



毎日2、3時間おきに約5年かけて乾燥
江戸時代、名古屋は徳川御三家筆頭の城下町として栄え、明治維新から現在までも、日本における三大都市圏の一角を担ってきた。多くの人と文物が行き交うこの町で、櫛留商店は120年にわたり櫛作りを続けてきた。現在は3代目に当たる信吾さんと、4代目となる息子の英明さんが、初代からの櫛作りの伝統を守っている。
「初代の出身は三重。同地で櫛作りの修業をしたのち、明治36年に名古屋へ出てきました。初めはお城のすぐそばにある樋の口町(名古屋市西区)に居を構えたのですが、空襲で焼け出されて、1年間ほど一宮(名古屋市の北)へ疎開。その後は、前の場所とも近いここ(名古屋市北区)に来ました」(信吾さん)

櫛留商店の手作業による櫛作りは、気が遠くなるほどの時間とこだわりが詰め込まれている。使う原木は国産のツゲ。高価だが、もっとも櫛に向いている素材だ。その原木を製材したのち、陰干しと燻しに約5年をかける。毎日2、3時間おきに木屑を燻し窯の中に加えながら、じっくりと燻製していく。息子の英明さんは「親子での旅行はできません。どちらかが行ったらどちらかは留守を守って、交代で行きます」と笑う。
工房の外にある窯を見せてくれた。中には真っ黒な板が並び、その板の間には白い煙が詰まっていた。扉を開けると白い煙は板から離れて、外気と混ざり合いながらふわりと私の前に流れ出てくる。「知らない人は真っさらな板の方が綺麗だと思うかもしれない。見たことないでしょう」と信吾さん。櫛留商店は、この燻製を丁寧に行うが、大量生産を目指す櫛屋の場合だと、1週間から10日くらいの燻しを1回行うだけだという。板に染み込んだ漆黒は月日と惜しまない労力の結晶である。


床山が愛用する静電気が起きにくい櫛
板作りができたら、次は木取りと呼ばれる寸法取り。その後はかんな削りだ。燻した板の表面をかんなで一皮めくって、木目を知る。木目を見て、どのような櫛にするかを決めるためだ。
「作っとるうちに、これはこういう風に仕上げてみようかなと湧いてくる。自然との対話というか、その日のその時の木の特性と、自分の思い。ああ、これはああいう髪型の人が使うといいなというのが浮かんでくるんです」(信吾さん)
歯ずりと呼ばれる櫛の歯を磨く作業は、歯1本に対して片側約50回。表裏で約100回。歯が50本ある櫛であれば、1つの櫛ができるまでに5,000回ほど行う。ヤスリ、ペーパー、トクサと次第に目を細かくしながら、櫛の歯一本一本を丹念に整える。
モーターで磨く櫛屋も多いそうだが「うちはやらない」と信吾さん。その手間暇が、櫛の仕上がりに大きな違いを生む。髪をといたときに静電気がほとんど起きないのだ。丁寧な研磨が歯と髪との摩擦を減らし、静電気を抑えるからだ。
「お相撲さんや役者さん、綺麗に髪を結っているでしょ。髪をとぐたびに静電気で広がったら髪型は作れません。一般の方にとってもそう。『これがつげ櫛なのね』と皆さん驚かれて、愛用していただける」(信吾さん)
櫛留商店の櫛が、相撲、歌舞伎などの床山に、広く使われている理由だ。

日本の伝統の髪型を支えている自負
信吾さんは今年で79歳。小学生のときから配達の手伝いをするなど、60年以上にわたり家業を手伝ってきた。中学に入ってからは1日に数時間ほど櫛の歯の磨き方を教えてもらい、高校を出てから本格的に櫛作りの世界に入った。
「継いだのはそこに山があったから。不器用だったからね」(信吾さん)
謙遜しながら話すが、「そこにあった山」を単に登っただけで2017年に黄綬褒章は受賞できない。まぎれもない名工である。「日本の伝統の髪型を支えている自負と、人のやらないことをやる、人のやる以上の仕事をしているという、職人としての誇り」と、櫛作りのやりがいを語る。
元々、櫛は生活必需品だった。かつて名古屋にも櫛屋が30軒はあったという。しかし今は櫛留商店のみ。全国を見回しても、手作りにこだわる櫛屋は数えるほどしかない。先細る伝統工芸について信吾さんは「日本国がある限り、細々とでもいいから繋いでいってほしい。今はAIの時代。似たものは作れるし、それで納得してしまう人がほとんど」と顔を曇らせる。しかし、機械と手作業の間には、まだ越えられない壁はある。


「東京や大阪などの百貨店やイベントなどに実演販売に行くんです。そこでお客様に『といてごらん』と櫛を渡すわけ。その時の顔。100人が100人、驚きの声を上げてくれる。そして数回とくと、『これが櫛なんですね』と何とも言えない笑顔に変わる。それを見るのが今の楽しみ」(信吾さん)
英明さんが工房の奥から櫛を運んできた。板張りの工房の、緋色の敷物の上に広げられたさまざまな形の櫛。櫛の目、サイズ、厚みなど全て違う。相手と対話しながら、肌と触れ合わせながら、その人にもっとも合う櫛を選び出して、嫁がせる。
「櫛作りは自分の生き甲斐。100点を目指して作り続けるけど、100点というのは絶対にありえない。ただね、お使いになった方に『ああ、あの櫛、宝にしています』と言っていただけるのであれば、その方に対しては100点のものを提供できたんじゃないかとは思う。評価は自分が亡くなってからだとは思っています」(信吾さん)

Text by 守隨 亨延









