



木馬の伝説から生まれた「三春駒」
日本三大駒のひとつ「三春駒」の起源は、1000年以上前の平安時代にまでさかのぼる。征夷大将軍・坂上田村麻呂にまつわる伝説が、その始まりだ。
戦火の中、窮地に立たされた将軍を救ったのは、どこからともなく現れた100頭の木馬の群れ。京都・清水寺でお守りとして授かった木馬が、本物の馬へと姿を変え、田村麻呂を助けたと伝えられている。
この伝説がやがて、子どもの健やかな成長を願う縁起物として広まり、馬の形を模した三春駒が作られるようになった。
かつてこの地を治めた三春藩には多くの野生の馬が生息し、江戸時代には良質な軍馬や農耕馬を育て、馬の産地として栄えてきた。
丈夫で力強い三春の馬をモデルに、子どもの健康と健やかな成長を願う縁起物として作られてきたのが三春駒だ。厳しい土地で暮らす人々が、子どもの成長や家族の幸せを願い、手元に置いてきた祈りのかたちでもある。
黒い三春駒は子どもの健やかな成長や子宝を願う「子育て駒」とされ、古くから親しまれてきた。一方、白い三春駒は長寿や無病息災を願うものとして作られている。

現代に残る職人の集落「高柴デコ屋敷」
三春駒が生まれる場所は、現在の郡山市西田町にある「高柴デコ屋敷」。江戸時代から300年以上にわたり、三春張子や三春駒といった人形づくりの文化が途絶えることなく守り継がれてきた。人形づくりを生業とする家々が集まる職人集落は全国的にも珍しく、現在も4軒の工房が残り、それぞれで制作が続けられている。
デコとは、木偶(でく)と書き、木でできた人形のことを指す。そもそも、この地で人形づくりが始まった理由は、暮らしと密接に結びついているという。
「一言で言えば、ここが貧しかったから作り始めたんです。ここは町から離れた田舎で、農業だけでは食べていけないほど厳しい土地でした。だから冬の農閑期に、副業として人形を作り出したのが始まりです」
決して豊かな土地ではなかったこの地で、家族の生活を守るために始まった人形づくり。暮らしを支える仕事として生まれたこの営みは、やがて地域の文化と結びつき、郷土を代表する民芸品へと育っていった。


直線のみ、無骨なまでの力強さが魅力
4軒ある工房の中で、「彦治民芸」は現在では唯一となった、一本一本、木から削り出す伝統的な手法で製造を続けている。職人の村越さんは16歳でこの道に入り、以来、三春駒を彫り続けてきた。
「左右対称にするのは、やっぱり難しいです。50年やっていても、うまくいくときと、そうじゃないときがあります。気持ちがイライラしているとダメなんですよ。材料のほおの木も、やわらかいところと硬いところがあったり、木目の状態も一本一本違うので、力のかけ具合には結構気を使っています」
三春駒の造形は独特だ。丸みを帯びた曲線はなく、鉈で削り出したような力強い直線と面で構成されている。丸く見える部分も、実は直線を組み合わせて作られているのだという。その素朴で力強い姿は、名馬の産地として知られたこの土地の気質をどこか思わせる。
その造形の奥底に流れているのが、「静」と「動」の鮮烈な対比。木地そのものは、どっしりと大地に根を張ったような安定した形をしていて、いわば「静」のかたち。しかし、そこに筆が入ることで、「動」の生命力が吹き込まれる。
「特に大事なのが、脚の模様です。今にも前に飛び出そうとする勢いを、前脚のところで表現するんです。ぐっと踏み込んで、すっと前に出るように描く。それが一番難しいです」

昨日より良いものを愚直に作り続ける
11代目の橋本大介さんは、もともとテレビ制作会社に勤めていたが、2010年に家業を継ぐためこの地へ戻ってきた。子どもの頃は家業にまったく興味がなかったため、三春駒づくりはまさにゼロからのスタートだったという。
修業を始めた大介さんが大切にしているのは、父・高宜さんの「職人とはどうあるべきか」という教え。
「『俺たちは芸術家ではなく職人なんだ』と言われています。立派に描こうとするのではなく、1つ目より2つ目が良くなるように、常に向上心を持って筆を動かせと。父でさえ、自信を持ってお客さんに品物を出せるようになったのは、始めて30年、還暦を過ぎてからだといいます。それでも満足することなく、常に昨日より良いものを作り続ける。その積み重ねこそが職人の道なのだと教わりました」
三春駒づくりの歩みは決して順風満帆ではない。第2次世界大戦の最中、人形の材料であった木材は薪として燃やされ、多くの木型も失われた。文化の灯火が消えかけた時期もあったという。
「それでも、うちは戦後にいち早く復活しました。ひいばあちゃんは、籠に品物を背負って、会津の方や県外まで売り歩いていたそうです」
戦後の復活を支えたのは、職人の執念だけではなかった。三春駒や張子人形を愛したコレクターや、民芸の価値を信じる人々が大切に残していた品物があった。それらを手がかりに木型が作り直され、三春駒は再び命を吹き返していったという。
「いつも心がけているのは、お客さんに喜んでもらえる良い品物を作ることです。今こうして残っているということは、それだけ価値のあるものだと認められた証しだと思うんです。もし粗悪品だったら、とうの昔に捨て去られていたはずですから」


Text by 奥村 サヤ







