



今回は長年つげ櫛作りに携わる十三や櫛店の竹内敬一さんにインタビューし、つげ櫛の歴史や魅力、その哲学について話を伺った。
櫛作りに最適なつげの木を使った櫛
最初につげ櫛の歴史について教えてください。
つげ櫛は、つげという木で作った櫛のことをいいます。
櫛自体の歴史はとても古く、日本では縄文時代の遺跡から出土しているそうです。また、現在でも用いられるような横型の櫛は大陸から渡ってきたといわれています。そうして日本に渡ってきた際、櫛にあった材質を探したところ、つげが選ばれたのでしょう。
良い櫛にはいくつかの特徴があります。ひとつは、持った際の手触りが滑らかということで、これは素材の密度が重要となってきます。また、一定の硬さがあり、粘りがあると、櫛の歯の奥まで磨き込むことが可能となります。つまり、弾力性があるということが、櫛の丈夫さにつながるのです。
これらにより、髪の通りが良くなり、地肌にもやさしい当たり具合になります。
たとえば、櫛に合わない木を用いた場合、地肌を傷めてしまう恐れがあります。また、折れやすいものになってしまったり、髪の通りも悪く、梳かし心地の悪い櫛になってしまうことも考えられるのです。
日本においてこうした条件を満たした材質がつげでした。つげ自体は庭木に使われるほど一般的ですが、櫛に使えるほど良質なつげは、日本の中でも一定の場所でしかとれません。
十三や櫛店では、鹿児島県の薩摩つげを用いています。酸性の土壌であり、黒潮が流れている海の近くという厳しい環境において、アルカリ性の石灰を撒き生育を良くしているそうです。

つげを用いた櫛、つまりつげ櫛の歴史もまた古く、父の知人であった東京大学の教授によると、平城京があった時代の井戸の遺跡からつげ櫛が出土しているそうです。つまり、少なくとも今から1300年以上前にはつげ櫛があったということになります。
当時のつげ櫛は祭礼用にも使われていました。さらに、一般の庶民にも用いられるようになったのは江戸時代のことで、つげ櫛の種類は爆発的に増加していきました。江戸時代には庶民に「日本髪」という文化が生まれ、それを整えるために櫛が求められるようになったのです。日本髪には多くの種類が存在し、それぞれ流派にあった形の櫛を使っていたといいます。
江戸時代、質の高い、俗にいうプロ用のつげ櫛を作る産地が3つありました。当時は交通や運送技術が未発達だったため、地形の関係から産地がこれら3つの地域に収束していったとされています。
まずは琵琶湖を境に、西日本側の櫛の産地として栄えたのが大阪です。次に、琵琶湖から東に向かって箱根周辺までに櫛を生産していたのが木曽薮原(長野)です。そして最後に、箱根の山より東から北日本に対して櫛を制作、供給していたのが江戸、つまりここ東京です。
大阪の櫛は角があるいかり肩のような形をしており、東京の櫛は丸みを帯びた形をしています。長野の櫛はその中間というイメージです。櫛の形に違いがあるのには理由があります。
東京では、一枚の板が無駄にならないように、櫛にするときのことを考えて板を大きめに切り、ふしなどの使えない部分があった際にはそこを避けて櫛を作るそうです。その結果、櫛に加工する際に板にゆとりが出るので、丸みを帯びた仕上がりとなるのです。


江戸時代に創業。関東大震災を乗り越え、今日に至る
十三や櫛店にはどういった歴史があるのでしょう?
私は初代から数え15代目になりますが、実は詳細な歴史というのはわからないのです。
関東大震災で歴史に関する資料はほとんどが燃えてしまい……。過去帳と店の奥にある看板だけが残っています。あの看板は江戸時代のものなのです。
聞いて伝わっている内容を伝える形になりますが、創業は元文元年(1736年)。初代の名は金子清八といい、もともとは仙台藩にいた下級武士でした。
清八が脱藩した後開業した年は元文元年。このころは元禄という華やかな時代が終わり、食糧に困る期間が長く続いていた時期でした。そのため清八は仕事の他に内職をしており、それが櫛作りだったのです。
元文元年になって創業の決意を固めますが、ここである問題に見舞われます。
お店の名前に使えるものがなかったのです。通常、出身地や師匠、修行した店名に関する名前を入れるのですが、脱藩していたためそれらは使えませんでした。
そこで考えついたのは櫛の「く」を「九」、「し」を「四」として足し合わせ「十三」として表記するということ。これならば櫛屋だということをお客さんに伝えやすく、また他とかぶる心配もありません。
そうして店の名前は十三や櫛店となったのです。

関東大震災の際は店が焼け、残ったのはいくつかのものだけになりました。
しかしお店は残り、区画整理でもともとあった場所から蔵1個分ほど移動した今の場所で営業を再開。第2次世界大戦でも焼けることなく、今に至っています。
十三や櫛店には「仕事ができないと後継になれない」という決まりがあります。櫛作りができる者が代々店主となっており、長男で店主となっているのは私がはじめてです。
この決まりや新たな事業にチャレンジし失敗したことなどから、過去には店主がおらず商人だけがいた時代もありました。そんなことがあったため、店主の苗字はその度に変わっています。今の竹内姓が店主を務めるようになったのは父の代からです。
十三や櫛店のつげ櫛は質の高さからとても人気で、御用達制度があった時代には皇室に櫛をお納めしておりました。今もご依頼をいただくことがありますね。


やりがいのきっかけは、お客様の声
竹内さんは子どもの頃から家業を継ごうと考えていたのですか?
いえ、正直に言うと子どもの頃はなんとも思っていませんでした。ただ「特殊なんだろうな」とは子ども心に思っていました。友達からは「良い匂いがする!」と言われていたので……。
つげ櫛を作る際、つげのアクを抜くために燻す工程があります。その匂いが焚き火の匂いというか、お風呂屋さんの匂いというのに似ていたのでしょうね。
中学生になると「継いだほうがいいのかな?」とも考えるようになりましたが、高校生の頃には別の仕事に興味を持つようになりました。その一方で親戚一同は店が無くなったら大変だと考え「給料がいいよ」や「好きに休めるよ」と、十三や櫛店の仕事の良い点を伝えてくるようになりました。今思うと大嘘でしたが……。
父は仕事については何も言ってきませんでした。今だからこそわかりますが、この仕事は苦労の多い仕事です。「やれ」と言われて続くものではありません。
だからこそ息子である私の意見を尊重してくれようとしていたのだと思います。
最終的には話し合いをし、高校を卒業した後に家に入ることとしました。そして卒業した次の日、つまり4月1日から家の仕事を始めたのです。
もともと中学生の頃から磨きの工程の手伝いをしていたこともあって、仕事にはスムーズになれていったと記憶しています。
ただ当時の私は高校生の頃に興味を感じていた仕事を諦めたということもあり、また一日中座りっぱなしの仕事でもあったので「つまらないな。嫌だな」と思いながら仕事をしていました。
転機となったのは、仕事を始めて6年が経ったときの出来事です。
あるお客様が来店されました。その方はうちのつげ櫛を見せて「とても使いやすいから、友達にあげたいんです」とおっしゃっていました。
うちのつげ櫛はすべて手作業で作ります。そのため私と父では微妙に仕上がりが違う。お客様が見せてくださったつげ櫛は、一目で私が作ったものだとわかりました。
実は一人でつげ櫛を作れるようになったのは、その前の年からでした。つまりそのお客様は、私にとってはじめて商品についての声を聞かせてくださった方だったのです。
私はお客様に、ご友人に合うつげ櫛を選んで差し上げました。するとお客様はとても喜んでくださって……。
その出来事があってからです。この仕事に大きなやりがいを感じ、続けていこうと思うようになったのは。

約60の工程を経て出来上がるつげ櫛
創業時からずっと手作業なのですね。
はい、うちは創業時から手作業で作ってきました。以前、文化庁の取り組みで製造工程を記録してもらったところ、約60の工程があるとわかりました。
この約60の工程は、すべてつげ櫛のポテンシャルを引き出すためにあります。
そうして作られるつげ櫛は使っていただくと良さがわかると思います。触り心地、地肌への当たった感触、髪の通り具合、感じ方は人それぞれでしょうが、確かに違いがあるのです。
この違いを感じていただくために、当店では店頭にお試し用のサンプルを置いています。サンプルは傷がついてしまったもので商品価値はないのですが、実用には問題ないものです。そのため実際に使って試して、違いを実感していただくことが可能となっています。
当店の櫛は決して安いものではありません。お店にたどり着くのだって、きっと何かで調べてくださっているのでしょう。
そうやって来てくださったのに「使い心地がわからない」という不安で、買うかどうかを決められなかったというのは申し訳ないことだと考えています。
お客様にはできるだけ満足していただきたいのです。
またそうやって試していただいた後には、商品にある程度の調整も可能です。地肌の当たり具合をお好みに合わせ変えることができます。
加えて「時が経って趣向が変わった」、「子どもに使わせてあげたいから当たり心地を柔らかくしたい」などのご要望が生まれた際はその対応も行っています。
この削り具合は経験がものをいうポイントですね。
昔、つげ櫛は一生物といわれており、母から子へと受け継ぐ道具でした。
その方の、そしてその家族の生活に寄り添っていく。昔はそれが道具の本分だったのだと思います。
そして生活に合わせて道具を調整することこそ、当店のような専門店の役割なのだと、私は考えているのです。
お客様には「何かあったらまた来てください。できる限り対応いたします」と必ず伝えています。


職人として、商売人として。つげ櫛を通してお客様を想う
つげ櫛作りのおもしろさはどんなところにあるのでしょうか?
終わりのないところでしょうか?
先ほど、つげ櫛は一生物とお話をしました。一度出来上がったつげ櫛が私のもとへ帰って来て調整し、またお客様のもとへ行くこともあるわけです。
またつげは天然の素材であり、コンディションは季節や天候によって大きく違います。そのため作るという点においても、同じということはなく、毎回調整が必要です。
私は職人ですが、同時に商売人でもある。だからこそ、毎回一定の質をしっかりと保たなければいけません。この調整には長年の経験と勘が必要であり、終わりがないと思っています。
一方で職人として「梳かしやすい櫛を作る」というこだわりも持っています。約60の工程のいくつかは、正直飛ばしてしまっても見た目ではお客様は気づかれないはずです。しかし使ってみれば違いがはっきりとわかります。
その考えから、いつもすべての工程をこなしています。自己満足の世界といってもいいかもしれません。
職人として、そして商売人として、つげ櫛を通して終わりなくお客様を想う。
それが、つげ櫛作りのおもしろさなのかもしれません。

終わりまでお客様と向き合う
これからについて考えていることを教えてください。
こういう言い方をすると傲慢かもしれませんが、うちがつげ櫛作りをやめれば、このクオリティのつげ櫛は無くなってしまうでしょう。
うちが手作りにこだわる理由は、真心がこもっているからという理由だけではありません。機械でいいものがたくさん作れるならそっちのほうがいいでしょう。でも実際のところ機械では、今私が作っているほどの精度で加工することはできないのです。
質を優先しているからこそ、手作業にこだわっているのです。
この十三や櫛店のつげ櫛に関するノウハウについて、私は一切隠していません。「誰か吸収できるのであれば吸収してほしい」そう思って、この姿勢をとっています。
たとえば同業他社の方が修行に来られたら、約60の工程を一つひとつお伝えするつもりです。ですが工程を知ったら、修行に来られた方はおそらく「やっていられない」と出ていかれてしまうでしょう。そのくらい、工程は細かいのです。
このことから身内が継がない限りはこのつげ櫛作りは続いていかないと思います。
今長男が仕上げを手伝ってくれていますが、私の父がそうしたように、私もまた彼には自分のやりたい道を選んでほしいと考えています。
外から若い人を募集するとしても、労働環境的に難しいでしょう。
またつげ自体も育てる農家さんが減っており、価格が高騰しています。滑らかな肌触りを実現するために重要な削る工程を担うのは天然のトクサを使った用具なのですが、これもまた育てる農家さんは1箇所しかいらっしゃらない……。
さまざまな理由から十三や櫛店は私の代で最後となるのではないかと思っています。
私の年齢は今57歳。身体的、経験的におそらく今がピークです。ここからは目も悪くなっていくでしょうし、手先も細かな調整が利かなくなってくると思います。
そうなったら仕方がない。でもその代わり、それまではしっかりとお客様のために頑張ろう。
それが今の私の考える、これからですね。


(記事内に記載されている価格は取材時のものです)
Text by タカハシコウキ











