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美濃焼の幸兵衛窯八代目・加藤亮太郎、桃山陶を継承しつつ吹き込む新風
2025.03.13
美濃焼の幸兵衛窯八代目・加藤亮太郎、桃山陶を継承しつつ吹き込む新風

岐阜県多治見市

幸兵衛窯
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美濃焼の幸兵衛窯八代目・加藤亮太郎、桃山陶を継承しつつ吹き込む新風
美濃焼とは、岐阜県東濃地方で1300年以上の歴史を持つ日本を代表する焼き物です。織部や志野など多彩な技法が特徴で、220年続く名窯・幸兵衛窯はその歴史の一端を担っています。
幸兵衛窯の八代目・加藤亮太郎さんは、伝統を継承しつつも桃山陶に挑戦し、穴窯焼成という昔ながらの技法を用いた新たな作品づくりに取り組んでいます。

伝統を守るということは常に外へ目を向けるということでもある。日本を代表する焼き物の産地である岐阜県の東濃地方。1804年に同地・多治見で開窯した美濃焼の幸兵衛窯は、革新の中でその歴史を繋いできた。

名古屋から車を走らせ北東へ向かう。市街化された景色から次第に瀬戸の里山の色が濃くなり、岐阜との県境に横たわる峠を越えた。古代、愛知と岐阜にまたがり、東海湖と呼ばれた琵琶湖の6倍にも及ぶ広さの湖があったという。その堆積土が焼き物に最適な良質な粘土をこの地方に形成してきた。多治見はその北端。一帯は愛知県側の瀬戸と共に、日本を代表する焼き物の産地として1,300年続いている。

同所にある幸兵衛窯の八代目・加藤亮太郎さんが語るのは、美濃焼を現在の地位に至らしめた茶人・古田織部以来の「進取の気質」である。つまり、積極的に新しい物事に取り組んでいこうという姿勢だ。

「織部はそれまでの茶器の地味な色合いに、緑やオレンジ、白など華やかな色を持ち込みました。歪み・剽げというのですが、形もいろいろと変形させて動きのある面白い焼き物を生み出したのです。人を驚かせよう、新しいものを見せて喜んでもらおうというプレゼンテーションです。その精神が美濃焼には脈々と根付いています」

亮太郎さんの曽祖父である五代幸兵衛は、青磁、天目、染付、赤絵、金襴手など中国陶磁をはじめ、乾山、李朝などの技法を用い、現在の窯の気風に繋がる礎を築いた。祖父の六代卓男は、ペルシア陶器や正倉院三彩の技法を復元し、ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵など伝統と独創を融合させて人間国宝としての評価を得た。

父である七代幸兵衛さんは、卓男のペルシア陶技を継承し、立体的かつ現代感覚溢れる作品を世に出している。そして当代の亮太郎さんが取り組むのは美濃焼の伝統技法である桃山陶であり、「先祖返り」と言われる穴窯焼成である。穴窯焼成とは、ガスや電気を使わず薪で焼く昔からの技法。魅力は焼き上がりの偶然性である。

「穴窯焼成では、薪が燃えた灰が降りかかって釉薬の色が変化します。そのため人の手だけでは出せない、火の神さまがもたらす色の変化が生まれます。全て成功するわけではありませんし、博打のようなところもありますが、人間の領域を超えたものが焼き上がってきます」

幸兵衛窯に建つ昔ながらの母屋。太い梁と黒い瓦で囲われた白い漆喰壁の建物から裏手に回ると、穴窯が庭の傾斜を這うように潜っていた。火入れのとき以外は、畳敷きの和室の外に落ち着いた風景として溶け込むが、一度火を吹き始めると穴窯はまだ見ぬ美しさを繋ぐ隧道になる。

亮太郎さんの作品にとって穴窯は欠かせない要素だが、その魅力に惹きつけられるようになったのは家を一度出てからである。

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加飾の京都と素材を見せる美濃

30年前、亮太郎さんは美大に通うため京都にいた。

「父も祖父もみんな若い頃に京都で学び、一度は外で飯を食ってきているので何となく私も。東京などの選択肢もあったと思うのですが、京都は焼き物だけでなく文化・美術工芸を含めて蓄積されたものがある町なので」と当時を振り返る。

陶芸科に入ったが、その頃は器ではなくオブジェやインスタレーションばかりを作っていた。「それまで器が身の回りに溢れていて、あまりにも身近すぎたので、アートを志向していました」と笑う。

多治見に戻ってきて初めの1年間は地元のタイルメーカーに勤めた。建材であり機械的に製造する量産タイルの現場は、同じ焼き物でも物作りの考え方がまったく違った。幸兵衛窯に入ってからは下働きや、隣接する市之倉さかづき美術館の立ち上げなどを担当した。京都の生活を経て戻った多治見。家から、また多治見から外へ出ることで、美濃焼に対する新たな目を得ることができた。

「京都の焼き物は加飾の文化。土が採れる場所ではないため、素材を見せていくよりは最終的な形態をイメージし、そこへ向けて積み上げていきます。美濃は土が採れる。そのため土の吟味から始まり、形成、釉薬と土をどう料理するか考えながら作る。作り方が逆だということに気づいたんです」

近すぎるがゆえによく見えなかった生まれ育った場所の輪郭。離れたことで、美濃焼というものが改めて見えてきた。

「魅力に気づいたんです。それで父が穴窯で焼くことがあったので、そこに少しずつ私が作ったものも入れさせてもらいながら、実験を繰り返すようになりました」

八代目の焼き物が生み出される取り組みが始まった。

志野茶盌
志野茶盌

亮太郎さんの桃山陶への傾倒は、美濃焼に外部のものを大きく取り入れてきた先代たちと比べると、革新性においては一見、変化の波が低いように思えるかもしれない。しかしこれは、亮太郎さんの人生における「守・破・離」のマイルストーンでしかない。

「今、私は50歳。40代までは基礎的な部分をしっかり身につけたいという意識が強かったんです。つまりは『守』。これからはそれを破っていく。いずれはそこから離れていく段階も来るとは思いますが、去年あたりからもうちょっと軽やかに、伸びやかにやっていくことを考え始めました」

いかに破っていくか。そこで頭をもたげてくるのが織部の思想である。

「隣同士のものを融合させるよりは、対極や遠いものをぶつけた方が、その衝撃が大きく面白いものができます。伝統的なものと新しいもの、海外のものと日本のもの、異素材のコラボレーションなどがありますが、私の場合は書と焼き物であったり、京都時代の自分と今の私であったりしました。それらの組み合わせによって新しい枝葉が生まれてきます」

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書は亮太郎さんにとってのコンプレックスだった。小学生の頃から習字には励んでいたが、署名などをしても、その字にどうも自分のアイデンティティを感じなかった。苦手を克服するため大学院のときに師事したのが書家の石川九楊さん。ひたすら書いた。

「それがもう28年。書は焼き物と異なりストイックにやるしかない面があるので、焼き物とはまた違う表現方法として大事にしています。お茶碗ばかり作っていると、どうしても飽きてくる。そのため書やオブジェで自分を振り回しています。するとスランプに陥らなくて済みますし、それら表現方法も最終的には自分の茶碗作りの中に落とし込まれます」

おくのほそ道
おくのほそ道

未来へ繋いでいくということ

亮太郎さんが取り組む桃山陶は、昭和初期に荒川豊蔵をはじめとする作家たちが興した「桃山復興」に端を発する。それにより生み出された古典回帰の優れた作品は、現在の美濃焼における一つの流れを作った。しかし古典の復刻も世代を経れば経るほど、二番煎じ三番煎じとなり魅力は薄れる。

「単なる復刻では持ちません。現代性を入れて今の人が魅力的だと思ってもらえる美しいものを作れなければ、最終的には自然淘汰されます。それを念頭に置きつつ、私は存在していかなければという使命感は持っています」

伝統の中に新たなものを取り入れるためには何が必要か。それは「真・行・草(しんぎょうそう)」であるという。

「茶碗での『真』の部分は、志野や瀬戸黒といったモノクロの世界です。『行』や『草』というのは、織部やコバルトブルーの瑠璃黒など、さまざまな色釉。山のイメージなんですが、自分を高めていくためには当然『真』の部分を積み上げていくんですが、倒れないよう周りも固めなきゃいけない。そこで『行』や『草』というのが裾野となってバリエーションが広がる。今はそれらを同時にやっている感じです」

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黄窯変茶盌
黄窯変茶盌

幸兵衛窯としての立ち位置はどうか。

「うちは代々焼き物をやってはいますが、技法や作風は変化しながら歴代が自分の世界を作り出してきました。そのため、次の世代にどう引き継いでいくかは自由なんですが、美濃焼の一つの屋台骨として、どんな形であれ存在していかなければいけないとは考えています」

亮太郎さん自身、海外への思いもある。2025年10月にはパリで個展も開かれる。

「体力のあるうちに海外には多く出ていきたいです。この10年間をどれだけ動けるかで、その後の熟成度が決まってくる。私は茶碗をライフワークとして作っています。フランスは特に日本文化に対して理解度が高い国。そういう場所へ茶の湯とともに持っていきたいというのが念願です」

取材の最初にいただいたお茶も飲み干し、約束の時間も迫ってきた最後、ありきたりな質問だが「焼き物をしていて幸せな瞬間は?」と問いかけてみた。亮太郎さんは「ははっ」と笑顔になった。

「やっぱり窯出しかな。もちろんベストを尽くすんですが、焼き上がりは開けてみないとわからない。期待と不安が入り混じるなか作品を取り上げたときに予想を超えてくるものが出てくると、自分が作ったものながら自分のものでないような感覚に陥るんです。我が子を取り上げるような、美が生まれてきた場に立ち会える喜びがありますね。初めての美しさには震えます」

睦月の多治見。依然気温は低いが穏やかに晴れ渡っていた。

Text by 守隨 亨延

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