



厳しい気候風土から生まれた会津木綿
会津木綿について教えてください。
会津木綿は、福島県会津地方で江戸時代から織り継がれてきた伝統的な綿織物です。
夏は厳しい暑さに見舞われ、冬は雪深く冷え込む会津の盆地気候。そんな環境に適した性質を持つ会津木綿は、夏はさらりと涼しく、冬は体温を逃がさず、あたたかさを保ってくれます。
もともとは農作業用の野良着として親しまれてきたため、とても丈夫で、日常使いに最適です。糊付けされた経糸を使っているため、はじめはごわつきがありますが、使い込むほどにやわらかさが増し、やがてはとろけるような質感へと変化していきます。昔の人々の知恵が詰まった、暮らしに根ざした織物です。
素朴ながら美しい縞模様も印象的ですね。
会津木綿の縞模様は、江戸時代に村ごとに生まれた「地縞」と呼ばれる柄がルーツです。地域によって縞の太さや色合いが異なり、それぞれの土地を象徴する“地域のユニフォーム”のような存在でした。
株式会社はらっぱが展開するブランド「HARRAPA」では、伝統的な柄に加えて新たにデザインしたものも含め、約120種類の会津木綿を生産しています。「かつお縞」や「はで縞」など、それぞれの縞模様には一つひとつ名前がつけられているのも特徴です。
1つの縞を織り上げるまでには、織りはじめる前の準備だけでも3日ほどかかります。なかでも重要なのが「整経」と呼ばれる工程です。縞模様をつくるには、色の順番や幅を正確に設定し、レシピに沿って経(たて)糸を一本一本順番に張っていく必要があります。さらに、緯(よこ)糸との組み合わせも調整しながら、手間を惜しまず、丁寧に縞模様を形づくっていくんです。

職人の手と織機が生む、奥深い風合い
独特の風合いが特徴の会津木綿ですが、その工程を教えてください。
まず、原料となる綿糸を染めるところからはじまります。HARRAPAでは、伝統的な「カセ染め」という手法を用い、糸一本一本をしっかり染め上げることで、色落ちしにくく丈夫な仕上がりになります。
その後、しっかりと糊付けを施します。織物において糸を守るために糊付けは欠かせませんが、会津木綿は強めに糊を付けるのが特徴です。そのため、織り上がったばかりの生地はバリッとした質感ですが、使い込むうちに糊が少しずつ落ちていき、やわらかく、肌になじむ風合いへと変化していきます。
糊付けの後は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を織る前の準備となる「整経」を行い、いよいよ織りの工程に入ります。経糸は、柄ごとの「レシピ」に沿って一本一本並べていくのですが、この作業こそが、生地の美しさを決める“心臓部”です。織機に通すのもすべて手作業で行われており、順番がわずかでも狂えば、織物全体が台無しになってしまいます。職人の高い集中力と、確かな手仕事が求められる繊細な工程です。


ここまで準備を整えたら、「シャトル織機」を使って織っていきます。シャトルに巻かれた緯糸が、経糸の間を行き来しながら、少しずつ布が形になっていきます。
「ガチャン、ガチャン」と一定のリズムを刻みながらゆっくりと織り上げていく工程は、現代の機械に比べるとゆっくりですが、このリズムで丁寧に織るからこそ、糸に無理な力がかからず、目がしっかり詰まった、丈夫でふっくらとした会津木綿特有の風合いが生まれるのです。
すべての工程に、職人の手がしっかりとかけられているんですね。工場に並ぶ織機もどれも年季が入っていて、長い時間をともにしてきた道具であることが伝わってきます。
原山織物工場で使われているシャトル織機は、100年以上前に製造されたものです。戦時中には金属回収令によって、一度は武器生産の資源として国に回収されてしまいました。戦後、海外から安価な布が大量に入ってくるようになり、織物工場は一気に数を減らしましたが、原山織物工場では織機を買い戻し、会津木綿の織元として再び歩みをはじめました。今も古い織機が現役で働いてくれていて、職人たちはまるで仲間のように、愛情を込めて大切に使い続けています。

時代とともに歩む、しなやかな継承のかたち
原山織物工場が「株式会社はらっぱ」に生まれ変わった経緯を教えてください。
先代の急逝で、工場の存続が危ぶまれる状況になったことがきっかけです。そのとき、「会津木綿を絶やしたくない」と立ち上がったのが、アパレルブランド「ヤンマ産業」の代表であり、現・はらっぱ代表の山崎ナナです。
会津木綿をメインの素材として洋服を作ってきた山崎は、どうしてもこの工場を残したいという強い想いから、先代社長の従兄弟にあたる小野太成とともに事業を継承するかたちで共同代表となり、原山織物工場を引き継ぎました。織物を愛するさまざまな人の協力を得て、会津木綿の再現と継承をしたと聞いています。
現在は、東京・神楽坂やニューヨークでも会津木綿が販売されています。日本のみならず、ニューヨークでも会津木綿の独特な個性を理解した人たちが手に取り、気に入ってリピーターになってくれています。


会津木綿が世界に羽ばたいているのですね。矢作さんは、山崎さんのどのような考え方に影響を受けてこの会社に入ったのでしょうか。
繊維・ファッション業界の専門紙「繊研新聞」の記事を読み、はらっぱを知ったことがきっかけでした。山崎が事業承継をして会津木綿を引き継いだコラムが載っていたのですが、「伝統は保存するためではなく、あくまで“生業として続けていく”ことが大切」という考え方に強く共感しました。
伝統を現代に合ったかたちで受け継いでいくという視点に惹かれたんです。固定観念にとらわれずに、柔軟におもしろいことを仕掛けていくその姿に感銘を受けました。実際に山崎に会いに行き、この人と一緒に働いてみたいと感じて今にいたります。
工場を訪れてみて、若いスタッフさんが多いことに驚きました。さいごに、今後取り組んでいきたいことがあれば教えてください。
おっしゃる通り、現在は若いスタッフも多く活躍していて、会津木綿を継承していくために日々取り組んでいます。工場で使用している機械はすでに生産が終了しているため、これからどう維持して使い続けていくかがひとつの課題ですね。
また、現在は海外の綿を原料とした糸を使用しています。ですが将来的には、福島県内で育てた綿花を使って紡績し、天然染料で染めた「オール福島生まれの会津木綿」をつくりたいです。

Text by 奥村 サヤ







