

受け継いだ技と「当たり前」の感覚
黒く焼き締めた鉄に、細やかに刻まれた溝を作り、そこに金や銀の線を打ち込んでいく——肥後象嵌の制作は、一見すれば途方もなく繊細で緊張感のある作業だ。だが大住さんにとって、それは幼い頃から日常にある風景だった。
父や祖父が工房で黙々と作業をする姿を見て育った大住さんにとって、家業を継ぐことは特別な決断ではなかった。
「自分がやるのは自然なこと。代々続けてきたものを“当たり前”に受け継ぐ、ただそれだけです」と語る。
工房には、削り出した鉄粉のにおいや、タガネを打つ硬質な音が絶えず響いている。弟子や家族が出入りし、それぞれの作業に集中する姿は、静かだが力強いリズムを生み出す。大住さんにとってそれは日常であり、同時に背筋が伸びる時間でもある。
現在は工房「光助」を率いる立場にありつつ、肥後象がん振興会会長として産地全体を見渡す責任も担う。自らの作品を作るだけでなく、後継者の育成や産地振興の舵取りも、大住さんの日常の一部になっている。
肥後象嵌の歴史と光助の歩み
肥後象嵌は江戸時代、熊本藩主・細川忠利が京都から職人を呼び寄せたことを起源とする。武具や刀装具に施された装飾は、黒と金銀の鮮やかなコントラストによって武士の美意識を表現してきた。
当時の象嵌は、ただの装飾ではなく“武士の格式”を示すものでもあった。鍔(つば)に刻まれた文様は、持ち主の身分や嗜好を物語る。光助の家系も、その技術を江戸期から受け継いできた一つだという。
やがて明治以降、刀の需要は減る一方で、観光土産や装飾品としての需要が生まれた。昭和の新婚旅行ブームでは全国から観光客が熊本を訪れ、肥後象嵌は「旅の思い出」として大きな広がりを見せたという。
しかしその後、時代の変化とともに需要は減少し、職人の数も減っていった。現在、光助の工房では数名の職人が協力しながら生産を続けている。大住さんは「かつてのように大量に売れる時代ではない」としながらも、「だからこそ今は質を突き詰める時代」だと語る。


技法の核心:「筋打ち」が作品を生かす
肥後象嵌の制作工程は、布目切りに始まり、金属線の打ち込み、錆出し、そして筋打ちへと続く。中でも大住さんが「作品の生死を決める」と語るのが、最後の筋打ちだ。
布目切りで刻んだ溝に金銀を打ち込み、表面を磨き出すと、美しい模様が姿を現す。だがそこで終わりではない。最後にタガネで細かな筋を刻み、模様の表情を引き立てる。この仕上げによって、象嵌はただの模様から「生きた工芸」へと昇華するのだ。
「筋を入れると作品が一気に表情を持つ。まるで目が入ったかのように生き始める瞬間があるんです」——大住さんはそう語る。その言葉には、職人にしか分からない緊張感と高揚がにじむ。
さらに工房では、恒温恒湿機を導入し、気候に左右されがちな錆出しの工程を安定させている。かつては天候や湿度に仕上がりが影響されやすかったが、科学的な工夫によって品質が一定に保たれるようになった。伝統を守りながらも、現代の技術を柔軟に取り入れる姿勢が光助のものづくりを支えている。
協業と市場適応:日常で使う工芸へ
工芸の未来を考える上で、大住さんが重視しているのが「生活者にどう届けるか」という視点だ。伝統工芸は「美しいが日常には不要」と思われがちだが、それを変えるために他分野との協業を積極的に行っている。
たとえば、企業やキャラクターとのコラボレーションでは、図案をそのまま象嵌にするのではなく、「象嵌で表現できる線」に描き直す必要があるという。単なる技術提供ではなく、デザイン段階からの工夫が求められるのだ。
実際に体験教室を開いた際、参加者が「思ったより難しい」「模様が浮き出た瞬間に感動した」と語る姿に手応えを感じたという。観光土産の枠を超え、“作ってみたい”“使ってみたい”という欲求につなげることこそが次の一歩だ。
また、観賞用の装飾品だけでなく、アクセサリーや日常的に使える小物の制作にも取り組んでいる。「いらない」と言われる現実を直視し、「じゃあどうすれば“欲しい”と思ってもらえるか」を探る。大住さんの挑戦は、伝統を時代に適応させるための試行錯誤の連続だ。

新素材への挑戦:眼鏡フレームに象嵌を
さらに大住さんが力を入れているのが、新素材への応用だ。従来の鉄だけでなく、チタンやステンレスに象嵌を施す研究を進めている。これらの素材は耐久性が高く、象嵌の模様が消えにくいという利点がある。
その代表的な試みが、眼鏡フレームへの象嵌だ。眼鏡は現代における身近で実用的な道具。そこに肥後象嵌を施すことで、単なる視力矯正具ではなく、身につけるアートとしての可能性が広がる。
海外からの反響も少しずつ届いているという。ヨーロッパのバイヤーからは「ジュエリーのようだ」と驚かれ、アジア圏では「伝統と機能の融合」に興味が集まった。まだ試作段階ながら、肥後象嵌が国境を越えて評価される兆しが見え始めている。
「伝統を守るだけでは生き残れない。使われる工芸にすることで初めて次世代につながる」と語る大住さん。肥後象嵌の新たなフィールドは、静かに、しかし確実に開かれ始めている。







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