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日本の焼き物と暮らすこと
日本ほど多種多様な工芸がある国は、世界を見ても他にないでしょう。これは大げさな話ではなく、どの地域を訪れても、その土地ならではの素材に根差し、何世紀もの歴史をもつ、独自の文化的な工芸に出会うことができます。さらにそれは、日本の数ある工芸の中でも焼き物において顕著に表れています。信楽の粘土は、益子、備前、萩、唐津などの粘土とはまったく異なります。この産地ごとの土の違いこそが、日本の焼き物が世界中で愛され、蒐集されている理由のひとつです。
私は蒐集家としてキャリアをスタートし、その後はライターとなって、1990年代後半には「やきもの」のギャラリーを開きました。ギャラリー開設を後押ししてくれた父には感謝しています。日本の焼き物と共に暮らすことは、私の身体を養ってくれるだけでなく、五感と精神に喜びをもたらしてくれます。こうした日々は、神聖で美に満ちた世界へ引き込まれるような、そんな感覚を覚えるのです。
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陶芸家との出会い
1990年代当時は、英語で記された日本陶芸界の最新動向、注目すべき作家、展覧会情報などに関する情報がほとんどなかったため、私はジャパンタイムズ紙にコラムを執筆し始めました。もちろん、当時も英語の情報がまったくなかった訳ではありませんが、その大半は民藝運動や、その中心にいた人間国宝である、濱田庄司や島岡達三といった著名な作家にのみに焦点を当てたものでした。日本の焼き物の素晴らしさを世界に広めた、アンバサダーのような存在である人物の話に限定されていたのです。
私は日本各地の陶芸家と出会い、彼らの作品や今後の展覧会について知り、もし誰も彼らの物語を語らないのなら、私が語ろう。そう思ったのです。
そして、コラム『Ceramic Scene』は、蒐集家だけでなく、海外の美術館のキュレーターやギャラリーオーナーにも影響を与えるようになりました。当時、海外の美術館で現代の日本の陶芸作品を所蔵しているところは稀で、日本美術を所蔵していても、江戸時代や明治時代の作品ばかりでした。
しかし、今では状況が変わり、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどの美術館で現代の作品がコレクションに加わり、展覧会も頻繁に開催されるようになりました。ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)では常設展示されており、私のギャラリーから収蔵された作品も含まれています。
私のコラムの読者でもあり、先駆的な蒐集家、アリスとハルシー・ノース夫妻による『Listening to Clay』という本は、16人の日本陶芸家との対談がまとめられており、その後彼らのコレクションの大部分がニューヨークのMETに寄付されました。本書は、アーティストたちとの深い対話を英語で読める貴重な機会であり、日本の陶芸を理解する一冊として、とてもおすすめです。


日本の陶芸に惹かれる理由
では、外国の蒐集家や美術館を惹きつける日本の陶芸の魅力とは、一体何なのでしょうか? 第一に、それぞれの地域がもつ独自の歴史と特性です。たとえば、萩焼の歴史を紐解けば、明治時代の歴史や文化について多くを学ぶことができ、それがその土地に与えた焼き物特有の歴史へとつながります。
第二に、茶道と禅とのつながりです。歴史的背景だけでなく、深い精神性がもたらされます。両手で茶碗をもつ所作は、祈りを捧げる姿に似ています。茶碗を包み、静けさと敬意の中で一瞬にして自己を超え、万物と一体となる——それが茶道の叡智です。
西洋美学に形つくられた私の眼差し
私が初めて日本に住んだのは、1984年の終わり頃でした。西洋で教育を受け、完璧なシンメトリー、光ある色彩こそが芸術の美だと学んだ私が最初に魅了された作品は、やはり九谷焼や有田焼のような色彩豊かな焼き物でした。なぜなら他に私の「美」の概念を揺るがすものがなかったからです。
しかしある日、友人が贈ってくれた一つの備前焼の湯呑みが、私の概念を根底から覆すことになります。その湯碗には石の破片のような「石はぜ」があり、少し歪んでいて、地味な色合いをしていました。言うまでもなく、当初の私がそれに魅力を感じることはありませんでした。
しかしある時、「思考を止めよ」と声がした気がしました。見たままを感じ、体験する。既知のものと比較して理解しようとしたり、目の前の存在とは無関係の言葉で説明しようとしたりすることをやめよ、と。この瞬間から、その湯呑みが私の師となりました。一つの湯呑みから、日本の「幽玄」「わびさび」「渋み」を学び、そこから備前焼のもつ奥深い魅力に惹かれ、今もなお、その探求から抜け出せずにいるのです。
もう一つの師となった作品は、伊賀焼の水指「破袋」です。初めて見たとき、これは窯の失敗作に違いないと思いました。ひびが入り、側面にはさまざまな付着があり、非対称。これが名品とされる理由は何なのか? 私にはわからない何かがあるのか? 再び思考を鎮め、そのもの自体と向き合ったとき、この作品のあるがままの姿に気づきました。貝殻や、石、枝のように、自然物だけがもつあり方を体現していました。
この2つの経験が、私の日本の焼き物に対する見方を変えることとなり、こうして焼き物が放つ力強さに強く惹かれていきました。私の願いは、こうした情熱がより多くの日本人にも広まっていくことです。日本が誇る素晴らしい文化に夢中になってほしいのです。

未来に向けて
日本各地には、数世紀の時を超え、無数の職人の手によって育まれてきた工芸品が深く根付いています。籠、漆、和紙、陶器、藍染め、茶器、磁器——。これらの工芸品は日本の文化の賜物です。しかし残念ながら、その伝統の多くが存続の危機に瀕しています。
かけがえのない伝統が失われる前に、より多くの日本の方々が多様な手仕事の価値に気づき、支えていくことを願っています。今、私たちが手にしているものの中で、未来の世代にも変わらぬ感動や喜び、こんなにも美をもたらすものがどれほどあるでしょうか。
日々の暮らしの中で、愛着のある工芸品を大切に使うこと。その度に、手の平の中にある一枚の皿やカップのような小さなモノさえも、日本文化や美しき工芸品が歩んだ長く豊かな歴史とつながっていることを実感するでしょう。

根来塗のお盆(大蔵達雄さん作)、箸置き(瀬津純司さん作)、唐津南蛮の器(中里太亀さん作)





