

創業110年、京都に根づく分業の知恵
創業から現在まで、馬場染工場はどのような歩みをしてきたのでしょうか。
創業は1913年、大正2年です。もともと滋賀の農家から、丁稚奉公として京都に出てきた曾祖父が始めました。当時の京都は着物の染色が中心で、分業の町でした。生地を作る人、型を彫る人、蒸す人、洗う人、整理する人——すべてが専門職として分かれていたんです。
うちはその中でも「型友禅」と呼ばれる分野で、シルクやちりめんの染色を担ってきました。
今も染め・蒸し・水洗い・仕上げをそれぞれ別工房で行う分業制ですが、少量多品種の時代にはむしろ柔軟に対応できる利点があります。
京都の分業制は一見すると手間がかかるようにも思えますが、実際には長く続く仕組みとしての強みがありますね。
そうですね。一貫生産の大工場ではロットが大きくないと回りませんが、分業なら小回りが利く。今の時代、同じ柄を何千枚も染める仕事は減り、百貨店やブランドの限定品など、数百単位の受注が主流です。むしろ、職人同士が信頼でつながるネットワークこそ、京都の染め文化の基盤だと思っています。
洋装から風呂敷へ。オリジナルブランド誕生の転換点
長い歴史の中で、大きな転換期はいつだったのでしょうか。
一番大きかったのは、洋服の仕事がなくなったときです。以前はデザイナーズブランドなどの服地を染めていたんですが、インクジェットプリントの普及で一気に需要が減りました。
そのとき「このままでは工場が続かない」と感じ、和装小物——特に風呂敷を自社で製造・販売する方向へ切り替えました。問屋を通すだけでなく、自分たちでデザインしたものを百貨店で扱ってもらうようにしたんです。
それが現在のオリジナルブランド「mashu kyoto(マシュキョウト)」につながるんですね。
最初は、長年お世話になってきた問屋さんに改めてご相談し、今後の展開について共に練り直すところから始めました。「これからは洋服ではなく、風呂敷を中心に新しい形で展開したい」と。ありがたいことに、昔からの取引先がその挑戦を受け入れてくださり、共に新しい販路を探っていくことができました。
今では、企業ノベルティやコラボレーション商品、観光地のお土産など、多方面で採用いただいています。動物モチーフや季節の柄を現代の感覚でアレンジしたデザインが人気で、テレビで紹介された際には、3,000円の風呂敷が、1ヶ月で400万円を超える売り上げを記録したこともありました。

海外へ:「工場を商品化する」発想
ここ数年は輸出やワークショップなど、海外展開も進められていますね。
はい。京都市内の工場を「ワークショップ併設の店舗」として開放しました。観光客やインバウンドのお客様に、実際に型染め体験をしてもらうんです。工場自体が商品になる。これは非常に大きな変化でした。
以前はOEMで他社ブランドの裏方として染めていましたが、今は「馬場染工場」という名前で来てくれる。SNSやメディアを通じて工房の物語を発信することで、信頼が広がっています。
輸出にも力を入れておられますが、どのような取り組みでしょうか。
JETRO(日本貿易振興機構)の支援を受け、フランス市場への輸出を始めました。ただ、当社の規模で毎月500万円の直接輸出は現実的ではありません。そこで、海外の代理店やセレクトショップと組んで「間接輸出」という形をとっています。
フランスやスイスの小売店に卸す形で、現地の販売ネットワークを活用しています。最近では、スイスの企業から直接注文をいただき、その売り上げが地方銀行の口座に即日入金されたんですよ。世界の金融インフラも進化していて、小さな工場でもグローバルに取引できる時代になりました。
次世代に残すために、「誰でもできる技術」へ
伝統技術の継承については、どのように考えていますか。
染めは感覚的な仕事ですが、うちは「誰でも覚えられる仕組み」にしています。レシピ化された染料調合や、型ごとの工程表を整えて、数ヶ月で一通り習得できるようにしているんです。
「10年修業しないとできない」ような世界では、次の世代が続きません。だからこそ、体験や教育を通じて門戸を開いていきたい。息子たちもそれぞれの道を歩んでいますが、もし戻ってくるなら、誰でも働ける環境を整えておきたいですね。
「伝統産業」を守るというより、「仕事として成立させる」意識が強いですね。
そうです。伝統工芸が「趣味の世界」になると、産業としては終わりなんです。企業として、雇用と利益を生み出しながら続ける——それが僕らの使命です。
だから、工場も不動産やショップ、体験など複数の収益源を持たせて、リスク分散しています。少人数でも利益を出せる仕組みを作っておけば、伝統は自然と続くと思います。
1913年に始まった馬場染工場は、110年を超えて今も色を重ね続けている。
手染めという古い技法を守りながらも、ブランド設計、海外展開、ワークショップ化と、新しい挑戦を怠らない。その背景には、「伝統をつなぐには、仕事として成り立たせなければならない」という明快な信念がある。
「染めの技術そのものよりも、続ける仕組みを作ることが大事なんです」
100年前の木造工場の中で、今日も新しい色が刷り込まれていく。京都の町に根ざした手仕事が、次の100年へとつながっていく姿は、まさに“生きる伝統”そのものだ。












