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120年の技術で、和モダンを世界へ──行田足袋・イサミの挑戦
2026.02.06
120年の技術で、和モダンを世界へ──行田足袋・イサミの挑戦

埼玉県行田市

株式会社イサミコーポレーション
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土屋 海斗

株式会社イサミコーポレーション 常務取締役。イサミ足袋のブランディングを推進し、和モダンブランドの展開や直営店の運営を通じて日本文化の発信に取り組む。

行田足袋

布の裁断・縫製・成形など複数工程を経て仕立てる履物で、主に綿素材を使用し足に密着する形状に仕上げる。和装時の履物として用いられるほか、近年は日常使いやファッション用途としても展開されている。

埼玉県行田市で120年にわたり足袋を作り続けてきたイサミコーポレーション。足袋の一大産地として栄えた行田には、今も職人の技術と歴史が息づいている。伝統を土台に、足袋を和装から解き放ち、和モダンを世界に発信する挑戦が始まっている。
120年の技術で、和モダンを世界へ──行田足袋・イサミの挑戦
埼玉県行田市で120年にわたり足袋を作り続けてきたイサミコーポレーション
足袋の一大産地として栄えた行田には、今も職人の技術と歴史が息づいている。伝統を土台に、足袋を和装から解き放ち、和モダンを世界に発信する挑戦が始まっている──。

土地と歴史が織りなす行田の足袋文化

埼玉県行田市で、足袋を120年作り続けてきたイサミコーポレーション。来年には創業120周年を迎える老舗の足袋工場だ。創業当時イギリスの最先端であったノコギリ屋根の建物は、現在日本遺産に認定されている。

この地域では、古くから足袋が生産されてきた。行田には、映画『のぼうの城』で描かれ有名になった忍(おし)城がある。豊臣秀吉軍の10倍近い軍勢を追い返した忍城の城下町として、この辺りは武家屋敷が並んでいた。

「足袋作りの始まりは江戸中期頃。下級武士が副業として足袋作りを始めました。気候に恵まれていて原料の綿花がよく栽培されたこと、旧中山道が近く江戸へ運ぶ地の利があったことなど、さまざまな要因があるようです」

最盛期には、行田に700以上の足袋屋があった。1907年足袋産業で行田がにぎわう時代に、イサミ足袋も創業。電動ミシンを導入した最新鋭の工場で足袋を生産した。

「足袋メーカーとしては後発組だったので、販路拡大のため画期的な宣伝方法を取り入れました。イサミ足袋についているトレードマーク松さんのラベルを5枚集めると、鑑賞会に参加できる映画上映会を開催したのです」

映写機を持って、地方を巡業した。この方法が功を奏し、イサミ足袋は全国に名が知れ渡った。ノーベル賞を受賞した文豪川端康成の『掌の小説』にも、イサミ足袋宣伝映画大会の華やかな様子が残されている。

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120年続く職人技術を、次世代へ伝えるために

現在イサミ足袋を率いるのは、株式会社イサミコーポレーションの常務取締役土屋海斗さん。もともと縫製業とは異なるバックグラウンドを持っていた土屋さんは、ひょんなことから足袋作りに携わることになった。

「経営が難しくなっていたイサミ足袋を買収したのが、私の父の会社です。父の会社にはものづくりのノウハウがほとんどなく、現場を見る存在が必要と、私に白羽の矢が立ったのです」

それまでは企業で空間プロデュースなどを手がけていた土屋さん。これもひとつの人生経験になるかもしれないと、一念発起してイサミコーポレーションに入社することになった。

「最初は何もわからなかったんです。大学も英語学部で言語を学んできたので、プロダクトを作った経験もない。足袋もはいたことがない状態からのスタートでしたね」

「まずは知ることが大切」と、土屋さんはイサミ足袋の歴史を学ぶことから始める。近くの高校で担当する足袋の授業の講師役を買って出て、文献を読み込み、職人に質問し続けて、足袋作りや歴史を学んだ。

さらに、新しい販路を獲得するため営業に回る。足袋を留める甲馳(こはぜ)をなくしてはきやすく改良したショート足袋を、アパレルブランドなどを回り取り扱ってもらえないかと提案したのだ。

「営業はうまくいかなかったですね。イサミ足袋は、品質の高い足袋を作り続けている。でもその価値を伝えきれていない。和装離れもあるし、ホームページも広告もほぼ展開していない。このままではダメだと思いました」

足袋を主役に。本当の価値を問い直すリブランディング

行田の足袋作りは、13工程に分かれている。裁断するために布を重ねて整える「ひきのし」、重ねた布を金型で押し切る「裁断」、こはぜの糸を通す「通し」「押さえ」、部分ごとに縫い上げていく「ハギマチ」「甲馳つけ」「羽縫い(はぬい)」「甲縫い(こうぬい)」「尻止め」「爪縫い」「廻し」「千鳥」など。アイロンで形を整える「仕上げ」も欠かせない。

つま先など繊細なカーブを描く部分には、ドイツ製の古い手動ミシンが用いられる。そこに職人の高い技術が合わさってこそ、多様な形の足袋に対応できる。仕上げには木槌で丁寧に叩きあげて、はき心地を整える。

「たまに『足袋は足が痛くなる』と聞きますが、足にきちんとあったサイズの足袋をはくと心地いい。一足一足に職人たちの技術が丹念に込められているんです。価値をわかってくださる方に届くように、リブランディングすることが近道だと気づきました」

しかし、足袋は和装の脇役。着物にこだわる人はいても、足袋にこだわる人はほとんどいないため、単価を上げることは難しい。生き残っていくために、イサミ足袋は思い切って「脱着物」をテーマにすることにした。

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「足袋は着物や和装文化と共に愛されてきたアイテムです。でも和装の需要が減ってるのであれば、そうではないありかたを考えなければならない。『足袋かっこいい!』と現代の方に思ってもらえるために、着物を着ない方向けのブランディングをしたいと思ったんです」

手探りの日々が始まった。一眼レフカメラを購入してビジュアルを撮影し、平成に作られたままのホームページをリニューアルして、SNS発信も始めた。ロゴも自ら考えてデザインした。倉庫だった場所を改装して、足袋を購入できるショップスペースも整えた。

「根幹にあるのは、これまで積み上げてきたイサミ足袋の歴史です。松さんを取り入れたり、江戸時代に流行った藍染足袋の歴史から同じ地域の武州正藍染とコラボレーションした刺し子足袋を作ったり、歴史をさかのぼることで新しさを見いだしていきました」

和モダンを通して、日本の魅力を世界へ

イサミコーポレーションは2025年11月、埼玉・川越に「ISAMI KAWAGOE」をオープンした。

店頭には、アップルレザーを使ったサステナブルな革の足袋と共に、武州正藍染の刺し子織りのワークウエアなども並ぶ。ブランド「ISAMI」として、和モダンをベースに日本文化を世界に発信するアパレルブランドとして展開することになったのだ。

「ISAMIが提案したいのは、洋装に足袋を合わせること。私はジーンズと足袋のコーディネートがおススメです。でも、最初はハードルが高い。ブランドの世界観を作ることで、賛同してくれる人が増えると考えたんです」

モデル・インフルエンサーの川端美由とコラボレーションした「頂 -itadaki-」は、岡足袋をひざ丈のブーツ型に改良することで、雪駄・下駄・草履・サンダルなどを重ねて楽しむ和モードを提案する。「ISAMI」には、土屋さんの人生の経験も反映されている。

「大学のときにニュージーランドに留学してさまざまな国の人と話し、日本人ほど日本を知らない民族はいないと思ったんです。素晴らしいものがたくさんあるのに、気づいていないし気づかれていない。120年足袋を作り続けてきたイサミなら、こうした課題を解決できるかもしれないと思ったんです」

伝統技術を生かして、ブランドを展開していく若きリーダーにこれからの工芸に必要と考えることを伺ってみた。

「見える化ですね。職人業は魅力も技術も素晴らしいものがあるのに外に見えていない。その不透明なところを言語化して発信することで、関心を持ってくださる方も増えていくと信じています」

120年続いてきたイサミ足袋は、今日も日本の魅力を世界に発信し続けている。

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Text by 荒田 詩乃

#Artisan#職人#埼玉#行田足袋#足袋#歴史#日本文化#技術#伝統工芸
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