


鋳物の町・山形で生まれる、柔らかい鉄
「うちはね、砂の種類から違うんですよ」
菊地さんは、型を作るための砂を手に取りながら説明してくれた。山形鋳物の特徴は、この砂にある。最上川流域で取れる川砂は粒が丸く、仕上がりが滑らか。一方、山砂は角が立ち、締まりが強い。その違いが、鉄の肌に繊細な表情を生み出す。
「柔らかく見える鉄を作るには、この砂の調合が命なんです」
細かい造形を扱うのは至難の業。
「細かい砂を使いこなすのは本当に難しい。でも、それができるのが山形の職人なんですよ」
こうした地の利と手の感覚が、山形鋳物を“生活の中の芸術”たらしめている。
砂と火と、9,000年の素材「漆」
仕上げの現場では、職人たちが真剣な表情で鉄の表面に漆を塗っていた。しかも、焼きながら塗る。この工程こそ、菊地保寿堂独自の技。
「焼き消して、焼き消して、何度も塗り重ねる。だいたい3層ぐらいかな」
漆を使う理由を尋ねると、菊地さんは少し熱を帯びた声で答えた。
「今の世の中にはいろんなコーティング方法があるけれど、発がん性物質を含むようなものも多い。でも、漆は違う。9,000年前から使われてきた、人に安全な素材なんです」
その言葉には、“人にやさしいものづくり”という信念が込められている。
「人に安全なものって、美しいんですよ」
この哲学は、製品の機能やデザインを超えて、人と自然が共生する道具づくりそのものを体現している。
最近では、IHにも対応している漆焼付着色の料理道具の開発にも取り組んでいるという。伝統素材が現代の暮らしに生きるよう再定義する挑戦——。それは、過去を守ることではなく、未来へつなぐ創造の試みだ。

世界が惚れた、山形の手仕事
山形の工房から生まれた製品は、いまや世界中に届いている。パリの高級食器販売の「サフラン」には、特注の白い器を納めた。
「“白いポットを作ってくれ”と言われてね。発色が難しくて何度も失敗したけれど、ようやく納得のいくものができたんです」
その白は、まるで磁器のように澄んでいる。パリのお茶専門店「パレーデテ」でも同社の鉄器が使われており、山形の鉄がパリのカフェ文化の一角を担っている。
また、アメリカの大手コーヒーチェーンにも、かつて大量に製品を納めていた。
「担当者が毎年変わるんですよ。だから、毎年ゼロから信頼を築き直す。でも、それでも続けてこられたのは、“うちの製品は嘘をつかない”という自信があるからです」
一方でヨーロッパでは取引相手が長期的に関係を築く傾向があり、「積み上げ型の文化がいい」と菊地さんは言う。国ごとに取引のリズムは違えど、誠実な仕事を共通言語に、各国との結びつきを強めている。

伝統工芸が抱える静かな危機
いま、鋳物業界は大きな転換点にある。
「若い人がいないんです。工芸は工程が多いし、勘や手の感覚が要る。でも、そういう仕事に興味を持つ若者が減っている」
行政も、地元の伝統産業よりも大手企業の工場誘致に力を入れてきた。その結果、若者は安定した企業に流れ、工房に残るのは年配の職人ばかり。
「山形市もね、もっと自分たちの文化を誇りに思ってほしい」
菊地さんの穏やかな口調の中には苛立ちも混じる。
だが、批判だけでは終わらない。彼は「危機の中にこそチャンスがある」とも言う。
「今、海外の若いデザイナーやシェフが、うちの工場を訪ねてくるんですよ。 “本物を知りたい”って。そこに希望を感じますね」

「守る」と「変える」のあいだで
菊地さんの仕事場では、70代の工場長が今も現役で活躍している。溶融炉では2,000Vの高電圧が唸りを上げ、わずか30分で鉄が溶ける。
「アメリカ製の機械なんですよ。軍需品用の設備を改良して使ってます」
そう笑う姿からは、伝統とテクノロジーを自在に行き来する柔軟さが感じられる。
「うちの工場では、古い手仕事の道具と最新機械が同居しているんです。両方を使いこなせるのが、これからの時代の職人の姿だと思う」
つまり伝統をつなぐとは、止まることではなく、変わり続ける勇気を持つこと。それが菊地さんの信条だ。
「本物を残す」ための挑戦
取材の最後、菊地さんは静かにこう語った。
「この工場は“本物を残すための場所”なんです。だからこそ、中途半端なものは作れない」
それは単なる理想論ではない。彼の言う“本物”とは、手間を惜しまないもの、使う人のことを想って作られたもの、そして人と自然に誠実であること。
「鉄も漆も、どちらも人間の都合だけでは扱えない。でも、丁寧に向き合えば必ず応えてくれる。そういう素材と生きていきたいんです」
工房の隅で、仕上げを終えた鉄瓶が静かに並んでいた。黒く艶やかな表面に、漆が光を宿す。それは、職人たちの手の跡と火の記憶が刻まれた、生きた工芸品だった。








