



関東最古の焼き物の産地として知られている、茨城県笠間。その笠間で最大の規模を誇る窯元である向山窯は、職人のチームで焼き物を作り続けている。個性を大切にした手仕事にこだわり、飲食店や商社などのプロから個人向けまでと幅広いニーズに応えながら、時には大量の注文にも対応する。
作家でも、工場でもない。手作りと産業のあいだを模索し続ける稀有な窯元に、そのものづくりの哲学を聞いた。

手作りにこだわる道を選んだ産地
JR笠間駅から、徒歩約20分。美食家・芸術家であった北大路魯山人の住居・アトリエを移築した「春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)」のある芸術の村に辿り着く。この芸術村で笠間焼を作り続ける窯元が、向山窯だ。
「笠間焼の歴史は250年ほどと言われております。江戸時代に笠間藩箱田村の名主久野半右衛門が、信楽の陶工であった長右衛門に学んだことで笠間焼が始まりました」
その約100年後、笠間で技術を習得した大塚啓三郎によって、栃木県に益子焼が生まれることとなる。
「益子は栃木、笠間は茨城ですが、八溝山地・鶏足山塊を挟んで隣りあっていて、兄弟産地として同じ文化圏で焼き物を作ってきました。滋賀の信楽焼と三重の伊賀焼、愛知の瀬戸焼と岐阜の多治見焼など、県境で山を挟む産地が意外と多いようです」
幕末から明治にかけて、笠間も益子も水甕やすり鉢など関東近郊の人々の生活雑器を作る産地として栄えた。しかし時代と共に生活様式も変化し、工芸品としての焼き物に転向していく。
「ちょうど機械化され、焼き物が量産化された時代でもありました。でも笠間の土は粘度が強く、大量生産に向かない。結果として競争を免れ、手作りの産地の道を歩むことになりました」


瀬戸で学び、笠間の窯元として生きていく
増渕さんの父は、戦前に経済産業省の前身である商工省で工芸品の指導に当たっていた。
「父は東京美術学校出身で、国内の産地や、朝鮮総督府でも工芸品の指導をしていました。終戦後に故郷である茨城に戻り、美術の教師になったんですね」
父の勧めもあり、ものづくりが好きだった増渕さんは焼き物の道を選ぶ。当時日本唯一の焼き物を学べる高校であった愛知県瀬戸窯業高等学校に、16歳で進学した。
「卒業後はそのまま瀬戸に残り、瀬戸の焼き物屋で修業をしました。瀬戸は笠間とは違って、量産化体制が整った大規模な焼き物の産地でしたね」
5年ほど働いたのち、茨城へと戻った増渕さん。笠間の焼き物屋で職人として働いたあと、1970年に独立して向山窯を立ち上げた。
「当時は笠間も変化のなかにあったんです。生活雑器の需要が少なくなり、産地が衰退していて、日用品から工芸品に転換しようとしていた。
笠間で窯元を始めるのであれば、手作りにこだわる必要がある。でもこの地で焼き物屋として生きていくために、多くの器を作れる窯元にしたい。そんな想いを胸にやってきました」

分業せず、職人の個性を大事にする
「職人たちの様子を見てください」と、工房を見せていただく。伝統工芸士の称号を取得したベテランの職人から、若者まで15名が作業をしている。なかには焼き物の魅力に夢中になり、海外からやってきて働く職人もいる。
「笠間では、一番大きな窯元です。お取引のある商社さんには、手作りの窯元では日本で一番の規模と言われたこともあります。
手作りで焼き物を作る工房が減っているんですね。量産化するには、手作りだと不都合が多い。機械化して大量生産をする工場か、手作りにこだわり少量を作る作家のどちらかが多いんです」
さらに、焼き物の産地で多い分業制を取り入れないのが、もう一つの大きな特徴でもある。1人の職人が、全ての工程を最後まで行うのだ。
「分業の方が、能率はいい。でもうちでは基本的に何でもやってもらいます。やはり1人の人が仕上げたものが、本当のものづくりだと思う。自らの想いを込めるため、最後まで自分で作り上げる必要があるんです」
「職人の個性を大切にすると、その窯元らしさは失われませんか?」と問いかけると、「縛らないのが、向山窯らしさですよ」と語る増渕さん。
「基本の作り方を最初に教えますが、押し付けません。商品として壊れやすいとか、お客様にご迷惑がかかりそうなときは口を出すこともありますが、基本的には自分の焼き物を作ってほしいと、職人たちに伝えているんです」

手作りの利点を生かしたオーダーメイド
職人がチームで作業にあたることにより、手作りの焼き物を大量に作ることができる。この利点を生かして、大手飲食店・商社など、プロユースの幅広いニーズにも応えてきた。
「機械を使うと、型から変えなければならないので大変です。むしろ手作りだからこそ、細かい形やイメージなどに柔軟に対応できる。これは手作りの利点ですね」
さらに、手作りでの量産体制を生かした個人向けのオーダーメイドの焼き物ギフトも手がける。世界でたった一つの焼き物は、ウェディングシーンなどで多くのお客様に喜ばれている。
「どうしてもできないもの以外は、基本的にご希望に応じて作ります。目の前のお客様に非常に喜んでいただけて、職人としての満足感もあるなと。うれしく思っています」
しかしながらオーダーメイドの焼き物は、自分の表現を貫きたい焼き物の作家にとっては、ハードルが高い部分もあるという。
「独自の表現を追求する作家は、人の言うことを聞いたら自分のものじゃなくなってしまうという考えもある。どっちがいいとか悪いとかじゃないですよ。でも僕自身は、そのこだわりはない。目の前のお客様が喜ぶものを、ひたすら作り続けていきたいんです」

伝統に潜む、新たな発見を求め続ける
向山窯は2018年、フィンランド語で「繊細な陶器」を意味する「ヘルッカセラミカ」を開発した。分厚くて重い笠間焼のイメージを覆す、薄くて軽い焼き物だ。
「誕生のきっかけは、『笠間焼は重い』とお客様に言われたことです。粘土の性質から笠間焼は伝統的に厚みのある仕上がりになりがちです。
飲食店は料理を豪華に魅せるために、重厚感のある焼き物を好みます。でも普段使いには、軽いものの方がいいのかもしれない。そこで土のブレンドも変更して、力加減など製法も工夫して、職人が作り上げたんです」
手に持ってみると、まるでプラスチックのような軽さながら、手作りの風合いが感じられる。カラフルな釉薬で彩られた日常が楽しくなるヘルッカセラミカは、いばらきデザインセレクション2018のテーマセレクションに選定された。
「ヘルッカセラミカは、笠間の焼き物市である陶炎祭でも好評です。薄い焼き物が人気があることに私たちも驚いたんですよね。笠間焼への固定観念をひっくり返される出来事でした」
手仕事のぬくもりと伝統を大切にしながら、目の前のお客様を喜ばせたい、そんな想いを大切に窯元を守り続けてきた増渕さんに、これから挑戦したいことを伺った。
「産地として、笠間もこれからもっと頑張っていきたい。そのためには、新しい発見を常に求めていかなければいけません。続いてきた伝統には当然いい面もあるのですが、新しいものは必ず潜んでいる。それを追いかけていきたいと思います」
取材後、家に帰り、ヘルッカセラミカを使ってみた。手仕事の風合いもありながら軽さと薄さを持つ焼き物は、使って楽しく、洗い物も楽なことに驚いた。伝統だけではない、便利さだけでもない。現代の暮らしにあったものづくりを、向山窯は今日も模索し続けている。
Text by 荒田 詩乃





