



道後温泉と酒蔵が共有する時間軸
水口酒造の創業は1895年。道後温泉本館が現在の姿へと建て替えられた翌年にあたる。この時間的な近接は、単なる偶然以上の意味を持っている。
道後という土地は、温泉を中心に「人が集い、楽しみ、帰っていく」ことを前提に形成されてきた場所だ。酒蔵もまた、その流れの中に自然と組み込まれてきた。
当時の道後では、温泉を単なる湯治の場から「文化を体験する場」へと転換する構想が進められていた。水口酒造が大切にしてきたのは、その思想と歩調を合わせることだった。
酒は単独で完結するものではなく、旅の時間や土地の記憶と結びついて初めて意味を持つ。その考えは「道後物語」という言葉に集約されている。
観光地の中心に蔵を構えることは、職人にとって常に開かれた環境で仕事をすることを意味する。閉じた工房ではなく、人の往来がある日常空間で酒を醸す。その緊張感と公共性が、酒づくりの姿勢そのものを形づくってきた。
「仁喜多津(にきたつ)」という名に刻まれた思想
水口酒造を代表する銘柄「仁喜多津」は、万葉集に登場する地名に由来する。「人愛なる喜び多き津(渡り)」と書き、この土地が愛と喜びに満ちた場所であるようにという願いが込められている。
本来は「にぎたつ」と読むが、水口酒造ではあえて濁らせず「にきたつ」としている。
日本酒である以上、濁らない。その言葉には、洒落以上に、酒づくりに対する明確な姿勢が表れている。名前に込める意味、音の響き、表記の選択。そのすべてが、土地と酒の関係性を丁寧に読み解いた結果だ。
銘柄とは単なる記号ではなく、思想を定着させるための器である。
水口酒造では、創業以来「道後で飲まれる酒」であることを出発点としてきた。全国流通や量産を前提にするのではなく、まずこの場所で、どのように飲まれ、どのように記憶されるか。その問いから酒の設計が始まる。

数値と感覚のあいだで行われる酒づくり
日本酒づくりは、化学反応の積み重ねであり、徹底した数値管理が求められる。温度、湿度、水分率、時間。すべてが記録され、再現性を高めるための指標となる。
しかし水口酒造が強調するのは、数値だけでは捉えきれない領域の存在だ。
麹づくりは約50時間に及び、杜氏は2時間おきに状態を確認する。泊まり込みで向き合いながらも、一度として同じ結果が得られることはない。
米の状態、気候の変化、仕込みを行う人の体調や感覚。そのすべてが酒の表情に影響を与える。再現性を追求しながらも、完全な均一化を目指さない。その年、その瞬間における最適解を探り続ける姿勢こそが、日本酒づくりの本質だ。
酒づくりを「赤ちゃんの世話」に例える言葉がある。
過剰に手をかければ脆くなり、放置すれば育たない。清潔に保ち、変化を察知し、必要なときだけ介入する。その距離感は、長い経験の中でしか身につかない技術と言える。
暖簾を守り、暖簾を破るための選択
水口酒造は、日本酒の伝統を守る一方で、変化を恐れてこなかった蔵でもある。1990年代、日本酒市場が縮小するなかで、地ビール事業に踏み切った。
背景にあったのは単なる事業多角化ではない。「温泉に入った後に飲まれる酒とは何か」という、極めて日常に根ざした問いだった。
生まれたのが「道後ビール(坊っちゃんビール)」である。クラフトビールという言葉が一般化する以前から、あえて“地ビール”と呼び、湯上がりに飲まれるための酒として位置づけてきた。
仁喜多津は長年親しまれてきたデザインを持つ一方で、どこまでを継承し、どこからを刷新するかを慎重に検討しながらブランドの再構築を進め、2月4日にリブランドを実施、発表会も開催した。
変えるか、変えないかではなく、どう変えるか。その判断の積み重ねに、この蔵の姿勢が表れている。

酒蔵を文化のハブとして捉える
水口酒造が描く未来像は、酒を輸出して終わるものではない。
「道後から世界へ、世界から道後へ」。酒を介して人が循環する仕組みをつくることが、現在の明確なビジョンだ。
海外の飲み手を道後に招き、麹づくりや酒づくりを体験してもらう。酒単体ではなく、土地の文化や工芸と結びつけることで、その価値を立体的に伝えていく。
酒米づくりにおいても、若い農家と30年単位で伴走する取り組みを始めている。点ではなく、面として地域を捉え、酒蔵を起点に人と技術が集まる場を再構築していく。
かつて酒蔵は、地域における人と情報の集積地だった。水口酒造は、その役割を現代に引き戻そうとしている。







