



フランスでの出会い
私が初めて日本と出会ったのは高校生のときでした。隣の席の友人が日本の音楽を聴いていて、その美しい言葉にすぐに魅了され、「この言語を学びたい」と強く思いました。もともと外国語が好きで、スペイン語や英語、中国語、韓国語を学んでいましたが、日本語は特に魅力的で、発音するのがとても心地よい言語だと感じました。
最初の2年間は独学で学び、その後、経営学を学ぶために通っていたパリの夜間学校で初めて日本人と出会い、「日本人は親切で誠実な人が多い」と感じました。その経験から、日本についてもっと深く学びたいと思い、経営学をやめて2009年よりパリのINALCO(フランス国立東洋言語文化学院)で日本の文学や歴史、芸術、言語を学びました。特に、縄文・弥生・古墳時代といった、あまり語られることのない歴史に強く惹かれました。私にとって、日本の本当のルーツは仏教伝来以前のこれらの時代にあると感じたのです。
私の家族はフランス・ブルターニュ地方の出身です。ブルターニュにもキリスト教伝来前の独自の文化があり、古代日本と似た点が多くありました。私は知らず知らずのうちに、日本に親しみを覚えていたのです。
2011年には、友人と東京への旅行を計画していました。しかし東日本大震災と原発事故が発生したため、友人たちは旅行を断念。私は翌年の2012年に日本へ行くことを決めました。

東京から愛知へ
2012年1月に東京を訪れ、最初の1ヶ月は友人の家に滞在しました。すべてがフランスとは違いました。都市の景色、数えきれないほどの駅、時間通りに運行する電車、行き届いたサービス、人々の優しさ、治安のよさ、そして街の清潔さ。はじめの数週間で日本が大好きになりました。パンやチーズが少し恋しくはなりましたが、日本の食べ物もすぐに気に入りました。すべてが新しく、すべてが魅力的でした。
その後、愛知県田原市にある旅館で働くことになりました。その田舎の地で、食事の配膳や皿洗い、建物や庭の手入れをしていました。周囲には山や森、広大な海岸が広がり、とても静かで美しい場所でした。
ある日、東京の友人から「堺市の鍛冶職人を手伝ってくれないか」と頼まれました。その職人はフランスで展示会を開く予定で、フランス語の通訳を必要としていたのです。それが鋏鍛冶(はさみかじ)「佐助」の職人、平川康弘さんとの出会いでした。展示会が成功して日本に戻った際に、彼はお礼として自宅に招待してくれました。


堺での第一歩
2012年7月、初めて「佐助」を訪れました。
工房の扉を開けると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような空間が広がっていました。外の世界は現代的なのに、一歩中に入ると木造で、土間が広がり、古い道具が並ぶ静かな空間でした。その夜、私たちは食事をし、日本酒を飲み交わすなかで、平川さんから「ワーキングホリデービザが切れるまで工房を手伝わないか」と誘われ、私は喜んで受け入れました。
2012年8月に堺市へ移り住み、弟子としての生活が始まりました。当時住んでいたのは文化住宅という古いアパートで、お湯は出ず、お風呂もなし。冷暖房もない部屋で、夏は暑く冬は寒い。夜になると下の階の住人が友人と遊んでいる音が聞こえ、部屋には害虫も多く発生しました。そんな環境でしたが、不思議と嫌ではありませんでした。
工房では「佐助」のカタログやウェブサイトをフランス語と英語に翻訳し、海外に向けて工房のPR活動を手伝いました。2012年10月には神戸の有名な日本酒である福寿の蔵元(株式会社 神戸酒心館)で行われた展示会で、地元新聞社が私を取材にきました。これが私の初めてのメディア出演となり、その後、テレビ局も取材に訪れました。「外国人が日本の伝統工芸を学ぶ」ということが珍しく、大きな関心を集めました。
私が「佐助」の役に立てることを示したことで、平川さんから「正式に弟子にならないか」と誘われました。
修行の日々
私は、文化活動ビザを取得し、5年間にわたり日本の伝統的な鍛冶技術と文化を学ぶことになりました。
仕事は朝7時から夜10時まで。朝は工房や店舗の掃除、厨房や鍛冶場にある神棚へのお祈り、そして包丁やハサミ、刀に油を塗って手入れしました。昼食は皆で食べ、必ず10分の昼寝をします。午後は金属や炭を切る作業を行い、夕方6時から夜10時までは、師匠の鍛冶仕事を見学。修行の初期は見て学ぶことが基本でした。
見習いの給料は非常に少なかったため、夜はフランス語講師として働き、休日は観光ガイドをして生計を立てました。京都・姫路・奈良・高野山・大阪などを案内し、関西の文化についても多くを学びました。お金はなく、食費を節約しながらの生活でしたが、それでも幸せでした。
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少しの名声
私は月に何度も、ドキュメンタリー番組やテレビ番組、新聞などに取り上げられるようになりました。メディアの力のおかげで、修行を続けるモチベーションを保つことができました。
2014年には、「NHK WORLD-JAPAN」のドキュメンタリー撮影のために1週間にわたって新潟県三条市を訪れ、素晴らしい職人たちと出会うことができました。この経験をきっかけに、三条という土地に強い愛着を持つようになりました。この地域の技術と職人技と伝統的なもの作りに魅了され、特に三条の、鍛冶職人・日野浦司さんを深く尊敬しています。
2015年には、これまでの活動が評価され、フランス外務省から招待を受けました。自身の活動が日本の伝統を世界に広める手助けになっていることを実感し、日本の伝統文化を世界に広めることが自分の使命なのだと確信しました。当時の堺市長も、師匠の家族と親しかったため、ずっと応援してくれました。
2018年、自分の道を歩むため「佐助」を離れることを決意しました。まずはガレージを借りて作業場にしました。三条で働きたい気持ちもありましたが、堺市の産業振興センターからアドバイザー・コーディネーターの仕事を提案され、それを引き受けました。同時に、ガレージでの包丁制作も続けていきました。
職人たちは誇り高くプライドを持って働いています。一方で、それが時に嫉妬や対立を生んでしまうケースも少なくありません。ただ、私はそういった嫉妬や対立が日本の文化に悪影響を与えないよう気をつけています。私は「自分の商売さえよければよい」と考えるのではなく、伝統の継承についても重視することを大切にしたいと思っています。

現在
現在はアドバイザー兼コーディネーターとして従事し、「堺伝匠館(堺伝統産業会館)」にあるオフィスで観光客への案内や職人、企業、メディアなどと仕事をしています。「堺伝匠館」の売り上げの60%は観光客によるもので、地元経済にとって非常に重要です。
毎年、産業振興センターと協力してフランス・ドイツ・ルクセンブルクなどに赴き、伝統工芸のPR活動を行っています。2018年に文化振興イベントや包丁研ぎの実演を企画した際、パリの有名レストランで活躍するシェフ、フレデリック・ル・グエン=ジェフロワ氏と出会いました。彼は堺市の包丁を愛用しており、2023年に世界パテ・アンクルート選手権で優勝した際には、「日本の包丁のおかげでもある」と語っています。
彼とは今も親交があり、一緒に日本文化の普及活動を行っています。彼はシャンゼリゼ通りで料理教室を開き、「TopoFoodies」というワークショップを通じて日本文化を発信しています。
また、東京とドイツ・フランクフルトに店を持つ寿司職人・堺博(さかい ひろし)氏も、私の活動を支えてくれる重要なパートナーのひとりです。こうした世界中のシェフたちとのネットワークを築きながら、日本の包丁や伝統文化の魅力を伝え続けています。

堺は奈良や京都よりも古い歴史を持つ町です。かつて堺の近くにある住吉には、日本で最初の国際貿易港が存在しました。堺は世界との交流の玄関口であり、新しい文化が最初に入る場所でもありました。1,600年前の古墳時代から、堺には多くの鍛冶職人が集まり、伝統を受け継いできました。現在でも、日本料理に欠かせない包丁の多くがこの地で作られています。
堺には、包丁はもちろん、お香、千利休の茶道、手ぬぐい、和菓子、三味線、鯉のぼり、醤油など、日本の伝統文化が今も根付いています。私はこの素晴らしい文化を世界に伝えるため、活動を続けています。2018年には、高知県の酒蔵をフランス人ソムリエに紹介する通訳兼ガイドの仕事をしました。その経験を通じて、高知の料理とお酒に感動し、四国の食文化に魅了されました。
現在、私は「堺刃物ミュージアム CUT」の近くに自分の鍛冶場を持ち、オリジナルブランドの包丁を制作しています。江戸時代の古民家を改装した工房に包丁やその他の作品を展示しており、訪問者は鍛冶体験も可能です。
私は包丁だけでなく、香炉や燭台、皿などの製品も鍛造し、フランスのデザインを取り入れながら、作品の幅を広げています。
私は堺を世界に広めるため、講演活動も行い、日本の伝統と文化を守る必要性を日本の人々にも伝えています。

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将来の夢
いつか、日本の伝統文化の保護と観光振興のアンバサダーになりたいと思っています。現在の私は「30%鍛冶職人、70%コーディネーター」といった働き方をしており、どちらの活動も心から楽しんでいます。
日本を訪れる外国人には、敬意を持って真の日本の文化を楽しんでほしいです。それが日本人にとっても有益なものになることを願っています。
私には息子と娘がおり、いつも家族に支えてもらっています。子どもたちには将来、私の仕事を引き継いでほしいと思っています。
私の夢は家族全員で大きな家に住むこと。まるで「サザエさん」のような暮らしです。それが、幸せに生きるための理想的な形であり、日本が平和であり続けるために大切なことだと思っています。
もし関西を訪れる機会があれば、ぜひ堺に立ち寄り、この街の歴史と伝統の魅力を体験してみてください!






