



土木業界から転身した博多人形師が、全工程を一人で担う伝統技法を守りながら、独自のデフォルメ作品で新たな価値を生み出している。
なぜ彼は、博多人形の常識とされる写実性や「美人もの」にとらわれず、あえて「変だ」と言われる異端の道を歩み始めたのか。
小副川博多人形工房の小副川太郎さんに、異色の経歴から生まれた独自の作風と、伝統工芸の枠組みを逆手にとる戦略について聞く。

現場監督から人形師へ、全工程を一人で担う魅力
小副川さんは、大学で土木系を専攻し、卒業後は東京で工事現場の監督として働いていた。実家は祖父の代から続く博多人形の工房だったが、当初は家業を継ぐ気はまったくなかったという。転機が訪れたのは、東京で働くなか実家の手伝いで東京での展覧会の片付けに参加した際、人形師という職業の特殊性に気づいたときだ。
「自分の仕事も、工事の現場の監督をやっていたんですけど、作業員や営業といった人がいて、いろんな人が関わって一つの仕事が出来上がるわけですよ。けど、人形師はこれを全部一人でやるじゃないですか。それが単純にすごいなって、その時にちょっと感じたんですよ」
分業が当たり前の現代において、原型づくりから全工程を一人で完結させる人形師の仕事に魅力を感じた小副川さんは、28歳で弟子入りを決意する。しかし、選んだのは父・祐二さんのもとではなく、別の人形師である武吉國明さんの工房だった。身内から教わることで後に生まれるかもしれない確執を懸念し、別の師匠のもとで修業期間を全うすれば、その後は自分の好きなものを作れると考えたのである。


理屈を理解するまでの10年と一貫制作の技術
博多人形は、原型づくりから型取り、彩色、面相まで、全工程を一人で手がける。修業期間は一般的に5年間が暗黙のルールとされているが、小副川さんが人形づくりの理屈を理解するまでには10年の歳月を要した。特に、着物のシワの表現においては師匠から何度も指導を受けたという。
「写真にはシワが入っているのに、このシワは入っちゃダメだと言われるんです。はじめは意味がわからなかったんですが、後々考えると、着物を着せると体のラインで消える部分がある一方で、体が入っていることを示すために曲がったときに必ず入るシワがある。それは膝や腰の位置がきちんと出るためのシワだったんです。それがわかるまで10年かかりました」
博多人形制作の各工程は分業で行われていた時代もあったが、現在では全工程を一人でこなせるというのが人形師として生き残るための必須条件となっている。父・祐二さんもその重要性を指摘する。
「形を作り、石膏型を作り、粘土を込めて焼き、彩色をする。この全部の工程を一人でできないと博多人形師とは言えません。昔は専門の職人がいましたが、今は全部を一人でできるから、作ろうと思ったらいつでも作れる。それだけ強いということです」

デフォルメ表現と伝統工芸の逆手
小副川さんの作品は、博多人形の代名詞とも言える写実的な「美人もの」にとらわれない。雅楽のお面から発想を得たデフォルメ人形や、カエルを擬人化した修験者の人形など、独自の表現を追求している。学生時代に美術系の教育を受けておらず、デフォルメされたキャラクターに親しんできた背景が影響しているという。
「元々博多人形に興味があったわけではなかったので、博多人形はこうじゃなきゃっていうのが頭の中にないんです。だから、変なものを作っているとずっと言われていました。でも、最近は工芸という枠組みを逆手にとるようにしています。自由な造形であっても、そこに伝統的な和柄などの要素を少し入れるだけで、工芸品としての説得力が生まれるんです」
この独自のアプローチは、当初は業界内で異端視されたものの、徐々に外部からの評価を集めるようになった。東京での実演イベントや、セレクトショップでの取り扱いをきっかけに、新しい購買層からの支持を獲得している。
小副川さんは現在、新たな試みとして、父の代から残る古い型を活用した作品づくりを構想している。かつて大量生産された「美人もの」の生地を使い、現代の感覚に合わせた新しい彩色や見せ方を施すことで、過去の造形の良さを再評価させる狙いがある。


常に新しいものを追い求めるだけでなく、伝統的な造形を違った目線で提示することで、博多人形の新たな可能性を模索し続けている。




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