



かつて人形作りの集積地だった名古屋市守山区
名古屋の中心部・栄から窯業の町・瀬戸へと延びる名鉄瀬戸線。その途中にある守山区は、かつて人形作りに関わる人が多く集まる場所だった。理由はその土地にある。以前の雛人形といえば七段飾りが主流だった。
内裏雛に三人官女、五人囃子、随身、仕丁の計15体を一式として求める家庭が多かったため、人形作りにはそれらの商品を保管・陳列するための広いスペースを要した。結果的に名古屋の中心部と比べて、敷地を確保しやすかった守山区に人形業者が集まったのだ。
「私が20歳くらいで仕事を始めた頃は、守山区だけで人形屋は23軒くらいあったかな。それが30年以上経って、とうとう今ではうち1軒だけになりました」(高明さん)
現在、加藤人形店では個人からの雛人形のオーダーを受けているが、元は小売りをしておらず、作った商品は全国の人形店に卸していた。しかし不景気と少子化、風習の廃れによる需要の鈍化が状況を変えた。

「小売店が在庫を持ちたがらなくなったんです」(高明さん)
以前は、シーズンの半年前までに余裕を持って小売店に納品できていた雛人形だったが、小売店が在庫を抱えることを嫌い、消費者の需要に合わせてシーズン間近になって加藤さんたち職人に人形を発注するようになった。そのため短い納期で大量の商品を作らねばならなくなった。
社内での製作工程やスケジュールに大きな変更を強いられたが、一方でそれは光明にもなった。
「短納期で作らないといけないなら、一般のお客様からのご注文も受けられるのではと思ったんです。ただ、メーカーは小売店さんの商売の邪魔をすると怒られます。そのため宣伝はしませんでした」(高明さん)
少しずつ始めた小売りが、20年を経て口コミと共に次第と大きくなっていった。


無難な商品作りから唯一無二の人形製作に
個人のオーダーに対応するようになってから、加藤さん夫妻にとって大きく変わった点がある。それは人形の嫁ぎ先の顔が見えるということだ。
「小売店さんにお納めする際は、どなたが買ってくださるか分かりません。そのため10人中7、8人が『きれいね、かわいいね』と言ってくださるような、無難なものを作ります。しかし個人のお客様からの直接の注文だと、私たちが組み合わせないようなお求めも多いです」(高明さん)
人形作りに対して、今まで以上にやりがいを感じ始めた。
「個人のお客様は、皆さんすごく悩まれるんですよ。1回の相談じゃ決まらないので、もう3回、4回とお越しになる。結局、何かに落ち着くんですけど、帰るときに『ああ楽しかった』と言って帰っていかれる。楽しいと思ってもらえることをさせてもらって、こちらもうれしいですね」(真由美さん)
互いに笑いながら、夫婦で過去に受けたオーダーを振り返り、思い出話に花が咲く。
「以前こんなご夫婦がいました。新婚旅行でケニアに行かれた際に、大地にキリンがスーッと立っていて、空も真っ青で、その光景がもう忘れられなくて、生まれた娘さんにもそれにちなんだ名前を付けたそうなんです。その青と黄の色を使って雛人形を作ってほしいというご依頼をいただいたことがありました。
一般の小売店さんでは絶対に置いていないし、売れないような配色です。そういうことをお客様自身に楽しんでやっていただけるお店にしたい。おのおのにとって刺さるところを、ここでぶつけていただけるとありがたいです」(高明さん)

加藤さんご夫妻は有職故実の造詣にも深く神職の家などからの製作依頼もある
手間でもきちんとしたものを作りたい
高明さんの父も祖父も雛人形の職人だった。そのため高明さんも小学生くらいから家の仕事を手伝っていた。本格的に仕事を始めたのは大学在学中の20歳からだ。
「若い頃は教師になりたいと思ったこともありました。ただ、もうすでにレールに乗せられているわけですから、脱線は許されなかったです(笑)」(高明さん)
生まれたときから決められていた職人の道だったが、28歳のときに自らの仕事をあらためて見つめ直す機会を得た。
「娘が生まれて間もない頃に、娘が感染症にかかり生死の境をさまよったんです。普段はあまり神様などを信じないのですが、そんな時だけ神頼みにも行きました。じつはお雛様の起源に、子どもの厄災の身代わりとした役目もあるんです。だったら、ちゃんと作らないといけないと思いました」(高明さん)
以前はベビーブームなどで子どもの数も多かった。そのため市内に出回る雛人形も、作りがいい加減なものが多々あったそうだ。
「うちは、ボディは藁と木毛(もくめん)など地球に還る素材で作っています。体もきちんと作る。皆さん、雛人形には足があると思っていますが、表からは見えないためほとんどの雛人形には足がないんですね。もちろん作らないほうが簡単ではあります。ただ厄災を身代わりとして受けるためのお人形なら、足の怪我も代わりに受けられないと商品として成り立ちません。足を作ると、着せる装束も布を単に貼るだけで済ませられず、ズボンのように縫う必要があり、手間がかかります」(高明さん)
見えない部分にも手間をかける作り方に、先代である親は反対したそうだ。
「そんな面倒くさいことに何の意味があるんだと怒っていたんです。けれど、私たちがやるからには、そうさせてほしいと言って、代を譲ってもらったときに全て切り替えました。小売店さんも、そんな意味のないことに余分なお金を払うのは嫌だと、父や祖父が築いた取引先のほとんどは離れてしまいました」(高明さん)


そんな高明さんと共に歩んできた真由美さんは、人形作りの家の出ではない。しかし今の仕事を「天職」と言い切る。高明さんとは大学時代に同じ写真サークルで出会った。
「子どもの頃から物を作るのが好きだったんです。小学3年生くらいから本を見ながらお人形も作っていました。ここはいっぱい材料があるじゃないですか(笑)。勝手に使えるわけじゃないけれど、もう天国のようで」(真由美さん)
すかさず高明さんが言い添える。
「夜2時くらいに人形作りの作業を終えるのですが、それが終わったらこの人(真由美さん)は、今度は趣味で別の人形を作り始めるんですよ。人形屋より人形屋らしいです」(高明さん)

やっと人間らしい仕事になった
終始朗らかに話すなかで、特に印象的だったことがある。「仕事が楽しくなったよね」と夫婦で顔を見合わせた瞬間だ。
「個人のオーダーを受け始める前は、たくさん同じ装束のものを作っていたんです。黒なら黒ばかり並ぶ。また黒かと思いながら工房が真っ黒になっていく。今は一体一体が違う。間違えないようにやらなきゃいけないんですけど、それが楽しいです。この子は何々ちゃんの子と思い浮かべながら作れることがうれしいですね」(真由美さん)
「卸の仕事をする場合は、小売店は商材を仕入れるわけですから、厳しいことを言います。『もっと安く』とか『もっと早く』とか。そういうことに慣れていたので、心が折れることはあまりないんですけど、でもやっぱりたまに心が折れるときもあるんです。一方で、一般のお客様にご提供するための組み合わせをやっているときは、お客様から『うれしいです』とか『大事にします』といったお礼の言葉を直接聞かせていただける。やっと人間らしい仕事になったなと思いますし、私も人間の心を取り戻している感じがある。そこが一番楽しいです」(高明さん)


Text by 守隨 亨延









