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一組40枚に宿る覚悟:中島清吉商店が守り続ける将棋駒づくり
2026.01.27
一組40枚に宿る覚悟:中島清吉商店が守り続ける将棋駒づくり

山形県天童市

中島清吉商店
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中島 正晴

中島清吉商店 4代目店主。将棋駒製造に従事し、家業を継ぎながら組合理事長として業界にも関わる。

将棋駒

丸太から木地を切り出し、自然乾燥を経て木地師・書き師・彫師の分業で仕上げ、漆で文字を施し、盛上げ技法で立体的に完成させる。素材は主に御蔵島産の本ツゲと漆で、木目や艶を活かすことが重視される。対局用の道具として使用されるほか、長年の使用で風合いが増す工芸品としての価値も持つ。

中島清吉商店は、素材選びや乾燥工程、分業による高度な技術を通じて将棋駒づくりを行う老舗である。大量生産から品質重視へ転換し、一組40枚の調和を追求してきた。材料や職人不足といった課題に向き合いながら、将棋文化と駒づくりの継承に取り組んでいる。
一組40枚に宿る覚悟:中島清吉商店が守り続ける将棋駒づくり
山形県天童市。将棋駒の音が、この町の日常に溶け込むようになってから、150年近い時間が流れている。
明治13年創業の中島清吉商店は、天童将棋駒の歴史とともに歩んできた老舗だ。将棋駒は、対局に用いられる道具である以前に、指す人の指に触れ、年月とともに艶を深めていく工芸品でもある。
一組40枚。そのすべてに同じ表情を宿らせるために、素材を選び、時間をかけ、技を尽くす。同店が守り続けてきたのは、効率とは真逆の「覚悟」そのものだった。

将棋の町・天童と駒づくりの始まり

天童が将棋の町となった背景には、江戸時代の藩政がある。
この地は、織田信長の末裔にあたる織田藩の所領だったが、財政は常に厳しかった。

十分な俸禄を得られなかった下級武士たちは、内職として将棋駒づくりを奨励される。
明治維新によって武士という身分が消滅すると、その内職は「職業」となり、天童の地に将棋駒づくりが根付いていった。

中島清吉商店の創業も、その流れの中にある。
初代・為三郎が将棋駒づくりを始めたのが、明治13年。
当時は将棋ブームと呼べるものはなかったが、庶民の間で将棋は親しまれており、「作れば売れる」だけの需要が確かに存在していた。

将棋駒は「木の文化」を象徴する工芸

将棋駒の価値を大きく左右するのが、素材だ。将棋駒の原材料は、驚くほどシンプルである。木と漆。それ以外の材料は、基本的に使われない。

将棋駒という形が確立したのは1500年代とされているが、それ以降、その本質はほとんど変わっていない。
駒は単に五角形であればよいのではなく、木目や木肌、さらには色や艶、一枚一枚の重さに至るまで、きわめて繊細な感覚が求められる。

40枚が一組となる将棋駒において、わずかな違いは全体の調和を崩してしまう。
だからこそ、素材の個体差を見極め、揃えるという工程そのものが、将棋駒づくりの核となっている。

中島清吉商店が最高級品に用いるのが、御蔵島産の本ツゲ(伊豆諸島・御蔵島で採れる国産ツゲ)である。
本ツゲの特徴は、きめ細かな木目と、使うほどに増していく艶だ。
切り出したばかりの状態でも、すでにしっとりとした光沢を持ち、触れた瞬間に違いがわかるという。

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さらに重要なのが、乾燥工程である。
丸太を輪切りにし、板状に加工したのち、最低でも2年以上、自然乾燥させる。
急激な乾燥は割れや歪みの原因となるため、時間をかけてゆっくりと水分を抜いていく必要がある。

この工程を経てはじめて、将棋駒として長年使っても変形せず、手に馴染み続ける道具となる。

こうした素材選びと扱いの繊細さは、木以外の素材を受け入れてこなかった、日本独自の「木の文化」を象徴していると言えるだろう。

漆もまた、欠かすことのできない素材だ。
漆には、他の材料では代替できない粘りと伸びがある。
文字の線を受け止め、盛り上げ、長い年月の使用にも耐える強さを併せ持つ。

将棋駒の黎明期には墨が使われていた時代もあったが、現在では漆以外の選択肢は考えられていない。
それは合理性ではなく、積み重ねられてきた経験と感覚が導き出した必然なのだ。

分業で受け継がれる、将棋駒づくりの技

将棋駒づくりは、明確な分業制によって成り立っている。
駒木地を作る木地師(きじし)、文字を書く書き師、文字を彫る彫師。
それぞれが専門の技を磨き、ひとつの駒を完成させていく。

木地師:すべては素材選びから始まる

木地師は、丸太材から将棋駒の基礎となる駒木地を作る職人だ。
鋸(のこぎり)を使い、一枚一枚を手作業で仕上げていく。

重要なのは、木目の読み取りだ。
同じ丸太から切り出しても、木目や色合いは微妙に異なる。
一組40枚(将棋の駒一式)の中で違和感が出ないよう、木目・色・重さを揃える工程は、まさに最初の関門と言える。

木目を生かす感覚は、機械では代替できない。

書き師:一瞬に宿る、熟練の筆運び

書き師は、下書きをせず、駒木地に直接将棋文字を漆で書いていく。
一枚を書く時間は、わずか数秒。しかしその線には、長年の経験が凝縮されている。

細い線の強弱、わずかなかすれ具合。
そのすべてが、完成した駒の表情を左右する。
速さと美しさを両立できるのは、熟練した書き師だけだ。

彫師:揃えることの難しさ

彫師は、彫刻刀で木地にそれぞれの文字を彫り込む。
将棋駒は一組の中で「歩」がもっとも多く、同じ文字を何枚も揃える必要がある。

そのため、多くの彫師は、同じ種類の駒を同じ日にまとめて彫る。
わずかな調子の違いが、文字の表情に影響するからだ。

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盛上駒はなぜ“美術品”と呼ばれるのか

将棋駒の技法の中でも、頂点に位置づけられるのが盛上げ駒だ。
盛り上げとは、文字部分を一度彫り、漆で埋め、磨き上げた後、さらに漆を“盛る”ことで立体感を出す技法を指す。

細い筆を使い、わずかなはみ出しも許されない作業。
一度失敗すれば、最初からやり直しとなる。

この工程で重要なのが、彫り埋め段階でどこまで艶を出せるかという点だ。
盛り上げを施した後は、もう磨くことができない。
つまり、最終的な艶の美しさは、その前段階で決まってしまう。

完成した盛上げ駒は、もはや実用品の域を超え、美術品のような存在感を放つ。
プロ棋士のタイトル戦で盛上げ駒が使われる理由もそこにある。

大量生産をやめ、「一組」を極める選択

約40年前、中島清吉商店は大きな転換点を迎えた。
当時は、比較的安価な駒が主流で、1日に1万枚近く切り出せる大量生産機械も稼働していた。

しかし、将棋人口の減少とともに、そのやり方は限界を迎える。
「これからは、良いものを作らなければならない」

大量生産をやめ、精密な加工が可能な機械へ切り替えた結果、生産量は1日1,500枚ほどに減少した。
だがその分、一組40枚すべてにおいて、色味・木目・質感を揃えることに、徹底的に向き合えるようになった。

40枚の中に、わずかでも色の違う駒が混じれば、その価値は下がる。
同じ年に乾燥させた材を揃え、一本一本異なるツゲの個性を見極めながら、一組を完成させていく——。
そこには、効率とは真逆の覚悟がある。

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将棋駒を、未来へつなぐために

材料不足、職人不足という課題は、今も業界全体に重くのしかかっている。
かつて使われていた輸入ツゲ材の伐採禁止、刃物職人の高齢化。
それでも中島清吉商店は、国産材の研究や職人育成を続けてきた。

「将棋を指す人が増えてほしい」
その思いは、駒づくりだけでなく、体験企画や小物づくりといった取り組みにも表れている。

将棋駒は、指す人の時間とともに完成する工芸品だ。
一組40枚に宿る覚悟は、150年を超えて、次の世代へと静かに受け渡されていく。

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