for fontplus
Illust 3
Illust 1
「刺繍で刺繍を超える」 世界のファッションブランドを支える美希刺繍工芸の独自技術
2024.06.26
「刺繍で刺繍を超える」 世界のファッションブランドを支える美希刺繍工芸の独自技術

広島県福山市

美希刺繍工芸
Map
「刺繍で刺繍を超える」 世界のファッションブランドを支える美希刺繍工芸の独自技術
服を装飾する技術として欠かせない「刺繍」。ベースボールキャップのロゴや、ポロシャツの胸に配されたワンポイント。本領が発揮されるアイテムといえば「着物」や「スカジャン」だろうか。
しかしながら、それらの技術を用いて常識を超える機能と質感を生み出している広島の企業がある。独自のテクノロジーは「布の上に糸で文字や図を描く」という刺繍の概念を覆すものばかりだ。
美希刺繍工芸。世界的なメゾンからのオファーも絶えない、刺繍業界の異端と言える存在である。その現地工場に取材し、同社・苗代次郎会長に話を聞いた。

糸を使わない刺繍

美希刺繍工芸の事業について教えてください。

一般的な刺繍糸を使ったワンポイント刺繍から、特殊設備を用いたワラカット刺繍・バルバ刺繍・パンク刺繍・パッチワーク刺繍・モザイク刺繍などを国内外のブランドやメーカーに提供しています。

耳にしたことのない技術名ばかりです。刺繍の世界は「生地の上に模様を糸で描く」といったイメージが持たれていますが、御社の技術はそれらとは異なるものでしょうか。

もちろん皆さんが思い描く刺繍をベースにはしていますが、手法と機能がまったく違います。当社しかできないものを生み出しているという自負を持って仕事をしてきました。
一例として、当社特許技術の「ワラカット刺繍」をご紹介します。ミシンに設置した針状の「メス」で生地の経糸(たていと)をカットします。その後洗いをかけることでカットされた経糸だけが縮み、生地に模様が浮き上がります。

ワラカット刺繍
ワラカット刺繍
これが「刺繍」なのですか?

ええ。いわば「糸を使わない刺繍」なのです。他にも特殊針で経糸あるいは緯糸(よこいと)を押し出して模様を浮かび上がらせる「バルバ刺繍」などの独自の技術を持っています。

つまり生地の上に糸を配するのではなく、生地そのものの構造を変えている、ということでしょうか。

そう。ですから当社のものづくりは職人技術だけでなく、設備開発。とりわけ「メス」の開発で進展してきました。メスから独自に作ることで新しい技法を生み出し、美しい・機能的な生地を作ることができるのです。

Illust 2
バルバ刺繍
バルバ刺繍

ミシンの「針」を「メス」に変える

刺繍がここまで開拓されている分野だったとは驚きました。独自開発を始めたきっかけは。

三十数年前のことです。刺繍は当然ながら、ミシンをはじめとした刺繍機械の機能的な制約を受けます。もっとも基本的な「ボウリング刺繍」は、基本的には生地に細かな丸い穴を開ける技術です。穴の直径は大きくても7ミリ。日本全国の刺繍屋がその制約のもとに仕事をしていたわけです。当社はそこから解放されて、何か変化をつけられないだろうかと思いました。だって皆と同じじゃ面白くないでしょう(笑)。
スタートはデニム生地からでした。ジーンズは洗いをかけると縮みますね。そのデニム生地の経糸だけをちょんちょんとカットして洗うと、その部分だけがパンクしたような状態になって面白い質感になることに気づき、いろいろと試しはじめたのです。その過程で生地に「穴を開ける」のではなく「切る」ためのメスが必要になりました。そこで針を削ってメスのように加工するアイディアが生まれ、「ワラカット」へと発展していきます。
開発したデニム生地を大阪の刺繍組合の合同展示会に出すと、誰もが未知のものを見るような反応でした。

ミシンをハックするような感覚に近い。

特に刺繍機製造メーカーさんは驚いていました。針をメスに変えるなんて、前代未聞でしたから。このメスをオリジナル開発できたことで扱える素材の幅も広くなりました。太さを入れ替えることで穴の大きさもコントロールでき、加工が可能になったのです。メンテナンスも自社でしか行えない。だから類似技術も出にくい。
以降、次から次へと発想が出てくるたびなんとか形にしてきました。特許は現在31件。出願数はその3倍を超えます。

「木」に刺繍できるか?

著名ブランドへの生地提供でも知られています。

はじめてパリコレに生地が採用されたのは、1999年でした。国内外のブランドとのお取引にも、いろいろなきっかけがありましたね。海外の本社から私たちの工場に見学にいらしたり、テキスタイルの見本市を通してオーダーがあったり。当社からブランドに生地を提案することもあります。デザイナーは常に新しい表現を求めていますから、当社にとっても刺激的で面白い仕事ができます。

いままで手掛けた中で印象的な生地は。

例えば、あるブランドと協力して開発した「合皮パワーネット刺繍」です。革に刺繍技術によって細かなギャザーを作り、デザイン性と伸縮性を持たせた生地です。

合皮パワーネット刺繍
合皮パワーネット刺繍

七面鳥の羽をそのまま布地に刺繍したこともありました。軽く、天然の羽毛を使うことでとても品がある。一見するとファーのようなゴージャスな質感です。日本国内では鳥の羽を染めることが禁止されているため、中国の鳥の羽を専門に販売している企業から羽を購入しました。

ファー風フェザーテックス【ジャパン・テキスタイル・コンテスト】2012 準グランプリ(中小企業庁長官賞)
ファー風フェザーテックス【ジャパン・テキスタイル・コンテスト】2012 準グランプリ(中小企業庁長官賞)

ほかにも、通常は廃棄されてしまう「捨て耳」(ウールの端材)から新たな生地を作ったり。見方をちょっと変えることで、面白い発想は次から次に出てくるものです。
そもそも刺繍の材料は「布」でなくてはならないのでしょうか。当社では「木材に刺繍を施す」特許技術を持っています。当社のほど近くに「府中家具」という有名な家具の産地があります。ここが日本でもっとも高級な箪笥を作っている土地で、その箪笥のために開発しました。かつては婚礼用などの箪笥を広島から名古屋や東京へ運んでいたんです。

驚くべき技術です。どのようにして木材への刺繍が可能に?

箪笥の分厚い板には針が通らないため、刺繍は施せません。そこで薄さ3ミリの板を用意し、特殊設備で刺繍を施して箪笥の本体に圧着するのです。板を貼る前に表面を凹凸処理して、熱を加えてプレスすると剥がれることがない、という仕組みです。

Illust 4
捨て耳【ジャパン・テキスタイル・コンテスト】2017 優秀賞
捨て耳【ジャパン・テキスタイル・コンテスト】2017 優秀賞

1万円の中古ミシンから始まったイノベーション

苗代会長は、なぜ刺繍の世界に入ったのですか。

私が刺繍の世界に入ったのは高校卒業のとき。家業が八百屋で、継ぐつもりでした。ところが卒業の半年ほど前に、立ち退き命令があって八百屋を続けることができなくなってしまったんです。そこで、高校卒業後に地元の広島にある作業服メーカーの社員寮に住み込んで働きはじめました。1960年代のことです。

最初から刺繍を目指したわけではなかったと。

そうです。広島には作業服メーカーが集まっていましたから。入社すぐはアイロン掛けや特殊ミシン等を扱う仕事でしたが、ある日当時の社長から「今日からミシンの修理をするように」 と言われたんです。けれどミシンの直し方など全くわからないので、独学でミシンの構造から勉強することになりました。説明書を見ながら、壊れたミシンを分解してね。1年間ほどで大体の故障は修理できるようになりました。

そこではじめてミシンの仕組みに触れたということですね。

本格的に「刺繍」が仕事になるのは、私が独立したときです。
当時、私は広島でなく東京にいました。1963年に会社の東京支社に転勤し、翌年に東京オリンピック後に不況が訪れて東京支社が閉鎖。東京で転職しましたが仕事中に事故に遭い入院した時に、見舞いに来たある人から作業服の名札(ネーム)の刺繍の代金が値上がりしていると聞きました。
そこで「刺繍屋になろう」と考えた。

「ネーム刺繍」とはどのような仕事なのでしょうか。

作業着にひとつひとつ名前を刺繍して納める工賃仕事です。一人前になるには3年から5年はかかると言われていた難しい作業ですが、現金決済ですぐにキャッシュが入る。懇意にしていた社長さんに刺繍屋さんを紹介していただき、中古のミシンを1万円で買ってスタートしました。

常に新しい「工芸」を

相当な逆境です。

経験も実力もありませんでしたが、とにかくがむしゃらに勉強しました。習字を習っていたおかげで、ネームに関しては、1年経ったころにはどこの業者さんと比べても自分のほうがうまいと思えました。
ただし、壁がありました。いくら腕には自信があっても私にはミシン一台しかありませんから、大口の仕事はもらえない。本当はブランドの服のワンポイントの刺繍を手掛けたかったのですが、生産力が足りないため発注されないわけです。

ひとりの職人としてのビジネス的な限界があったと。

そのころ、父親の体調が悪くなり、地元に戻りました。その1ヶ月後には亡くなってしまった。そこで東京とはまったく違うさまざまな工芸の「産地」としての広島を見ました。ものづくりをするなら、帰ってきたほうが絶対いいと直感したのです。
友人の家の倉庫を借りて、福山で仕事を始めました。8年ほど経ったころ、貯金と借金で40坪ほどの工場を建てました。当時、専用の刺繍ミシンは1,200万円。購入できたのはたった1台、残りはリースで、働きながら刺繍の研究です。ミシン製造企業の担当者さんと泊まり込みで使い方を勉強したことを覚えています。
徐々に売り上げが増え、従業員とミシンで工場の中が満杯になったのが起業5年目のころ。工場を新築したらバブルが弾けて数千万円の借金が残りました。その後、なんとか乗り切っていまがあります。

その過程で独自の技術を開発されたのですね。

そうです。企業として生き残るためには新しいことを次から次へと考え、世に出していかなければそっぽを向かれてしまう。研究を続け、技術の差をつけること。「美希刺繍工芸に行けば、何か新しいものがあるぞ」という存在でなくては、と常に新しい工芸の形を考えています。
最初に買った中古のミシンは、いまもオフィスに置いてあります。まだ現役で動きますよ。

Illust 2

■取材協力
株式会社美希刺繍工芸

日本ジャガード刺繍工業組合
1964年に設立された全国的な刺繍業界の工業組合。刺繍に関する高度な専門技術・理論を保有する企業を認定する「刺繍マイスター」制度、刺繍専門情報誌「絵糸(えいと)」発行のほか、各種の刺繍クリエイション支援を行う。毎年11月4日を「いい刺しゅうの日」として登録。美希刺繍工芸・苗代会長は理事長、副理事長等を歴任している。

Text by GANTAN

#Artisan#職人#刺繍#福山#テキスタイル#日本文化#伝統工芸#技術#歴史
よろしければ、記事の感想を教えてください
シェア
関連する記事
つくり手を訪ねてシリーズの記事
広島県の工芸の記事