



“何者にもなれない自分”を変えたのは、額縁との出会いだった
額縁職人になる前は、どんな人生を生きていたのでしょう?
さまざまなことに挑戦してきましたが、なかなか形にならなくて。「僕は中途半端な人間だな」というコンプレックスを抱えて生きていました。でもそのことが、額縁を作り出したことで、がっちりとハマったんです。
幼稚園から高校までは、サッカー選手を目指していました。体育教師の親の指導の下、スポーツ推薦で強豪校に入りプロを目指しましたが、叶わなかった。高校3年生のとき「世界は広いのに、なぜ俺はサッカーしかやってこなかったのだろう」と進路に迷ったんです。
それなら好きなことをしようと思い、服飾の専門学校を考えていたら、親から許可が出ず大学を探すことに。でも、美大受験に必要なデッサンの勉強をしてこなかったので、経済学部から転部可能な大学を見つけて、テキスタイルデザインの学部に進みました。
でも、大学に進学しても劣等感がありました。受験して美大に合格したわけではない。服飾専門学校に進学した友人たちもキラキラして見えて、うらやましかった。結局就活も氷河期で求人も見つからず、デザイナーとして就職できませんでした。もう一度、服飾の専門学校に進学しよう、そう思っていたとき、祖父が富士製額の社長とつながりがあり、見学に行くことになったんです。

デザイナーを目指していたのに、額縁職人を仕事として考えられたのはなぜでしょう?
実家の近くに近代絵画で有名な美術館があります。洋服を作っていた頃にも「なにかヒントがあるかもしれない」と、展覧会へ通っていました。その時に、洋服と額縁の役割は一緒だなと思いながら、鑑賞をしていたんです。
洋服は人を美しく魅せる。額縁は作品を引き立てる。素材も形も違うけれど、結局何を引き立てるか、その対象となるものが異なるだけだなと。
富士製額を見学して「こんな作り方をしているのか!」と衝撃を受けました。額縁づくりを学んだことはないので、また0からのスタートになる。美大生のようなセンスはないけれど、洋服を学んできたから、その視点や感覚を持てば、額縁の世界でも戦えるかもしれない。やる気と努力次第だと思い、職人の道へ飛び込みました。


職人として一から育て上げてくれた、人生の師
どのような修業期間を過ごしたのでしょう?
この道50年の額縁職人である福徳寿男さんが、僕を鍛えてくれました。師匠は、絵を描きながら長年額縁を作り続けている職人。今までにないものを生み出す高い技術と独創性を持つ天才的な職人でした。
たとえば、師匠が生み出した凹凸を作る技法。下地を塗り重ねるのではなく、師匠は凹ませる刷毛の使い方を考えた。少ない手順で、自然な美しい模様で装飾することができる。他の人ではこんな技法は思いつかないですよね。
師匠は、手取り足取り教えてくれたわけではありません。「とにかく技術を盗め」と、さまざまな額縁の仕事に挑戦させてくれた。無茶なぐらい「やらせてください!」という僕の前のめりな姿勢も評価してくれたようです。遊びがある教え方というか、単語で伝えるくらいで、細かいことは自分で調べてやってみる。そんな形で技術を学んでいきました。
生意気にも、師匠に追いつこう、超えようと、最初は意気込んでいました。しかし3年ほど経って、それは無理だと悟った。僕がいろいろなことを覚えて成長していくのと同じように、師匠も生きている限り進化していく。それなら、僕と同じ年だったときの、その時点の師匠を超えることを目指そうと思い、気が楽になりました。

修業期間は、大変なこともありましたか?
仕事の後に「あんちゃん、行こうか」と飲みに連れていってもらうくらい、仲良くしてもらっていたのですが、ときには泣くほど怒られるときもありました。師匠は昔気質の職人で、仕事を褒めてくれない人だったので、落ち込んでしまったことも何度もあります。
でも、今考えてみるとありがたいですよね。30歳を超えた大人を真剣に叱ってくれる人はなかなかいない。大学を卒業して、社会人経験のない状態から、職人として一から育て上げてくれた。
師匠は病気で職人を引退して、今年のはじめに亡くなってしまいました。師匠の仕事は僕が引き継ぎ、今は責任者として額縁を制作しています。一人になり思うのは、師匠の教え方は正しかったということ。何もかも教えてもらうのではなく、自分で考えて調べながら作る修業期間を経たからこそ、お客様の注文に対して、技術を掛け合わせて額縁を作ることができる。
どれだけ多くのことを教えてくれたか、師匠の与えてくれたものの大きさを日々感じています。人生の恩人ですね。実の親よりも長い時間を共に過ごしてきました。


額縁を作ることで、僕は僕になることができた
栗原さんは、職人として仕事をしながら、額縁職人の魅力の発信や後進の育成にも力を入れていらっしゃいますね。
職人としてものづくりをしながら、額縁の魅力を伝えるイベントに登壇したり、テレビやラジオ番組に出演したり、自分が学んできた技術を伝えて、後進を育成することに力を入れています。
師匠への恩返しに何ができるかと考えたときに、教わった技術を次の世代に受け継いでいくことだと思ったんです。新しい担い手を見つけて、育成に舵を切らないと、師匠の培った技術が廃れてしまう。
額縁職人の魅力や技術を伝えやすい形で、多くの人に伝えたいと思っています。この間ニュースで見たのですが、職人の技術を映像で撮影することで、若い方でも簡単に習得できるようになり、作業効率が上がった事例があるとも聞きました。
時間をかけて身につけた技術を、オープンにすることに抵抗はないのでしょうか?
苦労して得た技術を簡単に伝えたくないというジェラシーも僕の中にあります。同じように何十年も苦労して身につけてほしいと思う気持ちもある。しかし、それでは今の時代では、なかなか職人の門をたたく若い人はやってこない。
技術を守りたい気持ちと、受け継ぐために新しい形で伝えること。そのせめぎあいは、伝統工芸の後継者問題を抱える工房では、同様に感じている課題だと思うんです。
僕は額縁が好きで、師匠が僕に教えてくれたことを次の世代に受け継ぎたい。その覚悟で、このジェラシーを乗り越えることにしました。僕が10年かけて学んだことを、弟子が8年で学ぶことができたら、2年の余白が生まれて、僕よりももっといい職人になれる可能性が広がる。そう考えたら、自分にしか出来ない事が更にあると気づき、使命感を覚えました。
隠されていた技術を広く伝えることは、伝統工芸を受け継いでいくために、これからの世代の職人に必要な心がけかもしれません。

栗原さんのお話を聞いていて、生き方そのものが額縁職人という感じがします。
中途半端だと感じていた経歴も、全てが現在に辿り着くためだったと思えるようになりました。今は胸を張って「僕は、額縁職人をやっている」と言える。額縁を作ることが好きです。額縁に出会い、職人になったおかげで、僕は僕になることができた。
人は、やりたいこととやるべきことが重なると幸せだと思うんです。額縁を作ることは本当に面白いし、師匠から教わった技術や魅力を発信することは、僕の使命だとも思える。家業を継いだ職人ではなく、かつ「このままでは業界が廃れてしまう」という焦燥感も人一倍強かった僕だからこそ、担うことのできる役割かもしれないとも感じています。
今年の春に富士製額に、職人志望の若い方が入社してくれました。彼女にさまざまな技術を教えながら、新たな学びがある日々です。伝道師として、額縁の魅力を多くの人に伝えていきたい。その覚悟を日々かみしめて、これからも職人として精進していきます。


Text by 荒田 詩乃










