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江戸から続く歴史と大きな転換点
丸尾焼の創業は1845年(弘化2年)。農閑期に副業として水瓶や土管を作り始めたのが起源である。3代目の頃には農業と並行してやきものづくりを続けながら、簡易な鍋も手がけたという。
その後3代目金澤武雄は農商務省工業試験所の研究に従事し、昭和12年より益子焼に赴任し、栃木県窯業指導所を立ち上げ、益子焼の製陶会社の設立に尽力する 終戦と共に天草に戻り、自家の製陶業に専念する。
「丸尾焼は、創業から、土管や甕(かめ)のように生活に直結した器を作っていました。 時代と共に需要がなくなり、3代目は益子焼で培った民陶の流れをもとに、生活のための陶器づくりへと転じたんです。時代によって作る形は変わっていきますが、根底にある“暮らしの中の器づくり”という思いは変わりませんね」
1980年代、5代目が自ら作陶に取り組み、それまでの「職人を雇う窯元」から「当主自ら作る窯元」へと変わる。
「5代目を継承した金澤一弘は、すべて手作りによる分業制の窯元を目指しました。器の形、企画を通して、成形・絵付け・窯詰めと分業でした。時代の流れに沿うことも必要なことだが、丸尾焼として“何を残し、何をすべきか”という課題は、受け継ぐ者として山積みですね(笑)」
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天草陶石:世界に誇る白さと素材の力
天草が陶磁器産地とした背景には、「天草陶石」という素材がある。不純物が少なく白度が高い陶石は全国的に評価され、有田焼や波佐見焼などの様々な産地でも使われてきた。
「天草陶石は不純物がほとんどなく、白さは澱みなく白く、粘りもあり、なりより単体で使えるのが特徴です」
2000年には熊本県の文化祭テーマ「陶芸」が天草で開催され、天草を「陶石の島から陶磁器の島へ」と決議される。それをきっかけに陶磁器の産地化へと始動。それまでわずか数軒だった窯元が、現在では30軒近くに増えている。
しかし、陶石をめぐる課題も深刻化している。かつて100を超えた採掘場は今や数ヶ所にまで減少。採掘現場は高齢化し、人材不足も深刻化している。町としての支援や国の補助金の活用が求められるが、一窯元単位ではどうにもならない構造的な課題となっている。
一方で、他産地とのつながりも興味深い。愛媛県の砥部は似たような質の鉱脈を持つとされ、近年はシンポジウムを通じて交流が進んでいる。
「素材のルーツをたどると、地域同士の思わぬ縁が見えてくる。そういう視点での連携は面白いと思っています」


丸尾焼のものづくり:技巧よりも素朴さを大切に
丸尾焼の制作スタイルは「分業制」と「手仕事」を組み合わせたもの。機械化には頼らず、手の感覚を大切にしてきた。
「シンプルな形と釉薬の調和を大事にしています。しかし、シンプルと言えど決して平易にならない、丸尾焼の器作りを目指しています」
工房で仕事したスタッフの多くは10年ほどで独立し、各地で作陶活動を続けている。
「本当にやる気のある子は雨の日も雪の日もバイクで通ってきた。そういう子はやっぱり続けられるし、独立してもやっていけています」
一方で、現代の若い世代には体力的・経済的なハードルも高い。かつてのような徒弟制度がそのまま通用する時代ではないが、それでも「やりたい」と思う人には門戸を開き続けている。丸尾焼の柔軟な姿勢が、次世代の担い手を生み出してきた背景にある。
人と地域をつなぐ「場」としての丸尾焼
丸尾焼は器を作る工房であると同時に、地域の交流拠点でもある。駐車場を使って朝市や夜市を開催し、ライブイベントも行うなど、多様な人が交わる場となっている。
「来るもの拒まず、去る者追わず。それが丸尾焼のスタンスです(笑)。朝市では10軒以上集まり、すごいにぎわいでした。色々な手仕事の方にも参加していただき、器を超えたつながりが生まれましたね」
夜市ではお気に入りのアーティストを呼びライブをし、観光客が器を手に取りながら音楽を楽しむ姿もあったという。工房の中ではワークショップや絵付け体験も行われ、訪れた人が自分だけの器を作って持ち帰ることもできる。
「器を買うだけでなく、ここで何かを体験したり、人とつながったりしてほしい」という思いが、丸尾焼の根底にある。こうした取り組みは、工芸を「買うもの」から「参加できる文化」へと広げている。

伝統工芸の課題と未来への展望
日本の伝統工芸が抱える課題としてよく語られるのは後継者不足だ。しかし、丸尾焼の人々が強調するのは別の問題だった。
「本当に危ういのは職人よりも原料屋さん。ここがなくなると我々は少し困ります」
原料供給業者の減少は、全国の産地に共通する深刻な問題である。価格の高騰や供給不安は制作に直結し、工芸の存続を揺るがす。
「そうなったら、身近な物で作る方法を考える。原点に戻る(笑)。昨年やった無人島でやきものはつくれるか?のワークショップからは、 やきものの原点と未来への可能性を学んだ。 しかし、ギャラリーや、オンラインショップもありますが、やっぱり直接工房に来て、器を手に取ってもらうのが一番と思います」
器はただの工業製品ではなく、土と手仕事の痕跡が宿る存在。だからこそ作り手と買い手が直接つながる関係を大切にしている。
「AIや工業化が進んでも、土と手仕事の価値はなくならないと思います。人の手でしか生み出せない感触があるんです」
丸尾焼は、器を作る窯元であり、同時に人と地域を結ぶ場所でもある。
「器を作るだけじゃなく、人が交差する場になってほしい」と語る言葉の通り、工房は人々が集い、文化が交差する場所として生き続けている。






