



甲州街道が育み、江戸に愛された甲州印伝
江戸から地方を繋ぐ五街道のひとつ甲州街道を下り、江戸の中心から約100キロ。江戸からの人や物が豊かに行き来する山梨県甲府で育まれてきたのが甲州印伝だ。
「江戸幕府徳川5代までは家康の直系ですが、6代7代将軍は甲府藩出身。幕府の旗本が何度も江戸と往来するようになり、甲府は豊かに栄えていきました。甲州印伝は、お土産ものとして江戸の人々に愛されていたようです」
日本人が鹿革を活用したのは縄文時代までさかのぼる。戦国時代には甲冑などの素材に鹿革が使われた。その技術が江戸時代に転用され、甲州印伝の形になったのだという。
「名前の由来は諸説ありますが、インド伝来の略で、インドの製品を日本の漆と鹿革で真似したことが有力と言われています。最初は巾着やキセル入れでしたが、時代と共に変化して、明治以降は日本に入ってきた鞄や財布、がま口などを製作しました」
創業は1955年。初代の山本金之助さんは戦前に印伝職人として修業を重ねていたが、戦火が激しくなるにつれて、印伝を製作することが難しくなっていく。
「終戦4年前の1941年には、航空燃料のろ過に使うため鹿革を国に納めなくてはいけなくなりました。初代も、軍服や鞄の修理などを戦地で行う兵として徴兵されました」
初代が戦争から戻ってきたとき、空襲によって甲府はあたり一面焼け野原になっていた。甲州印伝の鞄の製作技術を生かして、子どもたちのランドセル製造をしたのちに、資金を貯めて、山本商店として会社を立ち上げたのだ。

父の盾を見て憧れた、“伝統工芸士”というジョブ
職人として生きることを考えていなかった山本さん、幼い頃からテレビゲームにハマり、いつかゲーム制作の仕事がしたいと思い続けてきた。しかし中学2年生のとき、先代である父山本誠さんが伝統工芸士に認定されたことで、すべてが変わった。
「伝統工芸士の盾を見て、士がつく仕事のかっこよさを感じて『自分の名前で欲しい』と思いました。RPGなどゲームの世界ではジョブとして戦士や魔道士がある。でも現実世界で私の父が伝統工芸士という称号を得た瞬間、それは私の中で憧れの『ジョブ』になったんです」
伝統工芸士になるためには、12年間職人として働く必要がある。最短で伝統工芸士になるために中卒で修業に入ることを考えたが、先代や学校の先生に止められた。それならばと総合高校で職人に役立つ商業やSEなどの知識を学び卒業を待っていたが、3年の夏休みにとある出来事が起きる。
「2000年の夏に大手百貨店のそごうが経営破綻したんです。うちの主要な販路は当時百貨店への出店。売り掛けで後に振り込まれる売り上げはどうなるんだろうと心配する先代の姿を見て、これからの職人は技術だけではなく、経営学をも学ぶ必要があると思い、大学に進学しました」
マネジメントやSEなど、さまざまな技術を身につけながら、家業に入った山本さん。厳しい修業期間を経て、35歳のときに当時最年少で伝統工芸士(総合部門)を取得した。
「中学の卒業文集に書いた夢が実現して、感慨深かったですね。でも合格発表の1ヶ月前に先代が病気で亡くなってしまって。家業を引き継いで、とても忙しく働くなかで、これからどのようにしてやっていこうかという想いでいっぱいでした」


伝統を大切にすること、デジタル化すること
職人になるために経営やシステムなどを学び、伝統工芸士になった山本さん。その真髄は、優れた伝統技術と新しい技術とのコラボレーションにある。
甲州印伝で難しい技術は、漆を鹿革に塗る「漆付け」。印伝用に加工された鹿革に渋型紙をあてて、ヘラで漆を手前から奥に均一な力で引いていくことで、美しい模様を生み出す。
「力加減が弱くなると模様が擦れてしまう。また重ねると模様が潰れてしまうので、漆付けはやり直しがきかない。100種類以上の型紙模様の漆が付けられるように、寝る間も惜しんで練習をして、3年間かけてできるようになりました」
ここからが山本さんらしい部分でもある。漆付けに使う渋型紙を地元の印刷会社に依頼し、それをスキャンしてデジタルデータ化したのだ。
「渋型紙は傷んでしまうので新しい型紙を依頼しますが、職人さんの手作業のため微妙に異なる型紙が納品されることも。デジタル化したことで、いつでも同じ模様の型紙が得られるようになり、模様の保存もできるようになりました」
さらにキャラクターものの印伝製作をきっかけに、美しくさまざまな型に対応できるようにとシルクスクリーンの型も改良して取り入れた。現在では、有名ブランド、キャラクターなど、100社を超える企業とコラボレーション商品の製作をしているという。
「コラボレーション効果もあり、顧客層は30~40代と、若い方にも親しんでもらえるようになりました。受け継いできた伝統を大切にしながら、デジタル技術を取り入れてアップデートすることが大事だと考えているんです」
経営戦略を立て、SNSなどのマーケティングも手がける。プレスリリースの発信も行い、在庫管理もシステム化する。これからの時代を生きる職人の姿がそこにはある。

漆を植える職人。すべては甲州印伝を長く生き延びさせるために
山本さんは、先代の悲願であった原材料国産化の挑戦にも挑んでいる。食害などで社会課題になっている鹿の革を活用した甲州印伝を作ることができないかと考えたのだ。
「革はほとんど中国からの輸入ですが、国際情勢などの影響で手に入りにくくなることもある。国内で殺処分された鹿革を活用することで、課題を解決できないかと思ったんです。鹿革の供給も無限にあるわけではありません。大手メーカーが行うと物量が必要ですが、うちのような小さな会社なら、生態系のバランスを崩さない量だけ使うこともできる。これは使命だと思いました」

しかし、山梨県の鹿を使うためには猟師の同意を得なければならない。さらに国産の鹿革をなめす業者がいない。外国からのなめしの技術を取り入れ、11年かけて、山梨県産の鹿を使った「URUSHINASHIKA(うるしなしか)」を開発したのだ。
「もともとの鹿の革の色を生かした真っ白な製品です。自然に分解されるなめし剤を使っているので、革を埋めれば土に還るサステナブルなプロダクトになりました。おかげさまでとても好評で、発売すると即完売状態が続いています」

さらに、国産の漆を安定供給する挑戦も続けている。4年前から山梨県北杜市の山に漆の苗を毎年100本植樹し続けているのだ。
「漆は生育するまでに、10~15年かかります。最初に植えた木から樹液がとれるまで、あと4年間かけて400本を植樹する。漆は樹液をとると伐採しないといけないので、毎年100本新しい苗を植えて、100本伐採する生産サイクルを作ろうと思っています」
ビジネスとして回っていけば、漆の植栽や管理で雇用を生み出せる。印伝の山本で必要な量は年間漆20本ほど。残りの80本分は、漆が足りずに困っている文化財の修復業者などに買い取ってもらうことで、他の工芸の役にも立ちたいと考えているのだという。
「さまざまなことに取り組んでいますが、大きな目標は甲州印伝が後世に残っていく仕組みを私が生きているうちに作っておくこと。後継者不足などの課題もありますが、伝統工芸士として、甲州印伝を続けていくためにできることを続けたいと思います」

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Text by 荒田 詩乃






