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秩父銘仙を未来へ──新啓織物が紡ぐ真摯なものづくり
2025.10.19
秩父銘仙を未来へ──新啓織物が紡ぐ真摯なものづくり

埼玉県秩父市

新啓織物
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新井 教央

秩父銘仙 新啓織物の2代目。織物商社で15年勤務したのち36歳で家業へ入り、独自の糸使いによる秩父銘仙の制作に取り組んでいる。

秩父銘仙

経糸に仮織りした緯糸をほぐしながら、型染めした糸を再度織り上げる「ほぐし捺染」によって制作される絹織物。絹糸(養蚕由来の繭)を素材とし、裏表のない大胆な模様表現と奥行きのある柄が特徴。主に着物として用いられてきたが、近年はハンカチなど日用品にも展開されている。

埼玉県・秩父が誇る秩父銘仙は、大正ロマンや昭和モダンなどを背景に女性たちに愛された絹織物。ほぐし捺染を用いて織り上げられる生地は大胆な模様を特徴とし、当時は気軽なおしゃれ着として絶大な人気を誇った。
秩父銘仙を未来へ──新啓織物が紡ぐ真摯なものづくり
埼玉県・秩父が誇る秩父銘仙は、大正ロマンや昭和モダンなどを背景に女性たちに愛された絹織物。ほぐし捺染を用いて織り上げられる生地は大胆な模様を特徴とし、当時は気軽なおしゃれ着として絶大な人気を誇った。
新啓織物は、家族で運営する秩父銘仙の工場だ。2代目を継いだ新井教央さんは、織物商社に15年勤め世界中の織物を見たあとに、職人を目指して家業に入った。糸づくりから真摯にこだわる職人が見つめる秩父銘仙の未来とは──。

大正・昭和を彩ったモダンな絹織物、秩父銘仙

新啓織物の創業の経緯をお聞かせください。

新啓織物の創業は1970年。私の父は小学校を出てから織物を作る機屋(はたや)に勤めて、その後独立して織物を作るようになりました。

秩父銘仙は、かつて秩父が誇る一大産業でした。当時の秩父は、地域に暮らしている人の約7割が、糸偏(いとへん)と呼ばれる織物関係で生計を立てていたという織物のまち。西武秩父駅からうちの工場まで歩いてくる間に、聞こえてくる機音がまったく途切れなかったのだと父がよく話してくれました。

秩父銘仙は、どのように生まれたのでしょうか?

もともと、秩父はどこの農家でもお蚕を育てていた養蚕の盛んな地域です。いい繭は現金化するために出荷して、お金にならないくず繭を、農閑期に農家が糸にして織った太織(ふとり)が秩父銘仙の始まりです。江戸時代の中期以降に評判になり、織物産業が盛んになっていきます。

秩父銘仙の代名詞「ほぐし織り」の先駆けとなる技術が考案されたのは1908年。秩父の隣町に住む坂本宗太郎氏が特許を取得したことにより、技術革新が進みました。その後の開発で、それまでの無地や縞格子柄から、大胆な先染めの模様をあしらった秩父銘仙を作れるようになったのです。

ほぐし織りが特徴的な秩父銘仙の製法や技法について教えてください。

経糸(たていと)に、粗く緯糸(よこいと)を仮織りしていきます。シート状になった経糸にほぐし捺染をして、模様を人の手で型染めします。その後、あらかじめ仮織りした緯糸を手でほぐしながら、糸の張り方・織り機から聞こえる音に神経を使い、丁寧に織り上げていきます。

糸に型染めをするため、裏表のない生地ができるのがほぐし捺染の特徴です。経糸と緯糸との組み合わせで見え方が変わったり、柄を重ね合わせて奥行きを出したり、ほぐし織りの醸し出す奥深い魅力があるんです。

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ほぐし織りに魅せられて、会社を辞めて職人へ

新井さんは、会社に勤めたのちに職人の道を選んだとか。

織り機の音が聞こえる家で生まれ育ち、織物の専門学校を卒業後、織物商社に就職しました。最初はデザイナーとして、企画・デザインを手掛けて、途中で貿易部に異動して、ヨーロッパやアジアの織物の技術指導や品質管理に携わりました。

働き出して15年経ち、実家に帰り秩父銘仙の職人を継ぎたいという想いが出てきました。海外の織物をたくさん見てきたなかで、秩父銘仙のほぐし織りの技術の素晴らしさを再認識したんです。

その頃は、秩父の織物産業も縮小の一途を辿っていました。「家業を継ぎたい」という私に父は、「やめておけ。食べていける可能性は低い」と強く反対しました。すでに4人の子どももいたので、心配してくれたのだと思います。けれども、70歳を超えた父から直接技術を学べるのは今しかない。そう覚悟を決めて、36歳で家業を継ぐことになりました。

修業期間は、どのような時間でしたか?

何をやるにしても、技術を得るためには10年くらいはどうしてもかかると思うんですよね。ある程度の覚悟を持って、家に戻りました。

しかし、予想していた以上に難しかった。とにかく何もかもわからない状態でした。父は職人として50年になるので、簡単そうに作業を進めていく。でも、父が2時間で仕上げる工程を、私が2週間かけても形にならない。

神経を集中させる機織りは、どれだけ工場に居たかによってスキルが上がります。毎日朝から晩まで、土日も作業を続けました。子どもたちにもお金のかかる時期を乗り切れたのは、家内が支えてくれたおかげです。

機織りの技術を身につけるのは、本当に大変なことなのですね。

さらに、捺染の型染めは職人さんと分業していたのですが、高齢化も進み、このままでは秩父銘仙が作れない状況になってしまいました。そこで、捺染工場を増設して、捺染職人の親方のところでも修業させてもらい、染めの作業も身につけていきました。

がむしゃらにやってきましたが、10年くらい経って少しずつ見えてきた気がしますね。父から受け継いだ技術をさらに革新した秩父銘仙を開発するようにもなりました。

うちは、経糸緯糸にもこだわっているんです。試行錯誤の末に行きついたのは、ブランドのスカーフなどに使われているブラジル産のしなやかで均一性の高い糸。糸の撚り回数も改良を重ねて、織り機の不具合が出にくく、耐久性や肌触りにこだわった秩父銘仙を作ることができました。

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「後世に残るものを」秩父銘仙を未来へと繋げていく

──「ハタオト」など、秩父銘仙の技術を生かした製品づくりもされていますね。

西武秩父駅前に新しく温泉施設が開業するタイミングで、秩父銘仙の商品を扱いたいとお話をいただいたんです。カジュアルにほぐし織りの技法を楽しんでもらえる製品を作りたいと、ハンカチを開発することになりました。

着物を万人に届けるのはなかなか難しい。でもハンカチなら、誰の日常にも寄り添える。ほぐし織りの魅力をもっと身近に楽しんでもらえるように、男女問わず使えることを意識して柄や配色を選びました。

いろいろな反響がありました。コロナ禍では、「ハタオト」でマスクを作る方も。何枚か買ってブラウスに仕立てたという方もいらっしゃいました。

地元の高校生が、企業とコラボレーションして町おこしをする授業の一環で、「ハタオト」に2次元コードをつけて秩父を紹介するプロジェクトも生まれましたね。「ハタオト」が、いろいろなご縁を連れてきてくれています。

秩父銘仙から生まれた「ハタオト」を通して、地域づくりに繋がっているのがすばらしいですね。

これから、秩父に1軒残っている養蚕農家と製品づくりを進めていきます。私の息子くらいの若い夫婦が後継者ですが、その繭を使って、糸にして織物にしていきたい。同じ地域にあるアパレルブランドREINA IBUKAとも協力して、秩父産の繭で秩父銘仙のよい反物を作りたいと思っています。

秩父には、有名な秩父夜祭があります。現在、秩父夜祭に参加する6町会中、秩父銘仙の着物を着ているのは3町会です。私の目標は、全ての町会に秩父産の繭で作った秩父銘仙を秩父夜祭で着てもらうこと。そうすると、お祭りとともに養蚕、秩父銘仙の産業も残っていく。歴史と文化と技術を繋げながら、産地を盛り上げていきたいと思います。

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高齢化やさまざまな課題もあるなか、新井さんが日々いろいろな形で挑戦し続けているのはなぜでしょうか。

課題はやっぱりありますよね。着物の需要も減っているし、職人の高齢化もある。でも、大変なのはどこの産地にも言えること。嘆いていても仕方がないと思うんです。

職人にできるのは、開発を続けていくことと、想いがこもったものを作り続けることしかないんです。技術は、一朝一夕で進歩したりしない。皆さんが喜んでいただけるものを届けられるかじゃないですか。それができなければ、伝統が途絶えてしまうと思うんです。

着物は長く残ります。保存状態がよければ、100年前に織られた秩父銘仙も着ることができる。でも雑に扱えば、着物はすぐにダメになってしまう。自分がいなくなっても愛され続けるような一枚を作りたい。そんな想いを込めて、今日も機織りに向かっています。

Text by 荒田 詩乃

#Artisan#職人#埼玉#秩父銘仙#伝統#歴史#日本文化#技術#伝統工芸#ほぐし織り
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