手打ち蕎麦をいただける蕎麦屋があった。若葉さんと結婚し、自分の道を探るなかで、本格的にここで生きていきたいと思うように。
「若葉さんやお父さんが作った器も好きだったし、料理を食べてもらって、地域の人たちとつながって。その循環のなかで生きるのはいいなあと思ったんです。えのきだ窯に感じるおおらかさは、民藝の本質かもしれないって」
一度は断念した焼き物に挑戦したくなった智さん。若葉さんの手伝いで型焼から始め、益子焼の後継者を育てる窯業技術支援センターに通うことになった。技術を身につける日々のなかで、印象的なことはありますか? と問うと、智さんは「陶芸は総合芸術だ」という先代の言葉を教えてくれた。
「形を作り絵を描いて、色付けして焼く。陶芸には芸術の全てが詰まっていると先代は言ってました。でも当時の僕にはそれがプレッシャーになっていました。
粘土に向き合い手応えを重ねていくなかで、いつのまにか「作る」ことがだんだんとできるようになっていったんです」

受け継がれた形に、それぞれの色をつけていく
えのきだ窯には、智さん、若葉さん、先代、それぞれの個性が生かされた器が並んでいる。
「自由にやらせてもらってるんです。僕が来たときから若葉さんも先代も違うものを作ってる。2人がよい距離感で、僕がすーっとその間に立って、うまいことやれてるんかなと思います」
先代のような力強さのある、気取らない民藝の器を目指している智さん。若葉さんの焼き物は、益子焼の伝統釉を使い、ポップでモダンな温かみのある焼き物が持ち味だ。
お互いの表現を大切にしているとはいえ、バラバラに違うものを作っているわけではない。共通点があったり、互いに影響を受け合ったりしているのだという。
「昔から受け継がれてきたえのきだ窯の型を使うので、形は同じだったり、僕自身が先代の焼き物に強く影響を受けたり、なんとなくのベースは一緒で、そこに自然体で自分の色をつけていく。
えのきだ窯には、他の窯元にあるいわゆる『窯もの』と呼ばれる看板商品がありません。それは弱みだと考えていたこともありますが、実は違う。看板ものや縛りがないからこそ、伝統を受け継ぎながらそれぞれの感性が生かされた作品が生まれているんです」

生き方が、おのずとものづくりに表れてくる
智さんの作品づくりに影響を及ぼした出来事がある。2023年に、益子陶芸美術館の陶芸国際交流事業として、イギリス・セントアイヴスにある陶芸の窯元リーチ工房に派遣される研修プログラムに参加したのだ。
リーチ工房は、濱田庄司がイギリス人陶芸家バーナード・リーチと共に海を渡り、築いた窯元だ。民藝をいまに受け継ぐ異国の窯元で、どのようなことを学んできたのだろうか。
「最高でしたね。マグカップはイギリスが本場なんです。マグカップやピッチャーの形も、取っ手の付け方やピッチャーの口の作り方なんかも、リーチ工房で教わったやり方に変わりました」
学んできたものは技術だけではない。仕事への向き合い方や人生の過ごし方など、職人たちの生き方にも影響を受けてきた。それは2人のお話を伺うなかで、著者が感じたことでもある。生き方とものづくりが、ゆるやかにつながっている。
「民藝を通じて濱田さんたちが伝えたかったことに、古い・新しい、西や東も関係なく、よいものはよいという考え方もあると思うんです。それは音楽やいろんなことに共通していて。そう思って音楽をやっていたし、今もそう思って生きています。
でも、僕らは古の時代の民藝のよいものを作ることはできない。当時の職人は、よいものを作ろうと意識してはいなかったはずですから。毎日何万個と作陶するなかで、その人の人生がものづくりに自然と反映されていく。そういう感覚も音楽に近いと思うんですよね」
えのきだ窯の器は、手ざわりがとても温かい。暮らしのなかで使いやすいように作られた器を手に取ってみると、その手触りからは2人の気さくな人柄が感じられる。
取材の前には囲炉裏を囲み、智さんがコーヒーを淹れてくれた。えのきだ窯の焼き物のピッチャーを使い、ハンドドリップでゆっくりと淹れられたコーヒーは、「気負わなくていいんだよ」と言ってくれているかのような、ほっとする味わいだった。
Text by 荒田 詩乃






