



この家に生まれるべくして生まれた
小西さんは天性の職人だ。1941年に常滑で生まれ、84歳になった今に至るまで、考えることは常に焼き物のこと。
「物心ついたときから親父の横で手伝っとったもんだ。好きなことだでね。親からもらった10本の道具(指)は今でも使えるもんだ、命ある限りじゃねえけども」
柔和な表情と共に、心地よい常滑弁で喋る小西さんが作る急須は、独特の雰囲気をまとう。父親は同じく陶芸家の小西友仙。友仙もまた常滑を代表する急須職人であり、その長男として、中学のときにはすでに家で急須作りを担った。

「作っとりゃええ(楽しい)もんだいね」
地元の常滑高校窯業科へ進学した頃には、生徒であるにもかかわらず、同科で共に学ぶ生徒に急須作りを教えていたそうだ。日々とにかく土をこねて、焼き続ける。しかし父の「友仙」という号は継がず弟に譲り、洋平という名を通している。
「急須の職人だけど他流試合、元々が面白いものを作ろうっていう(自分の)姿勢だもんだでね。もちろん先人のやったこと、真似もええだよ。それはそれで大事なことだけど、自分は自分で何かやりたかったわけ。ほんでオブジェというだか、現代の工芸の公募展に挑戦するところに出いてみたりね。窯が限られとるもんだい、どれを窯の中へ入れようかとなると、急須はほったらかしだいね。そういうことも多々あっただって」
急須職人の型にはまらない自身のクリエイティビティを選んだ。経験と技術に裏打ちされた職人としてだけでなく、感性を加味した独自の作品は、生活に関わる焼き物を主に作ってきた常滑において異彩を放っている。


自然との会話で生まれる急須
急須作りは手間がかかる。胴体に注ぎ口、取っ手、茶こし、蓋などを狂いなく作り取り付けて、形が完成する。多くの場合、急須作りは同じものをたくさん作っていくが、小西さんが手がけるものは全て異なるデザインだ。「一緒のものを作りたない。先代はきちっとした立派な職人。洋平もそういうふうにと(父の)友仙は願っとったと思うよ」と笑う。
常滑の急須というと朱泥を連想する人も多いだろう。しかし実際は朱泥の他に、いくつか技法がある。たとえば、異なる色の粘土を混ぜ合わせて土の段階から異なる模様を出す練り込み。窯での焼成により焼き物に生じた意図しない質感を楽しむ窯変。練り込みは父・友仙が、窯変は洋平さんが常滑急須に取り入れた。
「真心を込めて一つずつ丁寧にコツコツと作ること。自分が気に入ったフォルム。売るということはあんま考えとらへんもんだいね。ただ、それが良いか悪いかは……。結果は、やっぱ売れるもんがいいということだでね、妻はね。でもやっぱり僕は自分の好きなことをやるさだもんで、変わりもんさ。変わりもんだけど今まで来られたのは、基本的には自分が好きなものを作ってるから」

小西さんが急須に窯変を取り入れたのは30代の頃。陶芸教室で生徒が作った器を薪の窯で焼く際に、自分の急須も入れてみたところ焼き上がりに面白い変化があった。穴窯は年1回、ゴールデンウィークにたく。焼き上がりまで3昼夜。理由は天気が安定し連休のため、子どもや孫など家族総出で携われるからだ。
「天候だとか季節だとかね、雨の降った日だとか薪の湿り気とか、宇宙の天気、煙突からの煙、自然界と会話をしながらする。かっこいい話に聞こえるかもしれんけれど、実際そうなんだって。とにかくええものを焼きてえだよ」
最近は小ぶりの電気釜にも入れ込んでいる。大きな窯だと焼くためのものを多く作る必要があるが、小さな窯であれば回転を早くして、実験的なことを次々と行える。
「毎日でも焼きてえぐらいだわ」

作家の手を離れ急須が独り歩きする
常滑の焼き物も、多くの伝統工芸がそうであるように、産業として成立させ続けていくことと、後継者育成は喫緊の課題だ。
「僕らの世代全員が気にしとることがそこ。やる人がおらへんから。勘定に合わんようなことを誰がやるだね。(技術は)教えるよ。だけど、こんなことやって生活できるだろうかとか、人生一代を急須作りに励んで、果たしていいのかとかね」
常滑の場合、今は中国の購買力によってその需要が支えられているがそうだが、その勢いがいつ弱まるのか、どの製造者も不安を抱えている。特に作家物は単価が高く、国内需要が見込めないため、いかに海外へアピールするかが肝だ。
「伝統を守る人がね、ビジネスとか市場とかいうことは言っちゃいかんだ本来は。言っちゃいかんけども、仕事は誰かがどこかで支えておいてくれんとね。ある人が言うには、しっかりした仕事で魂が入っとるようなもんだと、文化が違っても欲しい人がおるそうだよ。その国では急須みたいなものは見たこともねえし、どうやって使うかと思うんだけれども」

1978年に常滑市として出展したフランス・バロリス国際陶芸展での銀賞受賞や、1992年に常滑市が実施した陶芸交流では、派遣団の団長としてのマレーシアを訪問。小西さんにとって、丹精を込めて作った急須を介してのコミュニケーションは、自身がこれまで体験してきたことでもある。
「言葉が通じんでも、ハートや発想、夢は、分からんなりに(日本語で)喋ると、それが通じるときがあるんだって。で、急須が独り歩きしてくれるもんだ。どこかで誰かが求めてくれりゃ、言葉をかけとらんでも急須が『日本でこんなもん作っとだぞ』そう言ってくれるかもしれんもんだ」
窓際にある畳敷の作業場。回るろくろの粘土を包み込む手から、次々と滑らかな急須が現れる。
「たかが急須だけど、されど急須だでね。されど急須のところまで行くには、その人の魂とか一生懸命さを出していかないかん。美しいものは美しいだって」
かつて海路を通じて日本全国に運ばれた常滑焼。吹き込まれた魂と共に、今は世界を独歩する。


Text by 守隨 亨延









