

強みを生かした、多彩な波佐見焼を提案
馬場さんが波佐見焼に携わるようになった経緯を教えてください。
両親が窯元をやっていたのですが、幼少の頃に時代の流れで廃業になり、しばらく生地業を営んでいたのです。波佐見町は私が生まれ育った場所ですし、家業でもあったことから、必然的に携わるようになりましたね。
私は佐賀県の有田工業高校の窯業科を卒業後、京都の老舗「土谷瑞光窯」で働きながら、窯や焼き物の勉強を約6年しました。また京都には工業試験場の研修制度があったので、それを活用して2年ほど釉薬を専門に勉強してきました。
その後、波佐見町に帰ってきて個人で仕事をスタートしました。両親が使っていた窯元なので古かったのですが、きちんと使える状態だったのでそのまま活用することにしました。1984年に創業し、窯元を立ち上げてから約40年経過しました。
会社のあゆみを教えてください。
最初は従業員5名でスタートしましたが、少しずつ社員が増えて現在は12名になりました。地元の商社・生地屋・石膏型屋の方々にもお世話になりながら、ここまで順調に経営を続けることができています。立ち上げから40年が経過したのを機に、代替わりして新しいチャレンジをしているところです。
もの作りに関しては、“自分が作りたいものを作る”ことを基本にしています。私は色や形の面からいろいろな提案をしてきました。
私が釉薬を専門的に学んでいたこともあり、弊社は釉薬の種類が多いです。絵付けをする商品もありますが、釉薬だけで仕上げる商品もたくさんありますよ。
代表的な商品には、どのようなものがありますか?
「ほたるメダカ」と「掛分け」です。波佐見焼では、生地をくり抜いて、その穴に透明な釉薬を充填して焼成する「ほたる焼」がブームになったことがありますが、次第にそのブームが落ち着いてしまったため、なんとか新しい形で残せないかと考えたんです。
その結果、「ほたるメダカ」シリーズが誕生しました。透明感があり、入れた飲み物の色がメダカの体の部分に映るのが特徴です。私自身、とても大好きな商品のひとつです。

焼成中の変化や仕上がりの個体差が、釉薬の面白さ
波佐見町では、分業制で生産されていると伺いました。
もともとはすべての工程を窯元が行っていたと思いますが、農業をやっていた人が焼き物に携わることもあり、土で形を作る作業を外注するのが主流となりました。
分業制の場合は、陶土屋、石膏型屋、生地屋、絵付け屋、上絵屋、窯元という流れで製造が進みます。波佐見焼は、いろいろな方の力を借りて量産が実現しています。
窯元さんの仕事を細かく教えてください。
窯元は、デザインが決まったら石膏型作りを石膏型屋さんに依頼します。その石膏型をもとに、生地屋さんに土で生地を作ってもらいます。その後は950度で素焼きを行い、絵付け・釉薬がかけられる硬さになるまで焼成。そこから絵付けなどの工程を経て、釉薬をかけたら窯に入れて再度焼成します。
その後、一部2次加工(赤絵)して800度で焼成したら完成となり、商社へ出荷します。これが窯元の基本的な仕事の流れです。生地作りを内製化している窯元もごく一部ありますが、ほとんどが外注で生地を作っています。
窯元としては、依頼された形に作り上げることが大事なので、他の工程を担う企業さんとのやり取りがとても重要になります。
御社は「釉薬の種類が多い」とのお話でしたが、釉薬の開発はどのように行われているのでしょうか?
まずは釉薬の知識を得るためのテストが必要です。どうすれば透明感が出るのか、試してみて失敗した場合はどう変更すればいいのかを考えなければなりません。
「ゼーゲル式」という釉薬の計算式があり、5つの原料を混ぜ合わせる割合を計算するのですが、昔は原料を乳鉢で混ぜ合わせて一つひとつ計算するしかないので大変でした。1種類あたり15〜20分ほどかかるので、いろいろ試すために朝から晩までやっていましたね。他の作業をしながらでは到底できません。今はパソコンがあるので、条件を管理しやすくなりました。
釉薬の難しさは、窯の中で色の出方が変わることです。たとえば、原料の産地によっても違いが現れますし、原料同士の相性や、土と釉薬の組み合わせでも変わります。
40年ほど経験を積んでいるので大まかな傾向は掴んでいますが、それでも分からないことは多いです。しかし、何十個、何千個、何万個と焼いた末に現れている個体差なので、そこが釉薬の面白さだと思っています。
釉薬は何種類あるのでしょうか?
弊社は50種類ほどあると思います。以前はブルー系の器は避けられる傾向があったのですが、近年はそういったことがあまりないので色が増え、釉薬の種類も増えています。
波佐見焼の作り方は昔からほぼ変わっていません。藍色で絵付けされたものが多かったのですが、ここ10年ほどでカラフルになりましたね。
カラフルな釉薬は、化学反応を起こして色を出しています。たとえば、鉄が多ければ水色になりますし、銅が多いとターコイズブルーになります。色を出すのに失敗することも多いので、どの窯元さんも努力されていると思います。
昔と今で、作り方に変化はありましたか?
作り方の変化はほぼありませんが、全国の窯元さんによって違い、電気窯・薪窯を使うところもあれば、弊社のようにガス窯を使うところもあります。波佐見焼はガス窯が主流となっています。
どの温度でも焼ける釉薬もあれば、窯の中のこの位置でしか焼けないという釉薬もあるので、窯の特徴を生かして配置を決めなければなりません。
昔はガス代を浮かせるために、窯の空いた空間に箸置きなどの小さなものをたくさん入れて焼いていました。空間を生かした商品開発も必要ですね。
新しい技術も取り入れながら、伝統を未来へ
御社では3Dプリンターを導入するなど、新たなチャレンジも積極的に行われていると伺いました。
窯元や商社に限らず、型屋さん、生地屋さんなども含めて窯業に携わる人が減ってきているので、いつか原型を作る型がなくなってしまうかもしれません。「一番重要な型を自社で作れるようにならないか」と考え、3Dプリンターを導入しました。
とはいえ導入するだけではダメで、焼き物の知識がないと使いこなせません。弊社には2名使えるメンバーがいます。3Dプリンターがあれば1個からでも型が作れるので、新しい商品開発に着手しやすくなりました。
波佐見焼は大量生産が前提の食器でしたが、ここ10年ほどで少量多品種の需要が増えてきました。それに対応していくために、今後は3Dプリンターを使用する機会がもっと増えると思います。
また、窯はコンピューター制御で焚けるような設備を導入しました。以前は、「自分で焚かないと」と思っていたので、夜中にも3時間おきに窯の様子を見に行っていましたね。今はコンピューター制御にしたことで、夜中に起きなくてもよくなりましたし、安定して焼くことができています。

「窯業の人口が減っている」とのお話でしたが、馬場さんが思う波佐見焼の課題はありますか?
全盛期の50%くらい窯業に携わる人が減っていると思います。人手を増やすためには、波佐見町以外から来てくれる人材を受け入れる場所が必要なのではないでしょうか。
昔は職人技を間近で見て勉強するのが当たり前でしたが、今はそういった場所が比較的少ないです。
職場だけではなく、研修施設のような場所があればいいですね。私も職人を40年やってきた経験を生かして、今後は後継者育成に取り組んでいきたいと考えています。
Text by 奥山 りか






