



手仕事のぬくもりが宿る、岩手の「ホームスパン」
ホームスパンとは、どういうものか教えてください。
ホームスパンはもともとイギリスの手仕事で、直訳すると「家庭で紡がれた毛織物」という意味です。羊毛を手で紡ぎ、手織りして作られるもので、明治時代に宣教師によって岩手県二戸市に伝えられたのがはじまりです。
その後、第一次世界大戦の影響で毛織物が海外から輸入できなくなり、国策として羊毛の国内生産が推奨されるようになりました。冷涼な気候が羊の飼育に向いているということで、岩手や長野、北海道などに羊がやってきたんですね。
現在は販売を目的に作られていますが、戦後は農家の各家庭で羊を飼って、自分たちで着るものを作っていたことがベースにあります。暮らしのなかで使うものは、自分たちの手でこしらえる。そんな手仕事が当たり前だったんです。
やがて各地で産業として広がりましたが、機械化やライフスタイルの変化とともに次第に衰退していきました。それでも技術が受け継がれ、現在では全国で唯一、岩手県だけがホームスパンの産地として残っているんです。

北海道や長野では根付かなかったホームスパンですが、なぜ岩手では続けてこられたのでしょう?
岩手では、県の機関による継続的な支援があったことも大きかったようです。
東北の人は、新しいものにパッと飛びつくタイプではないかもしれません。そして、実直で、まっすぐな岩手の人たちの気質、加えて「すぐには変えない」という岩手の人びとの粘り強い気質も、技術の継承を支えたのだと思います。
ホームスパンはもともとイギリス生まれの技術ですが、そうした長い年月のなかで岩手らしさを帯びて、この土地の文化になっていったのだと感じます。


「みちのくあかね会」が紡ぐ歴史
みちのくあかね会について教えてください。
みちのくあかね会は、戦後、夫を失った女性たちの暮らしを支えるために設立された授産施設です。創業から60年以上が経った今も、手紡ぎ・手織りによるホームスパンのものづくりを実直に守り続け、運営から製作、販売まで、すべての工程を女性たちが担っています。
最盛期には、紡ぎ手だけで40人を超える時期もあったそうですが、現在は16名で運営しています。かつては古い病院施設を作業場としていましたが、建物の老朽化により、現在は盛岡駅から車で15分ほどの場所にある工房へと拠点を移しました。

素敵な織物が多いですが、昔からのデザインですか?それとも、どんどん新しいデザインに変化しているのでしょうか。
変わってきていますね。現在はマフラーが主力商品ですが、昭和50年代ごろまではネクタイの生地や和服用のコート地など、反物を仕立屋に納めていました。
デザインは昔から社内で手がけています。「こんな色を混ぜたい」「ムラ感を残したい」といった構想を、染色から織り方まで詳細に記したレシピに落とし込み、いつでも同じ品質を再現できるようにしています。
デザインのインスピレーションは、日常のなかで見たものや、長年関わっている東京のデザイン指導者の助言も生かしています。伝統を大切にしながらも、過去の柄を今風の色で織ったり、サイズを調整したりと、時代に合わせながら柔軟にアレンジしています。


空気をまとうような、軽さとあたたかさの秘密
ホームスパンを作る工程を教えてください。
まず原料となる羊毛を仕入れたら、油分や汚れがついているため、洗浄します。そこから、どんな色や風合いにしたいかを考えながら、糸づくりの準備を進めます。
デザインに応じて羊毛を染め、複数の色を混ぜる「カーディング」という工程で繊維の方向を整えながらブレンドします。色のムラ感を残すかどうかも、この段階で決まります。

次に、糸を紡ぐ工程です。手で撚(よ)りをかけながら、硬くなりすぎないように調整していきます。この作業はとても奥深く、撚りの強さや太さを瞬時に見極め、用途に応じた風合いを生み出す、非常に繊細な作業です。
糸ができたら、整経(せいけい)です。たて糸を機(はた)に1本ずつ通す作業は根気のいる工程ですが、ここで仕上がりが大きく左右されます。織りの工程では、シャトルを使い、たて糸とよこ糸を組み合わせて柄や質感を表現します。無地でも、色の重なりや糸の表情によって奥行きのある仕上がりになるんですよ。仕上げた織物は、マフラーやストールのほか、コースターなどの小物にも仕立てています。
手に取った瞬間、羽のように「ふわっ」と軽くて驚きました。
ホームスパン最大の特徴は、羽のように軽いのに、しっかりとあたたかいこと。その秘密は、糸づくりの工程にあります。
羊毛を手作業でほぐし、専用の機械に通してカーディングを行うことで、繊維が一定方向に揃い、糸そのものがたっぷりと空気を含むため、驚くほど軽く、ふんわりとした風合いが生まれるのです。


ホームスパンの文化を未来へつなぐために
渡辺さんが感じる、ホームスパンの魅力はどんなところですか?
染めや色を混ぜるなどしていく工程のなかで、見え方や美しさも変わっていくんですよね。織りの工程では、スタッフみんなで「このたて糸とよこ糸の組み合わせ、どうかな?」なんて言いながら試すことも多いのですが、実際に織り上がってみると、思っていた以上に素敵に仕上がることもあって。
工程ごとにいろいろな人が関わっているからこそ、自分ひとりでは出会えなかった色や表情が生まれます。そういう、思いがけない美しさに出会えるのが魅力であり、感性が混ざり合って、ものづくりが広がっていく点に面白さを感じています。
この先、ホームスパンの技術をどのように残していきたいと考えていますか?
大きく儲かるわけではありませんが、それでも「働く場」として、この仕事があり続けてほしいと願っています。私自身も「手仕事がしたい」と思ってこの場所を探し、入ったひとりなので、そういう気持ちに応えられる場所としても残していきたいです。
ホームスパンには、手仕事ならではのぬくもりや、空気を含んだやわらかさ、そして繊維そのものの自然な表情があります。その違いをわかって、喜んでくださるお客様がいる限り、続けていきたいです。
お客様との関わりから、印象に残っていることはありますか?
うちは、お客様が先輩なんですよね。この前も「20年前に買ったマフラーなのよ」と、長年愛用してくださっている方に出会ったり、35年前に買ったネクタイを今でも大切に身につけている姿を目にすることもありました。
盛岡には、かつてホームスパンを贈り物にする文化があり、ご年配の方からは「就職祝いに親がジャケットを仕立ててくれた」というお話も伺います。“人生の節目を彩る一着”だったのです。だからこそ、お客様を裏切るものづくりはできないと背筋が伸びます。

若い世代には、今後どのようなアプローチを考えていますか。
ここ数年、民藝やクラフトに興味を持つ30〜40代のお客様が少しずつ増えてきた印象があります。若い方たちでも、きちんと作られたものの良さを感じ取る感性は、確実に持っていらっしゃいます。だからこそ、絶やすことなく、丁寧に続けていく必要があると感じています。
一方で、「ホームスパン」という言葉は、若い世代にはほとんど知られていません。ご年配の方からは「懐かしい」と言っていただけますが、世代間の認知の差は大きいのが現状です。
しかし最近では、そうした“古くて知られていないもの”が、かえって「新しくて面白い」と若い世代に受け止められる追い風も感じます。ホームスパンが持つ伝統工芸的な価値が、見直されつつあるのかもしれません。私たちもそうした背景をふまえながら、将来的には「ホームスパン」をきちんと工芸として位置づけられるよう、少しずつ取り組みを進めているところです。
丁寧な手仕事から生まれるホームスパン。これからもこの文化が途切れることなく、受け継がれていってほしいと感じます。
「伝統的工芸品」として正式に認定されるには、いくつかの厳しい条件がありますが、認定されることで若手の育成や普及活動の後押しにもつながります。だからこそ今、そうした基盤を整えていく、とても大事な時期だと感じています。
岩手には大学や高校で染織を学べる環境があり、学んだ人が作り手や教え手になるなど、地域全体で技術を支える土壌があります。
戦後の女性たちには、暮らしのためだけでなく、きっと「心が豊かになる瞬間」があった。だからこそ、ここまで続いてきたのだと思うんです。私たちもその想いを受け継ぎ、ホームスパンの魅力や技術を、未来へとしっかりつないでいきたいです。


Text by 奥村サヤ







